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橘京子の動揺(事件編)


 チャリン――

 厳重に閉ざされた扉の向こう。静寂が支配するその空間に、無常の金属音が響き渡る。
 ホールの奥、ステージの中心。そこに座する金の女神像。
 その女神像を前にして、一人の男が声を震わせながら蹲った。
「…………どうして…………こんなことが…………」
 彼――元生徒会長の彼は、金策尽きた中小企業の社長のように絶望の淵へと追いやられていた。
 ニヒルスマートとも言うべき端正なマスクも、今となっては見る影もない。
 だがそれも当然である。今ここで起きたことを鑑みれば、誰しもこの生徒会長のように取り乱してしまうのは吝かではないはずだ。
 その証拠に、彼の言動を――偽りの仮面に潜む素顔を知る『彼ら』でさえ、どのように対処し良いか分からず立ち尽くし、じっと彼の方向に目線を向けるに留まっていた。
 突然の来訪者である俺、漆黒の振袖を身につけた九曜、紋付袴を着込んだ藤原、……そして。
「会長……」
 蹲った会長を励ますかの如く、傍に寄った喜緑さんもまた。

 皆が皆、どう行動すればよいかわからずオロオロとしながら震える生徒会長に事の次第を判断しようと近づいた――その時。
「誰だ……一体誰だ…………」
 指輪――宝石の無い婚約指輪を手にし、会長の震える声は次第に大きくなる。
「俺の……我が家の…………家宝を……宝石を………………盗みやがったのは…………」
 そして、遂に――


 ――どこのどいつだぁぁぁぁっ!!!!――


 彼の邸宅、大ホール。事件はそこで発生した。
 何と言うフィールソーバッド、いや、バッドアクシデントだろうか。とてつもなく嫌な予感がする。
 一体、何故こんなことになってしまったのだろうか。何故またややこしい事件に巻き込まれてしまったのだろうか。どうして俺はこうも面倒ごとと相性がいいのだろうかね。
 しかし、そんな愚痴を言ったところでどうしようもない。特にここ数年の経験から鑑みるにそれは明らかだ。
 必要なのは、この事件を早期に解決して後へと残さないこと。そのためにも、時間を戻して経緯を説明する必要がありそうだ。
 というわけで、いつもの得意技であるバックトゥザフューチャー、いや、逆向き瞑想を開始してみる。

 あれは、今日の午前中。勉強に飽きた俺が淀んだ空を見て昔の出来事を思い起こしてた後のこと。
 二人の少女が俺の家に乱入し、強制的に初詣に行く羽目になったんだった……

 ………
 ……
 …

 インターネットの天気予報とは裏腹にダウナーでメランコリーだった空色は少しずつ明るさを取り戻し、雲の切れ間から今年一番の天照様、つまり初日の出を拝見可能となった元日の朝。
 年賀状配達を装ってまんまと家の玄関に侵入した極彩色コンビ――オレンジ色の振袖にクリーム色の巾着を手にした橘と、漆黒の振袖にこれまた漆黒の巾着を手にした九曜の悪たれ二人組――は嬉しそうに、
「行かないとこの振袖、キョンくん着せますよ!」
 と、手にした水色の振袖とかんざし付きのウィッグをフリフリちらつかせた。
「いやだぁぁぁぁ!! 誰が着るかぁぁぁ!!!」
 あの時のトラウマを鮮明に思い出した俺は絶叫に絶叫を重ねた。
「ああ……なんか本気で嫌がってますねえ……」
「当たり前だぁ!」
 やや身じろぎしながら腫れ物に触るかのような表情で言う橘に本気で拒絶の態度を見せた。好き好んで女装する男なんぞ危ない趣味を持っている奴か、或いは職業柄着ている奴しかありえん。
 そのどちらでもないノーマルな俺が女装するなどはっきり言って三本の指に入るくらい人生の汚点だ。
「えー」
 えー、じゃない! それにな、
「そんな暇があったら勉強に専念させてくれ。そっちの方がよっぽどタメになる!」
「大丈夫なのです!」何故だか自身満々で平たい胸をドンと叩いた。「信じるものは救われるのです! 祈れば大学に合格できるのです! ですからキョンくんもお祈りを捧げましょう! さあ! さあ!」
 危ない宗教かお前は……って、強ちそうではないと言い切れないところがとっても橘である。
「佐々木さんと一緒の大学に入学したいと言う信念を見せ付ければ、それは絶対叶うのです。なんたって佐々木さんは神様なのですから!」
 遺憾ながら同感である。佐々木と、そしてハルヒの力が混成すれば俺が勉強しなくとも大学に合格できてしまうのは何となく既定事項っぽくも思える。
 だが、それに甘えるってのもかっこ悪いぜ。形だけでも二人に猛勉強しているところをアピールしなければ合格もへったくれもあったもんじゃない。
「意外と義理堅いんですね、キョンくんってば」
 お前とは違うんだよ。
「さらっと酷いこと言いましたね」
 まあな。
「うううう…………なんか悔しいのです。こうなったらあたしにも考えがあります! 九曜さん!」
「――――――――」
 呼ばれて出てきてジャジャジャジャーンと言うわけではなくずっとその場にいたのだが、あいも変わらず存在感の無い九曜はいきなり存在感を露にした。
「やっちゃってください!」
 橘の命を受け、漆黒のマトリョーシカは俺に向かって手を振り上げた。「一体何をする気だ!?」
「―――こう――――する――」
「!!?」
 ……なっ…………体が…………動かない…………
「かな…………しばり………………か………………?」
 痺れて動かない舌と唇を必死に動かして言葉を紡いだ。
「ふっふっふっ…………これであなたはあたし達が今することをただじっと見てなければいけませんね……」
 勘輔の策略を見破った謙信の如く鋭い目つきをした。「まさか…………無理矢理………………つれて行く……気か…………?」
 俺の言葉にしかし口を歪め、奥に見える歯を白く輝かしていた。
「いいえ!」
 しかし橘は俺の目論みをを否定し、それ以上の戦慄を植えつけた。
「そんなことよりキョンくんの家にあるおせち料理、全部食べ尽くしてやるのです!」
 こらお前ちょっと待てぇ!
 俺の言葉も空しく、疾風怒濤の如きダッシュを見せたオレンジ色のソレは、ダイニングに整然と並ぶ正月料理を目の前に燦々と目を輝かせ、そして見つけた重箱の一つに手を伸ばし料理を鷲掴み!
「ムグムグムグ……うん! このられまき、あまくてほいひい! こっひのきんときもあんまいれすう!」
「結局たかりに来ただけかこの大飯喰らいがぁ!」
 ゴス、と目の前にあった重箱の隅が橘のドタマにめり込んだ。
「いったーい! 何するんですかぁ!! てかどうして動けるんですか!?」
「九曜に解いてもらったんだっ!」それより!
「何するんですかはこっちのセリフだ! いきなり上がりこんで電波な宗教論を語った挙句人様のうちのおせち料理を平らげるなぁ!」
「あー、いえいえ。お構いなく。ところでお雑煮はまだですか?」
「――――こっちに……ある――――白味噌……――――京都風――――」
「わあ、甘くていい香りがしますぅ! 九曜さん、こっちにも早く早く!」
「――――どうぞ……」
「いっただっきまーす! うーん、おいしい!」
「――――こってりしていて――――――それでいて――さっぱりして――――口の中で――とろけるような…………――――」
「ふう、美味しかったのです。そう言えばデザートはまだですか?」
「もう――ちょっと……――――待って…………今から――――――お汁粉――――――――作る――――――――」
「やったぁ! 期待してますよ、九曜さん!!」
 こいつら……本気でたかりに来たのか?
 それ以上無銭飲食を続けるなら警察に通報しちゃるがな。いやマジで。


「とまあ、腹ごなし……もとい、冗談はここまでにして」
 とても冗談とは思えないくらい程がっついた橘は、食事に満足したのかようやく(?)当初の目的を思い出したようで、「そろそろ初詣に行きましょうか」
 だから俺もさっき言ったとおりヤダっていっただろうが。
「一年の計は元旦にあり、なのです。初詣は元日の午前中に行くのがスジってものなのです」
 決して意味不明なことを言っているとは思わないが、だがどんなに名文句も橘が喋ると全て台無しになってしまう気がするのは俺の気のせいだろうか。それはともかく、
「なるほど、お前の言う事も一理ある」
「じゃあ……」
「だがな、もう済ませてきたんだ」
「……へ?」
「実は今朝方、ハルヒや佐々木達と一緒に行ってきた。だから二度も行く必要は無いだろ」
「ええええー!!!」
 何故か橘は驚いた様子で
「そんなぁ! あたし呼ばれてませんよ!」
「そりゃあ、呼ばなかったからな」ハルヒと佐々木が断固として拒否したから仕方あるまい。
「ひっどーい! あたしの人権はどうなるんですか!?」
 さあ、その辺はお前を無視した二人に問い質すか、人権擁護団体に訴え出てくれ。正直俺の知ったことじゃない。
「うううう……キョンくんってば最近冷たい……あたしを人間扱いしてないなんて……ひぐっ…………」
 ヨヨヨと泣き崩れたように見える振袖姿のツインテール。しかし俺はコレが演技であることはとうに見抜いていた。伊達にこいつとの付き合いも長いわけじゃないぜ。
「くっ……やりますね。あたしの渾身の演技を見破るとは……」
 渾身の演技をするつもりならば、先ずは口の周りの汚れをふき取ってからしていただきたい。
「それは後々の課題として組織に提案することにします。……で、キョンくんは初詣に行ったのに、あたしと九曜さんは初詣に行かないなんて我侭、許されると思いますか?」
 いや、許されるも何も。
「九曜は初詣に行ったぜ。俺達と一緒に」
「…………へ??」
「だから、俺とか、ハルヒとか、佐々木とか。その他にもいたけど、とにかくお前以外の奴らで初詣に行ってきたんだよ」
「……えー……と……」
 口の周りを汚したままの橘は、ギギギと言う効果音を立てて首を九曜の方に曲げた。
「本当、ですか……九曜さん!?」
 九曜は橘を凝視した後俺の方を見据え数ナノ単位で首を動かした後、再び橘に目線をロックオン。
「――――本当…………行ってきた――――初詣――――皆と一緒に……――――」
「………………え゛」
 鏡開き時の鏡餅宜しくカチンコチンに固まった。
 まあ……九曜は別段俺たちに害を成すことは無かったし、ハルヒも佐々木も得に問題なく誘ってたみたいだぞ。気にするなって。その代わりと言っちゃ何だが藤原はいなかった。ほら、お前と同じで。よかったなー。ともかく初詣には一人で行ったら……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
 あ、泣き出した。
「ひどいぃぃぃ!! ひどすぎますぅぅぅ!!! みんなであたしをいぢめるぅぅぅ~!!」
 ギャン泣きする様は演技でなく、ガチで泣いているようだった。
「そ、そんなに泣くなって! 誘われなかったくらいなんてこと無いだろ!? 俺達だってお前を除け者にしたわけじゃ……あるけど……いやそうじゃなくて……あ、そうだ。藤原はまだ行ってないだろうから二人で行けば……」
「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~ん゛! う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~ん゛!」
 橘の鳴き声は更にヒートアップした。高周波を醸し出す嗚咽音は俺の家だけならまだしも近隣住民の皆様の平穏なる元日を脅かすのは間違いなかった。
「わ、分かった分かった! 行く! 行ってやる! だから泣くのは止めろ!!」
「本当ですか? やったぁ!」
 あれだけ激しく号泣していたツインテールは嘘のようにピタリと泣き止んだ。
「わーい! キョンくんと初詣だぁ! たのしみだなあ!」
 もしかして、あの涙も演技だったの?
 ……マジ!?


 こうして俺は、本日というか本年二度目の初詣(二度目なら初じゃなくて二詣でとでも言うのか?)に借り出されることなり……そして。
 実りの無い事件に巻き込まれる羽目になるのだ。



 渋々と言うか橘の姦計に見事引っかかってと言うべきかはさておき、最寄の神社へと向ったのは十時を三十分程過ぎていたことだけは記憶の隅に留めている。何故そんなこと覚えているかって? 単に家を出るとき何となく時計を見たからだ。
 俺の自宅から目的の神社までは歩いて三十分くらいのところにあるので、このまま何事もなく移動できれば十一時には到着するだろうし、そこからお祈り等何やかんやしたところで十二時には自宅に戻ってこられるはずだ。
 避けるのが無理ならば、一刻も早く事を終わらせるに限る。残り少ない高校生活、いや、受験生生活を有意義に過ごすためには一分足りとも時間を無駄にする事はできないのだから。時間にシビアになるのは仕方ないことだと思うね。
「……キョンくん、さっきから何ブツブツいってるんですか?」
 ぴこぴことツインテールを揺らしながら、俺の顔を覗き込むように橘が訪ねてきた。
「どんな願い事をするか考えてたんだ。何せ二度目だからな」とは俺の弁。正直嘘なのだが、本当のことを言っても仕方ない。代わりに「そう言えばお前はどんな願い事をするんだ?」と質問する形で返してやった。
 すると橘は…………って、無言かよおい。
「……え? あ?」
 一人でブツブツ言うのも良くないが、人の質問に答えないってのもどうかと思うぞ。
「あ……失礼しました。誰かついて来てる気がしたんで……」
「ストーカーかもな」絶対ありえんが、と心の中でだけ付け足しておく。
「ストーカーですか……是非一度経験してみたいですね。記念に」
 何の記念だよ、変な奴め。
「ああ、それよりさっきの質問ですけど、そうですねえ……今年もみんなと仲良く遊び回りたいです」
 ニカッとはにかんだ彼女の表情がやけに眩しく感じられた。
「お前の願いはハルヒの能力を佐々木に移管することじゃなかったのか?」
「うん、そうですけど」何故か悲しそうな表情で「でも、無碍に実行する必要も無いかなって」
 およそ橘らしくない発言をしでかした。頭、大丈夫か?
「大丈夫ですよっ! ノータリンみたいな扱いはしないで下さい!」
 ぷくっと頬を膨らませた。冗談だよ、冗談。俺がそう言うと橘は、
「あたしの願いは本気ですよ。確かに『組織』にとっては、涼宮さんの能力が佐々木さんに移行されることに何の懸念もありませんし、あたしの主旨も初志から変わることなくここまで来続けています。でも……」
 でも……何だ?
「あたしは佐々木さんの良き理解者であり、パートナーとしてありつづけたいのです。ですから、佐々木さんの望むべくも無いことをむやみやたらに差し迫るのは、組織のためにも、そして佐々木さんのためにも良くないんじゃないかって思い始めてきたんです」
 それはそれは。橘にしては良い心がけだ。そうしてくれれば佐々木も大助かりだろうよ。それだけ佐々木のことを気に掛けてくれれば何をすべきなのか普通見えてくるもんだがな……
「何か言葉に刺があるように感じますが……まあいいです。古泉さん達が主張する、『涼宮さんが望んだことが現実となる』ように、あたし達も『佐々木さんが望んだことが現実となる』ように仕向けなければいけないのです」
 で、具体的にはどうするんだ?
「さあ、わかりません」
 おいおい、何だそりゃ。
「分からないからこそご神託を聞きに神社でお参りをするんですよ。ねー、九曜さん」
「――――そう――――――」
 俺達の後ろを、足音も立てずに歩く九曜が肯定の反応を示した。
「いずれ――分かる――――日が……来る――――」
 何時だ、それは?
「その――うち――――」
 そうかい。ならその時に備えて構えておくことにするよ。
「それよりも」
 俺は目線をチラリと横にずらし、「まずは目先の懸念を払拭することにするか」
「そうですね。先ずは大学合格が重要なのです!」
 ……いや、それも重要だが、俺の言いたい事はそうじゃない。遠くに見える違和感を尻目に、横に侍る女性陣にだけ聞こえるようぼそっと喋りかけた。あ
「(お前の言ってたのは本当っぽいな)」
「……ん? 何がですか?」
「(確かに誰かついて来てるようだ)」
「えええええっ!!」
 こ、こら! 声を上げるな!
 俺の言葉に橘は、
「だってうれしいですもん。本物のストーカーさんに付きまとわれてこそあたしの人生にも箔が作ってもんです!! やったぁ!」
 ……だから喜ばないでくれ。


 それは俺達の後ろ、道路の路側帯に組み立てられた物置程度の網小屋――所謂ゴミの集積小屋。野生の動物達がゴミを漁るのに苦慮して市が立てた小屋の一つだが……その周りを確かにうろちょろしている人物がいた。
「(どう見ても犬や猫の類ではないぞ……浮浪者か?)」
「なんだ、ストーカーさんじゃないんですか……残念」
 まだ言ってるのかお前は。
「まあいいや、とにかくゴミを漁っているかも知れませんし、あたし注意してきます!」
 馬鹿! 無視しろ! 構うなそんな変な奴!
「いいえ! 公序良俗に違反する行為をする輩はとっちめなければいけません!」
お前は『公序良俗』なんて四字熟語を使うに値する人間なのか、ゴミ漁りはダメでストーカーはオッケーと言う判断基準はどこからきたのかというツッコミが即座に思い浮かんだが、そんな言葉攻めをしたところででおずおず引き下がる橘京子ではない。
 俺の制止を振り切り、カパンパカンと軽快な下駄音を立てて一直線。
「こらーっ! そのこあなたー! 出てきなさーぃ!」
「――――!!?」
 響き渡るハスキーボイスに驚き、慌てて小屋の中へと隠れる。それを見るや否や、彼女も一緒になって小屋の中へと駆けて行った。
 やれやれとは思いつつ、トタトタと走り出す俺、そして九曜。因みに九曜は橘と同じく下駄を履いているはずなのに足音は全く無かった。さすが長門も舌を巻く別世界の宇宙人である。
「そんなとことに隠れても無駄よっ! 出てきなさい!」
「うおわぁ!」
 大量のゴミに埋もれた人物を難なく引っ張り出した。そこにいたのは、
「あ、ポンジーくんじゃないですか」
「うっ……」
 そう。この寒い中、燃えるゴミと一体化して姿を眩ましていたのは一風変わったオシャマな未来人、ポンジー藤原だった。驚くこと無かれ。何故か紋付袴姿の正装でご登場だ。
「何してんだ、お前。そんな格好で」
「ふん、別段何をしてても構わないだろう。そんな目で見るんじゃない」
 確かに何をしててもお前の勝手だが、そんなところに隠れている時点で周りの人間から奇異な目で見られるだろうし、何事かと声を掛けられるのは仕方の無いことだぞ。
「それに頭の上に魚の骨が乗ってるその姿はいくらなんでもみっともない」
 俺が親切にも頭の上にのっかったソレを取ろうとすると、何故かそれを制止した。「これも規定事項だ」
 ああそうですかそうですか。じゃあ外すなよ絶対にな!
「言われなくてもそうする!」
『ふんっ!』
 と、どうでもいい事で口論となった俺達だが、「まあまあ、いいじゃないですか」という何がいいのかさっぱりわからない橘の宥めによってこの場はそれ以上の惨事は回避された。
「で、何してたんですか? 本当に」
「……いや、その……」
「いいじゃないですか、教えてくださいよ。あたしとポンジーくんの仲じゃないですか」
「ふっ、知りたいのなら教えてやる。えーと、実はな……初詣に……そう、初詣だ。及びそれに係る神への祈祷。そんな古典的風俗を勉強しようと思ってたんだ」
 若干言葉を詰らせながらも答えた。俺には決して言わなかったのに橘相手になるとあっさりと口を割りやがったな、こいつ。何だこの差は……と言いたいところだが、橘にお熱なのだから仕方ない。悔しくなんかない。絶対にない。
「文献によると『神社』の『本殿』という建造物に祈祷を捧げることになっているのだが、如何せんその文献には『本殿』の写真が無くてな。記述からソレらしきものに目星をつけて探索を行っていた。そして見つけたのが……」
 未だ頭の上に魚の骨をのっけながら、藤原は自信満々に集積小屋を指差した。「この建造物だ」と。
「…………」
 思わず沈黙。っていうか何て言えば良いんだよ。
「文献に依ると、それほど大きくもない木造建築物は観音開きとなっており、その中には御神体が祭られているとのこと。然るにこの建造物も同様の造りになっているではないか!」
 ええっと……その……
「だからここでお祈りを捧げようとしていたところなのだ。現地人はこのような格好を正装とし、二礼二拍の後御神体にお祈りを捧げる……ふっ、どうだ。どこからどうみたところで初詣に違いあるまい!」
「そ、そうか……そうだよな……お疲れさん……」
 何と答えて良いか分からなかったので、とりあえず労いの言葉をかけることにした。
「んー、そうだったのですか」
 対照的に納得したたのか、橘は二房の髪をふわふわ揺らして鷹揚に頷いた。
「初詣に対する心がけ、大したものです。キョンくんとはえらい違いですね」
 うるさい。
「でも……それなら何故あたし達の後をついて来たですか?」
「は!?」
「最初は気のせいかと思ってましたが、でもあたし達の後をずっとつけてくる気配がありました。初詣をするのが目的なら、あたし達に付きまとう必要は無いですよね」
「……い、いや……別に付きまとってなど……」
「ならどうしてあたしが追いかけた瞬間、隠れたりしたんですか?」
「うっ……いや! 追いかけてなどいない! たまたまだ神殿に身を委ねたのがそのタイミングだっただけだ!」
「怪しい……」
「怪しすぎる……」
「怪しさ――――大爆発――――」
「そこまで言わなくても!」
 いいや、だって余りにも不可解な解答なのだから仕方あるまい。
「怪しいと言えば……そうそう」橘は手の平でポンと音を立てて言葉を紡ぎだした。「古典的風俗を勉強している割に、神仏に対する基本的なことをご存知無いようですね」
「何……だと?」
「例えば御神体。普通御神体って、目のつかない場所に保管されているんです。神様が人目を気にしているとか、人間が神様を見たら目が潰れるとか……諸説色々有りますが、簡単に目の入るところにはいないのです。文献に書かれていませんでしたか?」
「うっ…………いやいや、そんなことは書かれてなかった気がするが……あ、いや!」
 何かを思い出したか、
「そのような文献も読んだことはある。だが、古来御神体と言うものは自然そのものであったり、または風光明媚な土地・地形が御神体となるケースもあるはず! 決して依り代となった物質が姿を晦まさなければいけないと言うわけではない!」
「うわ、すっごい! よくご存知ですね!」
「へ……へへ。まあな」
 若干照れたように笑う藤原。うん、きしょい。
「でも……それだけご存知なら、ますます怪しい。だってそうでしょ? 本当に神社や御神体についての知識があるなら、こんな場所が神社の本殿なんて言うはずずもないし、それに魚の骨が御神体だなんて言うはずがありません」
「ぐ…………」
「それに関してはどうお答えしますか?」
「いや……だから…………」
「――――彼の…………言う事も…………――――一理――――ある――――骨を…………――奉る……――――――地域も――――――あることは――――…………ある――――――」
「ほ、ほら見ろ! 僕の言う事も強ち嘘じゃないだろうが!?」
 なんともまあ、往生儀が悪い奴だ。いくら九曜が代弁してくれたからと言っても、不利なことは間違いない。
「分かりました。ポンジーくん、あなたはその小屋が御神体を祭っている神社、そして頭の上にあるお魚さんの骨がご神体であると。そう信じて疑わないのですね」
「ああ、そうだ」
「ならば……」
 藤原の返答に、橘は獲物を捕らえたような野獣のような表情で、
「今すぐそこでお参りをして下さい! お魚さんの骨に向かって二礼二拍して祈祷を上げてください!」
「なっ!!」
「お魚さんにきちんと願い事を言えたならばあなたの仰ることが本当であると信じましょう」
「くっ…………」
 とうとう藤原の口が沈黙した。なるほどそうきたか。橘にしては上手い誘導尋問だ。
「さあ、どうしたんですか、お辞儀してください! お手を叩いてください! お魚さんの骨に向かって! ゴミの山に向かって! さあ!」
「……い……いや…………」
「遠慮は要りません! 通りすがりの方達が白い且つ哀れむような目線でポンジーくんを蔑むかもしれませんが気にしないで下さい! あなたはあなたなりの神様がいるんですから!『トラッシュイズゴッド! ボーンイズジャスティス!』と請い願うのです!」
「わ、悪かったぁぁぁぁ!!!! 許してくれぇぇぇぇ!!!!!」
 あーあ、とうとう泣かせたか。顔をくしゃくしゃにしてまで懇願させるとは……結構容赦の無いヤツである。
「だって、本当の事言ってくれないんだもん……そう言うの見るといぢめたくなっちゃう。もうっ」
 再び頬を丸く膨らませた橘は、結構可愛く……絶対気のせいだ。



 観念した藤原はポツポツと事の詳細を語り始めた。

 ――神社や初詣について文献を調べたことは本当であり、実際に参拝してみたいと言う気持ちはあった。
 もちろん神社が分からない訳でもない。いくらこの時代の地理に疎くても、地図を調べれば『○○神社』ってのが出てくるからな。
 だが、懸念事項もある。生まれて初めて、しかも遠い異国で自分のそ知らぬ文化行事を万事上手くこなせるか?
 もちろん他人と同じような行動をすればいいのだが、ちょっとしたミスで笑いものにされるのはいただけない。こと過去の人間に笑われるなど屈辱の極みである。
 行くべきか、行かざるべきか。
 神社までの往路をウロチョロして対策を練っていたところ、ふと自分の目の前によく知る人物(俺達のことだ)がいるではないか。思わず隠れてしまい……だがよくよく見ると、女性陣は文献にあった和服の着物を召している。
『まさかあいつらも初詣に行くのではないか? いや、そうに違いない』
 これはチャンス。奴らの後を追い、偶然を装って出会ってやる。そしてそれとなく初詣の話へと持っていき、後はあいつらに合わせていればいいだろう。
『ふ、なんて完璧な計画なんだ。最高だ』と自画自賛していたまでは良かったのだが……。
 ここで想定外の事件が起こった。やおら方向転換をした橘があれよあれよと言う間にこっちに近づいてきたのだ。
 ちょ、待て! 僕の計画じゃ出会うのはもっと先のはずだ! どうやって言い訳するか考えてないんだこっちは!
 等と心の中で叫びながら、近くにあった小屋に隠れ――

「……後は知ってのとおりだ」
 少々不機嫌な様子で、藤原は不快感を露にした。
「理由は分かった。だがそれならそうと言ってくれればいいのに」
「ふん」
 ったく、本当にツンデレ野郎だな、こいつは。
「なあんだ、それだけですか」残念そうな顔で橘は「もっと大事件を隠しているのだと思ってました。この集積所に遺体を遺棄しにきたとか、とても言えないところから強奪した金銀財宝を隠しにきたとか」
 頼むから正月そうそう物騒なことを言わないでくれたまえ。
「しょうがないですね。ともかくあたし達と目的は同じみたいですし、ポンジーくんも初詣行きますか?」
「はい、喜んで!」
 今の今までしょぼくれてたくせに、立ち直りも早い奴ではある。っていうかお前、現地の人間と行動するのは嫌だっていってなかったか?
「ふっ、目的のためには多少の羞恥心は目を瞑る必要がある」
 お前の羞恥心の基準が分からんわ。見つかるまではまるで俺達を監視するかのようにつけまとい、見つかったら見つかったで一緒に行くと言い出して……ああ! そうか!
「橘、藤原のの本当の目的がわかったぞ」
「へ?」「なっ!?」
「何やかんや言ってるが、要するにこいつは俺たち、というかお前と一緒意に初もう……」
「わー! わー! わー!」
 どうした藤原。いきなり奇声を上げて?
「本当、どうしたんですか?」
「あーいや、わー……わー……わーたしのお名前ーなーんだっけ?」
「大丈夫か藤原?」いや俺は分かってからかっているんだが。
 対照的に橘は頭にクエスチョンマークを浮かべ、訝しげな顔をしてポンジーを見つめている。そのポンジーはもう面白いくらいにしどろもどろだ。ふふふ、ふっとからかってやる。
「お前の名前は自称藤原じゃないか。橘のことがす」
「とがすー!!」
「ど、どうしたのよポンジーくん!?」
「とがす……とがす…………都ガスでエ○ファーム! コージェネでエコな生活を! 未来人からのお願いです!」
「――――ユニーク――――」
「……あの、一体なにが楽しいんでしょうか……?」
「ちょっとした余興さ」
「くはーっ……くはーっ…………くそ、覚えてやがれ…………」
 やだ。絶対忘れる。そう心に留めながら恨みがましい目を向ける野郎から目をそらた。

「しかし、よくこいつの言い分に突っ込めたな、お前」
「えへん、これでも洞察力には優れているのです。言葉や時制、そして行動の矛盾を読み取り、明朗にそれを指摘する。これこそあたしが最も得意とする技なのです」
 全く自覚の無い答えを返しやがった。
 俺が言いたいのは、あんな突拍子も無い嘘をしれっと流さずよく突っ込めるなって事なんだが。大体神社の神殿がゴミの小屋なんて言う奴は280%くらい妄言を吐いているとしか思えないぞ普通に考えて。
「その顔。信じてないですね?」
 じっと覗き込むように見上げた橘はあからさまに不満の色をにじませた。
「いやだから、信じる信じない以前の問題で……」
「それ以前の問題!? そこまで馬鹿にしますかキョンくんは!?」
 ダメだ、聞いちゃいねえ。
「ふふふ……わかりました。ならあたしの明晰な頭脳を披露してやるのです。疑問難問珍問いくらでもかかってきなさい! この名探偵橘京子が全て解いて見せます! おーほっほっほっほっほ……って、あれ? 皆さんどこですか?」
 一頻り高笑いをする橘からそっと距離をとり、重たくなった頭を左手でぐっと支えながら俺は二回目の初詣でお願いすることを決定した。
 願わくば、今年はあいつとの関わりを尽く断ってください、と。


 とまあ、サプライズゲストと言えば聞こえが良いかもしれないが実質ただの腰巾着、橘のパシリとも言うべき藤原も仲間に入れた俺たち一行は再び歩みを始め――そして、彼と出会うことになる。



 男女二組、ダブルデート状態になった俺達は他愛も無い話を繰り返し、程なく神社に辿り着いた。社の領地内は時期が時期だけあってかなりの人で覆い尽くされていたが、それでも身動きできないほど込んでいるわけでもない。
 所詮は田舎の一神社。こんなものであろう。
 というわけでサクサクっと事を終わらせよう。参道の脇に立ち並ぶ屋台を尽く無視し(途中橘が何回か立ち止まったが無理矢理引っ張ってきた)、祝詞をあげる神主さんも華麗にスルーし(こっちは藤原が興味心身だったが以下同文)、そして祭壇へと並んだ。
 カランコロンと鈴を鳴らし、パンパンと手を叩いてお辞儀。藤原が前もって調べたらしい二礼二拍をしたのち手を合わせてお参りする。橘、藤原、九曜もまた同じ行動を繰り返した。
 藤原がやたらと人目を気にしていたことと、探偵気取りで他の参拝者の願い事を推理し始めた橘を除けば特に問題なくお参りは終了し、これで晴れて自由の身になったわけである。
「やれやれ。それじゃあ俺は帰るぞ。後は任せた」
 時刻は十一時半。ほぼ俺の予定通りの時間である。今から帰って勉強すれば何とか遅れを取り戻せるだろう。
「えー!」しかしと言うかやはりと言うか、空気の読めないこいつがあからさまに不満の色を醸し出した。「せっかくのお正月なんですし、もうちょっと遊びましょうよ! 探偵ごっことか!」
 せっかくの正月に探偵ごっこをしなければいけない理由は一体なんだろうか。そこんところ問詰めて見たいがこいつに付き合うとろくな事が無いので、
「だから何度も言ってるが、俺は受験生なんだ。それに遊ぶなら藤原がいるじゃないか。探偵ごっこするには打ってつけだ。頼んだぞ」
「お……おう! 任せとけ! 犯人役でも被害者役でも何でも演じきってみせる!」
 着物の上から胸をドンと叩いた。しかもなんだか嬉しそうである。
「と言うことだ。頑張ってくれ」
「でもお……」
 どうした。不満でもあるのか?
「ポンジーくんって、一生懸命なのはいいんですが……なんて言うか、必死過ぎてちょっと引いちゃいます」
「がーん!!」
 ……あ、ポンジーが硬直した。
「いくら遊びとは言え、長いことやってるとこっちが疲れるのよねえ」
「ががーん!!」
 今度は白い砂と化した。
「あたしはもっとクールで冷静沈着な人を抜擢したいな、と思いまして」
「ががががーん!!!」
 そして崩れて木枯らしに吹かれ舞い散り……いくらなんでも藤原がかわいそうである。
 なあ橘、人の振り見て我が振りなおせ、って諺知ってるか?
「ああ……どこかにいないですかね、クールでヒールな役がピッタリな王子様♪ 実はさっきお願いしたのです。今年こそきっと白馬に乗った王子様があたしをお迎えに来てくれると!」
 はいはい、それはよかったね。きっと直ぐに来るぜ。白馬に乗った王子様がな。お前を迎えに来てそのままさらって行って二度と俺の目の前に現れないで欲しい。
 ――なんて、心にも無いことを言った俺は自分を呪った。
 まさかこの後すぐにそんな人が現れるなんて思っても見なかったからだ。
「きっと、あっちの方向くらいから!」
 橘が参道の向こう――俺達がやってきた道を指差した、まさにその時。

 ――ドドドド ドドドド ドドドド――

 胸を突くような重低音が俺達……いや、周りにいる全員の心臓に響き渡った。車かバイクの排気音だと思うが……ビートを刻むような胸の高鳴りはどういうことか。大きい音量は胸が苦しいどころか、むしろ心地よくも聞こえてくる。不思議な音だ。
 一体どんな車なんだろうね。
「あたしが推理してみましょう」
 再び探偵気取りになった橘がしたり顔で言い放った。
「ふむふむ……独特の不協和音……それが奏でるエクゾースト、排気干渉――――これは水平対向エンジン! ポル○ェかス○ルね!」
 ビシッ! と俺に向かって指差した。
「――違う――――――この音は――――空冷Vツイン…………――――ハ○レ○――――ダ○ッド○ン――――――」
 ……だ、そうだ。
「あ、あたしだってたまには間違えます。恥ずかしくないですもん!」
 の割に顔は真っ赤だ。

 やがてそのVツインとやらの音はこちらに近づき、そして音を出しているものの正体……かなり大型のバイク――鈍く光る黒のボディと鮮やかに光るメタル部分がコントラストとなってより存在感アピールしている――が、俺達の目の前現れた。
 九割以上が歩行しているこの参道でバイクはただの一台。季節柄というのもあるが、その個体とも相まって注目度抜群。殆どの歩行者はその威圧感からか、恐れおののくように道を譲っている。
 俺達も例に洩れず、同じく道を空ける……が。
 こともあろうにバイクは俺達の目の前で停止した。
「え? え?」
「――――――」
 意味が分からず思わず言葉を失った。
 ライダーは恐らく男性。恐らくと言うのは他でもない。身を包んだ革製のジャケットとパンツ、そしてスモークシールドに覆われた全体から性別を認識するのは困難だからだ。
 しかし、古泉に迫る長身とスタイルの良さから男性であることはほぼ間違いないだろう。
 そのライダーは俺達を一瞥し、納得した様子でジェットヘルメットを脱ぎ、
「よう、久しぶりだな」
 排気音が鼓動する中に、彼の渋い声が響き渡った。
「もしかして……会長!? 生徒会長さんか?」
「ああ。今では『元』と言う方が正しいが……そんな細かいことはどうでもいい。そう、私だ」
 生徒会長……元生徒会長は、胸ポケットに入れてあったタバコを取り出し、ライターで火をつけた。まるで自分の言動を思い出させるかのように。
 ああ、思い出したぜ。彼が学校を卒業してもう一年近くなるんだから仕方ないだろう。
「(ちょっとちょっと、あの人誰なんですか?)」
 くいくいと俺の袖を引っ張り、初顔合わせの力士みたいに顔を強張らせた橘に、
「去年卒業した、俺達の学校の生徒会長だ」
「元、だ。今は違う。と言うかもう金輪際やる気は無いぜ。あんな面倒な仕事はヨ」
 ぷうと吹かした煙が木枯らしによって吹き散らされた。
「古泉に唆されて生徒会長になったのはいいが、あの女のせいでかなり振り回されたからな。お前は知らないかもしれないが、古泉からの注文はかなりウザかったんだからな。……ふっ、でもまあ」
 ここで更に一息。
「おかげで首尾よく進学できたわけだ」
 そう。確かにこの人は古泉……正確に言うと『機関』の助力もあって、都心にある某有名大学に進学したんだった。「一年間、『機関』の言うことを聞いてくれた褒美です」と、去年の春に古泉から聞かされた覚えがある。
 全く、『機関』というのはどこまでパイプを巡らせているんだろうかね。
 余談だが、この話を聞いた時に俺の大学受験の時も頼むってお願いしたんだが見事に断られた。曰く『彼の在籍している大学はともかく、あなたが受験する大学はそこまでの関係を持っていないので』らしい。本当かどうかはしらないが。
「それで、今日はどうしたんですか? 実家で初詣をしに来たんですか?」
「いいや、送迎しに来ただけだ」
「送迎?」と俺。「ああ。そこに――」
 その時ようやく気付いた。会長のバイクのセカンドシートに、誰かが乗っていることを。
 会長よりも一回り小さいその人は、居住まいを正し、被っていた大き目のフルフェイスヘルメットを脱ぐ。ふさぁ、と緩やかなウェイブが肩の下まで垂れ――って、まさか
「明けましておめでとうございます」
「き、喜緑さん!?」
 ワンピースにレギンス、そしてパンプスと言うおよそ普段着のせいか、ゴツイ装備の会長に目が行っていた俺はその存在をすっかり見落としていたが、優しい微笑みを見せる彼女は、俺が思わず言葉を漏らしたその人に間違いなかった。
「どうしたんですか、一体?」
 同じような質問を繰り返す俺に、彼女は暖かい瞳をこちらに向けて微笑んだ。
「こちらでアルバイトをしておりまして」
「アルバイト? どんな?」と聞き返そうとした瞬間、
「(ちょっとちょっと、こっちの人は誰ですか!?)」
 ええい、黙れ橘。今はお前に構ってる時間はないっ!
「(…………)」
 よし、黙ったな。
「……すみません、続きを」
「あ、はい。そこの社務所で他の神官や巫女のお手伝いをしております」
「助謹巫女ってやつだ」
 助謹巫女……つまり年末年始や祭りの際など、忙しい時に手助けする臨時雇いの巫女さんである。
 巫女さん姿の喜緑さんか……朝比奈さんの巫女姿も秀麗だったが、それに劣らぬ見事なものだろうな。
「会長も、結構好きですなあ」
「ふっ……何のことだ?」
 若干ニヤケながらも否定するところがとても彼らしかった。
「昼から夕方までの約束で働くことになっているんだ。大学生たるもの、勤労に対する理解も必要になってくるからな」とは会長の弁だ。だけど高校生の時から働いていた喜緑さんは既に勤労の大変さを知っているのでは……
 ……っと、いけねえいけねえ。高校生時代のバイトはオフレコだったな。
「そう言う訳だ。もうすぐ時間なのでこれでお暇させてもらおう。では」
 再びヘルメットを被りなおし、アクセルを吹かし、鼓動音を響かせてこの場を立ち去る――と思いきや。
「そうだ、丁度いい」
 何かを思い出したようにシールドを開けて喋りだした。
「ここで会ったのも何かの縁だ。これから私の家に来ないかね。年始のパーティに招待しよう」
「パーティ……ですか?」
「ああ。本当は身内だけで行う予定だったんだが、両親が急な用事が入って出席できなくなってな。急遽出席者を募っていたんだ。せっかくの各国の最高級食材ももったいないしな。無論他に用事があるなら強制はしないが……どうだ?」
 うーん、せっかくですが、俺は受験ですし、最後の追い込みもしなければいけませんし。残念ですが今回は
「行きます!」
『!!?』
「是非お呼ばれさせていただきます! あ、あたし橘京子っていいます! 宜しく!」
「あ……ああ……よろしく……」
「――――――九曜―――――…………周防――――九曜……――――夜……露――死苦――――――」
「もうっ! 九曜さんたら高級食材が食べられるからって言って舞い上がりすぎですよ!」
「―――失敬……失敬――――」
「はは……はははははは…………」
 さすがの会長も額に汗を垂らして苦虫を潰したような顔をしていた。その表情から『人選、間違えたかな?』という雰囲気がありありと出ている。
 ここだけの話、正解です。会長。止めるなら今のうちですよ。というか拒否してくださいお願いします。
 俺がそう願う中、残った喜緑さんは顔色一つ変えずニコニコと微笑みを続けている。この人もかなりの大物だ。以前の対決はどこ吹く風で三人の様子をにこやかに見守っていた。
 ああ、因みにポンジーくんだが、ずっと固まったままだったことは付け加えておかなければなるまい。


『先ずは喜緑くんをバイト先まで送る。それから合流しよう。この先にある店で待ってくれないか? ついでに案内人も呼んでおこう』
 会長はそういい残して再びバイクを走らせ、残った俺達は会長の言いつけどおりの場所まで歩き始めた。
「楽しみです! 最高級料理!」
 笑顔がこぼれんばかりの橘とは対照的に、俺の気持ちはブルー一色に染まりかけていた。やっと束縛時間が終わったと思ったのに、また面倒なことに巻き込まれた俺のこの気持ち。分かるか?
「まあまあ、最高級食材があるからいいじゃないですか」
 こいつの脳みそは喰い気が何よりも優先されるらしい。
「まあそれはそれとして」コホンと咳をついた後、彼女は両手を頬に添え、顔を赤らめて衝撃的な一言を発した。
「それにあの人、かっこいい!」
『なにぃぃぃぃぃぃっ!?』
 橘を除く全員の声があたりにこだました。恐ろしいことに九曜もだぜ。
「マジでそう思ってるのか!?」
「――――かなり……想定GUY……――――予想GUY――害害害――――――」
「ほら、クールでヒールっぽくて。さっきあたしが言ったとおりの方です! 彼こそあたしの白馬に乗った王子様なのです!」
 白馬じゃなくて黒い単車だったんだが、そこは問題ないのだろうか?
「コブ付きだったのが残念でしたけど、あたしは諦めないのです! 絶対あたしの虜にしてやるのです!」
 いや無理だろ普通に考えて。お前と喜緑さんとじゃ人間としての器が違いすぎる。喜緑さんが人間かどうかと言う突っ込みはさておいて俺はそう思う。
 そして困ったことに、勘違いしている人物は一人だけではなかった。
「僕も行く! あんないけ好かない野郎に僕の大切な人を上げるわけにはいかない! 奪い返してやる!」
 もちろんもう一人の勘違い大王、いつの間にか復活したポンジー藤原。こいつも橘のことになると目先が見えなくなるからな……。
 現に今、「大切な人? 誰ですか?」と突っ込まれ、「うあ! き、禁則事項だ!」としどろもどろで言葉を返しているくらいだからな。
「ふふふーん。ポンジーくんにもそう言う人がいたんだ。ふふふふーん……」
 いやらしい笑みを浮かべたまま、
「ではあたしが誰なのか、推理してみましょう。と言うかスバリさっき会長さんの後ろに乗っていた女性ですね!」
「いや、その……」
「いやいや、照れなくてもいいから! 全然知らなかったんですけど二人はそんな仲だったんですね! あたし応援しますから!」
「…………」
 というわけで、勘違いに勘違いを重ねた一行は会長の指示した場所へと向かうのだった――


「ここは……ジュエリーショップですね」
 会長が示した店は、俺達高校生にはとても縁がなさそうな宝石店だった。それもかなり高級の。
 店に入ったわけでもないのに高級と断定した理由は二つある。一つは作りがいかにも高級そうだったから。そしてもう一つは入り口に常時張り付いている警備員。
 いくら縁が無くとも、これだけ豪奢で厳重な建物を見れば高級ショップであることは一目瞭然だ。
 しかし、一体なんでこんなところに俺達を呼んだのだろうかね。
「あたしの推理によりますと、あたしを一目見て気に入った会長さんがあたしにプレゼントをするため」
「あれ、古泉じゃないか」
「これはこれは。皆さんおそろいで」
「ふん」
「――――――――――」
「に、きっとこう」
「まさか案内人って言うのはお前か?」
「ええ。彼の気まぐれにも困ったものです。何故このような面子をパーティに……失礼。あなたのことを言ったわけではありませんよ」
「分かってる。気にしちゃいないさ」
「――――当然――――」
「あんたに贔屓目をされる筋合いも無いけどな」
「にゅうしてくだ」
「それにしても意外なのは事実です。偏屈で気に入ったものしか家に呼ばない彼がこうも簡単に招待するとは思っていませんでしたから」
「ああ見えて案外いい人なんだろ」
「――――料理――――食べる……――――」
「ああっ! もうっ! 聞いてくださいっ!!」
 おいおい、次は藤原のセリフの番だろうが。割込みはいかんぞ。
「割込みも何も、話し始めたのはあたしです! あたしの話を聞いてくださいよっ!」
 そうだっけ、古泉……?
「さあ、存じ上げません」
「――――――」
「ほら、三対一」
「うわぁぁぁん! みんなであたしをいぢめるぅぅぅ!!!」
「ぼ、僕はあんたの味方だぞ。いつだって助」「もういいです! どうぞ好き勝手やったらいいじゃないですか! 一人でも平気ですよーだっ!」
「……うう……どうせ僕なんか……いいんだいいんだ……」
「苦労、してんだな」
「お察しします」
「――――良きに……計らえ――――」
 誰にも構ってもらえない橘にすら構ってもらえない藤原。彼の背中に漂う哀愁は並半端なものじゃない。
「……す、すまん。みんな」
 藤原、俺、古泉、そして九曜。皆が皆お互いの手をガッシリと取り、友情を高めあう。宇宙人未来人超能力者という相反する勢力ながらも微かな友情が芽生え、俺達は――――
「って! 何なんですかこの流れは!? いい加減にして下さい!」
 ……確かに。ちょっと調子に乗りすぎた。いい加減元の流れに戻すことにしよう。
「で、俺達をここに呼んだ理由は何だったんだ?」
「恐らく、見せびらかせたいのでしょう、アレを?」
「アレ?」と橘「何ですか?」
「橘さんには一生縁の無いものですよ」
 なるほどそれもそうだな。この店でお世話になるような宝石が購入できるとは思えんし。
「反論できないのが悔しい……」
「ま、それはともかく。僕は会長から賜った言い付けを遵守することに致しましょう。それでは皆さん、中に入りますよ」


 古泉に言われるがまま店の中へと促されると、阿吽の呼吸で門を護っていた二人の警備員はスッと道を開き、特に止められることもなく店内へと入り込んだ。
 店のショーケースに広がる宝石と豪奢な佇まいはさながら金殿玉楼。宝の御殿である。いくら宝石・装飾品に疎いとはいえ、これだけのものが整然と並んでいるとさすがに身悶えするばかりである。
 橘なぞは舐めまわすようにショーケースに張り付いているもんだから警備員に相当睨まれている。気持ちはわかるが若干はしたないのでちょっと距離を取らせて欲しい。
 そんな中、古泉は悠々と近くにいた店員と話しを始め、そしてさらに別の店員――見た目からして貫禄のある、店長レベルの店員――と二言三言交わす。
 そして、
「お待たせしました。僕についてきてください」
 となった。さて移動だ移動。橘、いつもでもガラスに張り付いてるんじゃない。

 連れられた先は、店内とは全く異なる一室だった。
 部屋の奥、中央の壁には白黒二色で描かれた幾何学的抽象画が飾られており、右壁には煉瓦造りの暖炉がパチパチと音を立てて燃えている。
 そして左壁。建物の外壁に面するこちらには全面に遮光カーテンが敷き詰められている。カーテンの向こうは恐らく窓になっているのだろうが、分厚いソレに阻まれて窺い知ることはできなかった。
 燦燦と照りつける程日差しが強くなってきた昼時だというのにそれを全く感じさせないくらいだから、その遮光性能は推して知るべしである。この部屋に灯りがついていなければ闇夜の如き漆黒に覆いつくされるんじゃないだろうか。
 その灯りだが、完全シャットアウトされた太陽のピンチヒッターとなって部屋を照らし出しているのは、天井高くに設置されたシャンデリアだ。太陽光に遠く及ばない明るさだが、暖色系の光は厳寒の季節に温かみをもたらしている。
 ……ん、よく見るとあのシャンデリア、電気ではなく蝋燭っぽいぞ。炎が瞬いているのがなによりの証拠だ。なかなか気合の入った照明である。
 部屋の中央に目をやると、豪奢な外装とは異なりテーブルとそれを囲むソファーが数席並んでいるのみ。至ってシンプルなのだが、返って高級感を煽られるのはソファーとテーブルが価値ある逸品なのか、それとも演出なのか。そこまではわからない。
「欧風カブレした貴族が好みそうなところだな」
 心の中でそう野次を飛ばして呆然としていると、それを察したのか店長風の店員に「こちらへどうぞ」と促された。
 言われるがままソファーに座り、出されたロイヤルミルクティーと高級そうな洋菓子を配り、深深と頭を下げ退席し――。
 弦が切れたハープのように一気にまくし立てた。
「何だ、ここは」
 楽しそうに目を細めた古泉はカップを手にとって一言。
「VIPルームです」
「ひっぷるーむ? はんれすかほれ?」
 お茶請けに出された高級菓子を喰らいつきながら訪ねるは……説明する必要は無いな。
「そのままの意味ですよ。重要なお客様を接待するために儲けられた特別室です。こう言った高級店には店の品揃えやサービスに関わらず存在するものですよ。
 ああ……そう言えば聞いたことがあるな。
「最も、」と手を上げて制止した古泉は「僕はその重要なお客様の一使用人に過ぎませんが」
 会長のパシリってわけだな。
「ええ。そのとおりです」
 あっけらかんと言い放った。まあこいつに口で勝とうとは思ってないが……。
「で、あの会長さんはそんな高い宝石を買ったと言うわけか?」
「いえ、購入したわけではありません。ですが、それに近しい依頼をこの店にしたことは事実です」
 で、何なんだその依頼とは。
「そうですね……」
 カップを皿の上に置き、すくっと立ち上がった古泉は俺達が入ってきたドアの前まで来て、
「直接お聞きになってみたら如何ですか?」
 ノブを開いてドアを開けた。すると――
「くくくっ、そうだな。俺から話すことにするさ」
 ダテ眼鏡を外し、ペン回しの如く回しながら長身の男性は喉を震わせていた。もちろんこの店に来るよう指示した会長である。
「お迎えの方はお済みですか。しかしあなたのことだから心配でずっと神社に張り付いていると思いましたが」
「バイトの邪魔になっては元も子もなかろう。終わる頃にはまた戻るさ。それよりもパーティのセッティングが先決だ」
「彼女が気にならないのですか?」
「アレはそんなにヤワな女じゃない」
「それもそうですね」
 二人して同時に喉を鳴らした。
 ったく、何が面白いんだか。お楽しみのところ悪いが、話の骨を折らないでくれ。
「失敬。俺が依頼した宝石についてだったな。実はな、」
 ズカズカとまるで自分に家のように歩いてきた会長は、誰も座っていないソファーの肘掛に腰掛け、胸元のポケットから何やらゴソゴソと取り出した。
「これを磨いてもらってたんだ」
 指で弾いたソレは放物線を描きながらテーブルの上、丁度橘の目の間に落ちた。
「これは……宝石ですよね。うわ、凄く大きい……」
 爽やかな草原の如く美しい翠色を呈したその宝石は、シャンデリアの光にも負けず劣らず燦々と輝いていた。大きさもかなりのもので、綺麗に光らせるためのブリリアントカットも施されている。相当高価なものに違いない。誰の目から見てもそれは明白だった。
 ただ……何かひっかかる。
「こ、これ……もらっちゃってもいいですか!?」
「ああ、構わない。俺からのささやかなプレゼントさ、お嬢さん」
 ニヒルな会長の笑みがくくくと釣りあがった。
「ありがとうございますっ! やったぁ! これであたしも大金持ちです!」
「くくくっ、喜んで貰えて幸いだよ」
 舞い上がる橘の姿をみて、会長はその笑みをさらに歪めた。
 ……なるほどね。何となく分かった。
「橘」
「ん、何でしょうか? この宝石ならあげませんよ」
「いらんわ」と俺。何故なら会長の企みが分かったからだ。その企みとは恐らく……こういうことだ。
「その宝石はイミテーション。偽者だ」
「へ……ええっ!?」
「どう考えてもおかしいだろ。ポケットの中から出した宝石を放り投げて、しかも他人にいとも簡単に上げるようなものが本物のわけがない」
「そ、そんなあ……しゅん」
 本気で落ち込んだ。てか気付けよそれくらい。
「さすがです。よく気がつきましたね。いや、橘さんがちょっとアレなだけかもしれませんが……」
「攻めるな古泉。確かに扱いはぞんざいだが、イミテーションにしてはよく出来てるんだ。素人目なら見間違える事もあろう」
 諭した後、橘が抱えていた宝石――偽者の宝石を指差して、
「お前の言うとおり、それは偽者。本物が磨きあがるまで家に飾っていた代用品さ。よく出来てるだろ? 因みに本物はこっちだ」
 パチンと指を鳴すと、控えていた店員さんは重厚なジュラルミンケースから中身を取り出した。中にあるのは、更に小柄なケース。
 会長はその小柄なケースを手にとり、開錠した後カパッと蓋を開け――
 中から出てきたのは、イミテーションそっくりの宝石。形も大きさも、そして輝きも全く同一。
 ただ一つ、決定的な違いを除いて。
「これ……色が違いますよ」
 彼女が手にした偽者と会長が手にした本物を見比べて、その決定的な違いを口にした。確かに、イミテーションが青みがかかったグリーンなのに対し、本物の宝石は真っ赤に燃えるような紅色。
 さながら、エメラルドとルビーといったところか。いや、構造が同じならばサファイアとルビーを言った方がいいかもしれない。
 ともかく、いくら形や大きさが同じでもこれではイミテーションの意味を成さない。贋作を作ろうとしたのなら明らかに失敗である。
「ふっ、今度は引っかかったな」
 さも嬉しそうに、狡猾な笑い声を上げた。「引っかかった?」何を言ってるのかさっぱりわからない。
「確かに、今のままでは分からないだろう。ならこれならどうだ?」
 そう言うと会長はドアの反対側、カーテンが並ぶ壁へと近づき、そしておもむろにカーテンを引っ張った。
 カーテンの奥にあったのは、俺の予想していたとおりの窓。そこから毀れる、晴れ渡った昼の太陽が部屋の中を、俺達を、そして宝石を照り付け――

「……あっ!?」
 ソレが驚くような変身を遂げたのは、この時だった。
 会長が持っていた紅い宝石は、太陽の光を浴びた瞬間その輝きを変化させたのだ。
 俺が今手にしたイミテーションの宝石と同じ、青みがかかった緑色に。

「驚いたか? これはアレキサンドライトという宝石だ」
 胴体切断マジックに引っかった観客の如く呆然としている俺達に対し、会長は見事に騙しきったマジシャンの如く悠々と語りだした。
「蝋燭や電球など赤みの多い光に対しては燃えるような紅玉色を呈し、太陽光や蛍光灯など、青みが強い光に対しては優しい翠玉色を呈す。これがアレキサンドライトの面白いところであり、高価である所以だ」
 再び片手を動かし、カーテンが閉まる。すると翠色の輝きはなりを潜め、再び真っ赤に燃える宝石が浮かび上がった。
「すごい……不思議な宝石ですぅ……」
 お菓子を頬張っていた橘ですら手を止め、その不思議な現象に釘つけになっていた。
「ましてやコレだけ大胆にカラーチェンジするものは滅多に見られない。時の皇帝ですら手にできなかっただろう」
 えらく自信満々な発言が鼻につくがそれに見合った逸品であるのも間違いない。
「それで、その宝石を俺達に披露して、一体何がしたかったんだ?」
「簡単なことだ。ちょっとした立会いをしてもらいんだ」
「立会い?」と俺。「何のために?」
「この宝石は代々我が家に伝わってきたもので、一族の仲間になる人間に継承されてきた。つまり婚約の儀式に使用されてきたものだ」
 ほうほう。それで?
「それで……って、ここまで言えば分かるだろう」
「いいえ、彼は筋金入りのニブチンですから。最初から最後まで説明しないと分かりません」
 橘、それはどういう意味だ?
「ほら」
「……なるほど…………」何故か納得した様子で、「実は、だ。俺ももうすぐ二十歳。家の家督を継ぐ妙齢になってきたわけだ。そうなると、人生の中で切っても切れぬ人間関係というのも出てくるものだ」
 はあ……それで?
「そ、それで……だな。そんな人間を……まあ、何と言うか……自分のパートナーとして…………うん、そう言うわけだ」
 珍しく照れたように吃りながら何とか言葉を紡いでいる。「つまり、どういうことですか?」
「どういうこともこういくこともありませんっ! どこまで鈍いんですかキョンくんは!」
 バンッ! と両手を着いて橘が立ち上がった。どうでもいいがお前に鈍いとか言われたくない。
「なら会長さんが何をおっしゃりたいのか分かるんですか!?」
「む……」と、思わず黙り込む。
「こら御覧なさい。答えられないじゃないですか!」
 ならお前は分かったというのか?
 そう言うと橘はえっへんと胸をそらし、「当たり前です!」と大きく出た。
「いいですか、よく考えてください。あの宝石は婚約の儀式に使うもので、そのためにここで磨いてもらったんじゃないですか。そして『切っても切れぬ人間関係』とか『人生のパートナー』とか思わせぶりな発言。そこから推理するのは簡単ですっ!」
 コホンと咳を一つついたあと、
「つまりっ!」
 橘はビシッと指を差し、自信満々に叫んだ。


「あたしに対するプロポーズですっ!」


 ――瞬間、暖炉の焚き木すら凍りつくような寒さが此処にいる全員を襲った。
「ああっ! お気持ちは嬉しいのですが……出会ってからまだ二時間も経ってないのに……。溢れんばかりのあたしの魅力……これって罪ですね。どうしたらいいのでしょうかキョンくん!」
「アホかおのれはぁぁぁぁ!!!」
 バコンッ!
「きゃん!」
 先ほど買ったおみくじ型特大ハリセン(天誅大凶バージョン)で橘のドタマを叩きつけた。
「いったーい! 何するんですかぁ!」
 新年早々意味不明なギャグをかますんじゃねえ!
「んん……もう。やだなあ、キョンくんたら。妬いてるんですね」
 違うわ空気読めぇぇぇぇ! 他の皆をよく見ろぉぉぉ!
「あれ……みんな机に突っ伏したり紅茶を吹き散らしたり。どうしたんでしょう?」
 あまりにもKYな発言で橘以外の思考回路が停止したとは露にも思わないのだろうか。
 そんな中、ソファーの脇で蹲っていた会長が何とか起き上がり、ギリギリ平静を装って
「…………な、なかなか楽しいお嬢さんだ。フランクと言うよりはケセラセラと言ったところだな……」
 とは言え、額から滲み出る汗は相当なものだ。恐らくこう言った人間と接するのは始めてらしい。
 ふっ、いくら生徒会長とは言えまだまだ人生経験が浅いな。俺なんか長年付き合ってるせいかよほどのことじゃなきゃ動揺しないぜ。
 ……と、自慢にもならない自慢を思い浮かべて自己嫌悪に陥ったのは言うまでも無い。
「ま、まさかとは思うが、」多量の額の汗をハンカチで拭いながら、会長は小指を突き出し、
「お前のコレか?」
「絶対にち」「いやだぁ! 会長さんったら!!」バンッ!!「ふぐべしっ!」
「もうっ! 妬かないで下さいって言ってるでしょ! キョンくんとはまだ何にも無いんですから♪ 彼ってばホント奥手で困りますぅ! でも会長さんのアプローチに妬いちゃって可愛い……いやだ、何言ってるのかしら! きゃはっ!」
 橘の強烈なビンタ……いや、あれは張り手だな……をまともに喰らい、会長さんは今度こそ沈黙した。
「今年は初日からいいことばっかりですね! あたし嬉しいです!」
 こっちは初日からトラブル続きで泣きたいです。おまけに勘違いした藤原がおぞましい殺気を込めて睨みつけるし……
 カンベンしてください、いやホントに。


「お、お嬢さんの気持ちは嬉しいが……もう既に心に決めた人がいてね」
 それでもめげずにヨロヨロと立ち上がり、今度は橘を直視しないよう若干視線をずらしながら再びソファーについた。何故直視したくないのかと言われれば……その辺は察して欲しい。
「喜緑くん……さっき神社まであった際、後ろに乗っていた女性がいただろう。その彼女にプロポーズしようと思うんだ」
 ああ、なるほど、そう言うことでしたか。今更ながら全てを理解した。
「お二人の仲睦まじい関係は、生徒会では暗黙の了解でしたからね。いや、それだけじゃない。あなたを慕って同じ大学、同じ学部に入学した喜緑さんも実にいじらしいじゃないですか。そして遂に彼は彼女の想いに答えることにしたんですよ」
 古泉の茶々に、「うるさい、黙れ」と照れながら怒鳴る会長がとても微笑ましい。
「まあ……大筋で古泉の言ったとおりだ。今日俺は彼女にプロポーズする。宝石を磨いたのも、今日のパーティも、全てはそのためだ。そして、」
 改まって身だしなみを整え、
「キミたちにはその立会人になってもらいたい。先にも言ったが両親は火急の用で席を外してしまうから、誰か他に信用できる人間が必要だったんだ。どうか頼む」
 と頭を下げた。
 会長さんもなかなか人道的な御仁である。ただのアウトロー気取りじゃないって事か。ただ、何でそんなに接点のない俺達を立会人なんかに選んだのだろうか? 他にもっと適切な人がいるだろう。例えば、
「言っておくが、『機関』の人間ならお断りだ。アイツらに任せるとロクな事が起きん」
 ――ピクッ、と古泉の微笑が蠢いた。

「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。アイツらほど下らん人間もザラにいるもんじゃない。この宝石だってお前じゃない他のヤツに取りに来させたら、そのまま盗んで自分の懐に置き去りにする可能性もあるからな」
「……その信用ならない『機関』配下の僕に取りに行くよう命じたのは、どこのどなたでしたか?」
「ふっ、安心しろ。お前はまだ信頼している方だ」
「他の『機関』の仲間は信用できないと?」
「そう受け取って貰って構わん」
 二人の会話に、辺りの空気が一気に淀んだ。

 ちょっと待て。何だこの言い争いは? 会長と古泉は反発している? 以前はそんな雰囲気はなかったじゃないか。どうしたんだ一体何があったんだ?
「ふっ、何か知りたいようだな」
 余りにも訝しげな顔をしていたのか、会長は含み笑い一つして問い掛けた。
「見てのとおり、俺や俺の家族は『機関』の連中に良いようにこき使われてきてな。最初は報酬に釣られてこいつらの木偶人形と化してやったが、最近じゃうっとしくてしょうがねえ。俺の役目も終わったのに何時までも束縛するんじゃねーっつーの」
「その件は以前にもお話したとおりです。涼宮さんと偶然接触する機会が潰えたわけではありません。四六時中偽りの仮面を被っていろとは言いませんが、緊急時も対処できるようご留意願いたいのです」
「ご留意ね……もう涼宮との接触を断って一年が過ぎるが、その間あいつからコンタクトを取りに来たことがあったか? 答えてみろ」
 しかし、古泉は貝のように口を閉ざしたままだった。
「答えられないだろ。どうしてだか分かるか?」
 会長の野次に、古泉は更に沈黙を続け――代わりに会長の口が饒舌になっていく。
「『涼宮が望めば、それは全て実現する』。お前達はそう主張してたよな。だが逆に言えば、『アイツが望まないことは、全て実現しない』ってことになる。古泉、俺の言うことは間違っているか?」
「……いえ、仰るとおりです」
「だろうが」ネチリといやらしく笑った会長は勝ち誇ったように「ならば、俺との再来を望んでいるとは思えないアイツが、今後俺と接触をする理由を述べてみろ。俺がまだ操り人形でいなければならない理由を答えてみろ。『機関』の立場としてな」
「……確かに、涼宮さんとは接触されてないようですが、今こうして彼と接触を……」
「話を摩り替えるな。俺が聞きたいのは今後俺が涼宮と接触するかどうか、だ。無関係なヤツを巻き込むんじゃねえ。それに言っておくが、こいつと接触を取ったのは俺の自発的行動だ。無視することも出来たんだぜ。まさかこれも」
 蔑むような表情で、
「涼宮が望んだからなんて戯けたことを抜かすんじゃないだろうな?」
「…………」
「ったく、『機関』とは本当に付き合いきれん」
 再び懐から取り出した煙草に火をつけ、いきり立った自分の心を落ち着かすように一服し始めた。
 俺達はといえばあまりの展開に何も出来ず、ただひたすら時が流れるのを待つのみ。
 沈黙が――正確には、会長が煙草の煙を吐く時の吐息のみが静まり返った部屋に響き渡り――


 ――どれくらい経っただろうか。
 実際は煙草の長さが半分程度になる程度の時間だったのだが、それ以上に長く感じたのはこの沈黙のせいだろう。
 しかし、その沈黙も遂に終止符が打たれるときが来た。
「……古泉。いい加減『機関』を止めろ。お前はまだ見所がある」
 先ほどの鋭い口調はなりを潜め、何時に無く優しい口調で諭すように言った。
 古泉もいつの間にかいつも通りのスマイルを取り戻し、
「いいえ、そう言うわけにはいきません。『機関』に必要な人間と自負しております。そして、それはあなたも同じだと考えております」
「……けっ」
「我々はあなたを必要としています。できるだけあなたの望みを叶えています。ですから――」
 悲痛な表情を浮かべながら深深と頭を下げる古泉に、会長は何も答えなかった。



「申し訳ありませんでした」
 店を出た俺達に『先に戻る。家の場所は古泉に聞け』と言って一人バイクに跨って走り去った後のこと。古泉はそう言って深深と頭を下げた。
 先ほど会長にしたそれと同じように、悲痛な表情を浮かべながら。
「気にしちゃいないさ」
 それが俺に言える精一杯のフォローだった。
「……聞かないんですか? 彼と『機関』の間に何があったのか」
 それはお前に任せる。言いたければ言え。言いたくなければ黙ってればいい。
「そうですか、わかりました」いつも通りのハンサムボーイはどうとも取れる俺の返答に対して、「歩きながら説明しましょう」となった。
「彼は僕達『機関』の学内……いえ、今は学外協力者とでも言うべきでょうが、ともかく協力者であることは以前申し上げたと思います。彼は涼宮さんのイメージどおりの生徒会長として、我々が在籍する北高の生徒会トップに君臨しておりました」
 ああ、確かにそうだったな。ハルヒが変なことを思いつく前にこちらから情報を提供してご機嫌伺いを取る、言わばかませ犬のような存在だ。
「彼はこちらの予想以上によく働いてくれました。それは彼が命令に忠実だけと言うわけではなく、ある程度の野心、或いは報酬といった見返りを期待してのことです。もちろん我々としては取り立てて問題にはしていませんでした」
 していませんでした、って言うことは問題になったって訳だな。
「……遺憾ながらその通りです」古泉は声のトーンを鎮め、
「実はこちらのミスで、彼が大切にしていたあるモノを壊してしまったんです」
 なんだ、それは。
「それはちょっと……すみませんがお察しください」
 そうかい。まあ別段聞く気もないが。
「つまりそれが原因で会長と『機関』の信頼関係にヒビが入ったってわけだな」
「はい」
「何を壊したか知らんが、直すことや買い換えることは出来んのか?」
「それができればここまでこじれたりはしません」
 確かに。
「彼は怒り心頭に発し、一時は『機関』との関係を拒絶されそうになりました。彼の協力無くして『機関』の活動に多大なる影響が出ると感じた上の人たちは彼を必死に説得し、出来る限りの要望を受け入れ――首の皮一枚繋がった状態で今日に至っているのです」
 ふむふむ……ん?
「ちょっと待て。会長は『機関』の協力者だってことは聞いたが、何故そこまで彼との関係を重要視してるんだ? あの人自身も言ってたが、ハルヒとの接触が無い今となっては寧ろお払い箱状態じゃないか」
「その理由は簡単です。実は……」と言って後ろの橘達の様子を見て、「失礼、耳をお貸しください」
 更に俺に近づき、後ろの三人聞こえないよう、細心の周囲を払って出た彼の言葉は――
「―――――――」
「…………なるほど」
 大きく一つ頷いた。
「それは確かに重要な問題だ」


「つきました。こちらが会長の自宅になります」
 あれから約一時間後。河川敷の公園に程近い会長宅に到着した時には午後二時をゆうに回っていた。
 こんなに時間がかかったのは単に会長の自宅が遠いだけではなく、普段履き慣れてない草履や下駄で歩いたため足に負担がかかってしまったことも理由に上げられる。
 橘なぞはついさっきまで『もう歩けない、おんぶして』と駄々を捏ねていたのだが、結局誰も手を貸さず(無論藤原は手伝おうとしたのだが自分も靴擦れが痛くてそれどころじゃなかったらしい)、終いにはハダシで歩き出したりしてた。
 おまけに『キョンくんが悪いんですからね! 責任とって下さい!』だとか『困っている女の子を助けないなんて、古泉さんって絶対ガチホモよね』だとか散々罵詈雑言を浴びせるもんだから場の空気はとても悪くなってたりする。
 しかし、
『…………』
 見事なまでの三点リーダが揃いも揃ってアンサンブルを奏でた。橘も、藤原も、そして普段ダッシュ記号の九曜でさえ、である。
「こ、ここ……」
「あの会長の……」
「――――自宅…………?」
 皆が驚くのも無理はない。
 俺達の二倍はありそうな柵とそれ以上に高い門。そこから数十メートル先に聳える白亜の如き邸宅。
「そうです。ここが彼の自宅です」
『……………………』
 古泉の言葉に一同がさらに沈黙した。
 よくよく見ればここ一帯はは高級住宅街で、どの家もそれなりの大きさでそれなりに立派な佇まいをしている。前に行った事のある阪中の家もそれほど離れていない。
 その中でも一際大きい、まるで城のような邸宅が彼の家だったのだ。
「すごい……お金持ちだったんですね……」
 呆気に取られた橘がポツリと呟いた。そりゃそうだ。でなきゃあんな高級ジュエリーショップで宝石研磨の依頼なんてするわけがない。
 斯く言う俺も、古泉から話を聞いて驚いたんだけどな。
「『機関』が縁を切りたくない第一の理由――それは財力。スポンサーのひとつなんですよ、彼の家は」
 俺だけに分かるよう話し掛けたのはそんな内容だった。
 これ以上なくわかりやすい理由であった。恐らく鶴屋家と同じような立場なのだ、会長は。
「ただ、『機関』の活動に干渉するきらいがありますけどね。そこが鶴屋家と大きな違いです」と古泉は付け加えたが、それは些末な問題にしか過ぎない。少なくとも俺にとってはな。
 ただ一人平然としている古泉は門の横にあるインターホンに手を伸ばし、二言三言言葉を交わした。すると門は自動で開き、俺達を奥へと促した。
 玄関まで移動する中でもサプライズは点在している。管理された芝生や木々、奥の方に見えるプライベートプールやテニスコートなど、さながら公園のようである。
 鶴屋家とはまた違った意味で金持ちを実感させる場所である。
 やれやれ。金があるとことにはあるもんだ。『機関』じゃなくてもスポンサーとして協力していただきたいものだ。

「ようこそいらっしゃいました」
 ようやっと建物の中に入った俺達を最初に迎え入れてくれたのは、朗らかな笑みが眩しい老紳士。もちろん俺の知っている人物であった。
「新川さん。お久しぶりでございます」
「これはこれは、お久しぶりでございます」
 まさか新川さんの本業はここの執事ってことは……
「まさか。そんなわけありません」と古泉。「今日のパーティのために借り出された臨時雇い人です」
 古泉が言うには、今日のパーティを盛り上げるため、そして会長のプロポーズを成功させるために『機関』からスペシャリスト達が派遣されてきたらしい。
「新川さんは執事兼給仕係兼調理師としてこの場に派遣されました」
「どうぞよろしくお願いします」
 あ、ああ。こちらこそ。
「ではあなたが最高級料理を作ってくださるんですね!」
 そしてしゃしゃり出るはやっぱりこの女。和服姿で謙虚さが少しでも染み着いてくれればと思ったのだがそう言うわけにはいかないらしい。
「おやおや、可愛らしいお嬢様だこと」
「はい! よく言われます!」
 嘘つけ。
「こちらは初めてですね。……ふむ、どこかでみたことのある顔ですが……」
「さあ、あたしはとんと記憶にありませんが」
「そうでしたか、他人の空似でしょう。申し送れました、わたくし執事の新川と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「あ、あたしは橘京子って言います。よろしくお願いしますっ!」
「――――!?」
 瞬間、新川さんの動きが止まった。
「あれ? どうしたんですか?」
「ま、まさか……あの…………あの、橘京子か……!?」
 引きつったままの新川さんは、言葉を漏らすように橘の名前を口にした。バドラーオブバドラー、執事の代名詞とも言うべき新川さんが、客を呼び捨てにするなど普通に考えたらありえない。
 ――そう、普通なら。
「あの、ってのが若干引っかかりますが、多分その橘京子です」
「!!!?」
 新川さんの顔が完全に強張った。
 無理も無い。新川さんからしてみれば彼女は『機関』の敵である。しかも橘はその幹部を務めているのだから、その名は『機関』の中でも有名なのだろう。
 そんな相手が自分達の陣地に単身――乗り込んできたのだ。驚くのも無理は無い。
 しかし……である。
 いくら敵対するもの同士とは言え、いくらアポなしで乗り込んできたとは言え、冷静沈着を擬人化したような新川さんがあそこまで驚愕の念を出すとは思えない。
 ならば一体……? 等と考えていたその時、想いも依らぬ行動に出た。何と新川さんはいきなり橘の肩を掴み、軽々と持ち上げたのだ。
「――ひいっ!?」
 実力行使で排除する気か!?
「た、助け……!」
 くっ……何だというんだ!? 
「新川さん! 落ち着いてください! 一体どうしたんですか!? 敵対しているとは言え、強引に追い返すのは新川さんらしくありません!」
 思わず古泉も声を荒げ――

「どうしたの新川。玄関が騒がしいわ」
 ホールの先、螺旋階段の踊り場。凛とした女性の声が響いたのはちょうどその時だった。
『――――!!?』
 ここにいる全員、静かな絶叫を上げた。
 そこに立つのは――メイド姿の森 園生……さん。

「……ん? そこにいるのは……橘京子!!」
 三日間何も食べてないライオンがシマウマの群れを見つけたような視線でツインテールを睨めつけた。
「ひえっ! た、助けてぇ~!」
 慌てて踵を返し、やたらと怖いオーラを発するメイドさんから遠ざかる。怖いものみたさってやつだ。
 しかし森さんは神速の如きスピードで階段を駆け下り、あっという間に橘京子の背面に回りこんだ。
「!! いつの間にぃ!」
「ふっふっふっふっ……ここであったが百年目。いや実際は半年振りくらいだけどそんなことはどうでもいいわ。あなたには散々お世話になったわね」
 渾身の笑みを込めて橘に微笑んだ。俺はと言えばあの時のトラウマが全身に駆け巡り、反射的に顔をそらした。見れば新川さんも古泉を同じ行動をしている。やっぱみんな怖いんだな。
 九曜は相変わらずのポーカーフェイスでなんのその。さすがは長門以上の無表情エイリアン。唯一森さんの笑みを知らないポンジーは直撃を受け敢え無く失神。ご愁傷様でした。
 そして、失神することすら許されない橘は蛇に睨まれた蛙宜しく、
「いやあのお世話になったのはむしろあたしの方で」
「ふふふふ、そんなことはどうでもいいの。あなたに会えただけでこの上なく嬉しいのよ」
「あのあのあの、嬉しいなら何で目がそんなに据わってるんですか……?」
「気のせいよ」
 嘘だ。絶対嘘だ。
「そうそう、今とっても忙しいの。例のパーティの準備でね。そこでちょっとお願いがあるんだけど、手伝ってくれないかしら?」
「あの……あたしはむしろお呼ばれされた方で……」
「そんなつれないこと言わないで、お願い。んふっ」
 ウィンク一つ繰り出した。
「ひゃ、ひゃい!」
「そう、良かったわ。それじゃこっちよ」
 ガシッ、と、まるで手錠をはめるかのようにガッチリと腕を掴んだ。
「あの……因みにどんな仕事を……? 前みたいに全身しもやけになるようなことはちょっと……」
「ふっふっふっ……大丈夫よ」
 森さんの笑みが、やたらと猟奇的に映った。
「寒かったら唐辛子のペースト塗ってあげるから。全身に」

 いっ…………

「いやぁぁぁぁぁぁ――――――――ぁぁぁぁぁぁ――――――ぁぁぁぁ――――ぁぁ――――…………――――――」


「……遅かったか」
 くっ、と顔を顰めながら、新川さんは自分の不甲斐なさに自責の念を感じていた。
「森が彼女を……橘京子を敵対視していたのは前々から存じていたのですが……まさか本日いらっしゃるとは思っていませんでしたので。何とかして森に見つかる前にご退場願おうと思ったのですが……」
『………………』
 一同、沈黙。
「あの分ですと、かなりこってりと絞られそうですな、橘嬢は」
 ええと、新川さん、どんなことされるんでしょうか……?
「……聞きたい、ですかな?」
 え?
「森のスパルタ教育、いいえ、慈善活動の内容を、それほどまでに聞きたいですかな?」
 …………。
 止めときます。


 とまあ一人ほど森さんの毒牙にはまってしまったが、俺を含めて他の人間には何一つ危害が無かったのでここは一つ運が悪かったと言うことにして橘を見捨てる……もとい、慈善活動に頑張ってもらうことにして、俺達は宅内を案内されることになった。
 若干藤原が不機嫌そうな顔をしていたが、あの森さんに反旗を翻すほどの抵抗力はなかったらしく、ブーブー文句を垂れながらも俺達の後をついてくるに留まった。
 まあ拷問を受けるわけではないし(多分)、これ以上橘の暴走を蔓延らせるわけにもいかないので、この件は森さんに一任しようと思う。
 決して橘の相手をするのに飽きたとか、そんなわけでは……あるが、その辺はオフレコで頼む。


 新川さんに連れられて案内されたのは、本日のイベント会場になるホールだった。
 大きさはバスケットコートくらいの大きさだが、天井も高く中央に設置されたステージも意外にしっかりしたもので、小さいながらもアリーナ型ホールといって差し支えの無いものだ。
 そのステージの中央には白い布が被せられた何かが鎮座し、そしてその横には会長の姿があった。
 白い布の周りをうろうろしながらうんうん唸っていた彼は、俺達の姿に気がついたようで「よう、来たか」と陽気に声をかけた……のだが。
 次の瞬間、会長の顔色が一気に変化した。
「新川。何をしている。料理の下ごしらえは終わったのか?」
 ここまで案内してくれた新川さんに対しては礼をするでもなくつっけんどんにあしらった。
「お客様がお見えでしたので、案内をしておりまして……」
「それは俺の仕事だ。いいから早く戻れ」
「……畏まりました。では、わたしはこれで」
 逃げるように新川さんはその場を立ち去った。
 再び悪くなった空気で俺は古泉の言葉を思い出した。機関の人間をかなり嫌っているというのはどうやら本当のようだ。
「失礼した。新川の無礼、お許しいただきたい」と、自ら謝りながら場の空気を入れ替えるように話題を切り替えた「どうだ、我が家は。自慢ではないがこの周辺でこれ以上の家はそう多くはあるまい」
 会長に、俺も話を併せることにした。
「たしかに、素晴らしいと思います」
 これ以上の邸宅として真っ先に思い浮かんだのは鶴屋さんの家だったが、由緒正しい日本家屋の鶴屋家とはまた違う赴きなのでどちらがどうと一概に言えるものではない。
「ふ、そうだろそうだろ」
 お世辞に気をよくしたようだ。結構単純なのかもしれない。
「それで、何をしてたんですか? その白い布の前で何かしてたようですが。というかそれは何ですか?」
「これはだな」と言いながら、隠していたと思われるその布をいとも容易く引っ張る。
 青銅の台座の上に居座るのは、黄金に輝く女神像。大きさはほぼ等身大で、台座に乗っている分俺達よりも頭一つ、いや五つ分ほど高い位置にあった。
 両手を前に出し、何かを冀うかのようにしてひざまつくその姿は、女神を模していると言う事もあってか神秘的に感じる。
 一体どの女神がモデルなのかね。アテナとか、ヴィーナスとかか?
「ヘラだ」
 ヘラ……ヘラ……とんと記憶が無い。
「――――オリュンポス――――十二神…………――――筆頭――――ゼウス……――――の――――…………妻――――――」
「その通り。彼女は結婚の女神。その彼女の前でプロポーズを行い、永遠の愛を誓うのだ」
 グッと握りこぶしを作り力説した。会長も意外とロマンチストである。
「まさかそれだけのためにこの女神像を用意したと?」
「いや、彼女にやってもらう事は他にもある。おい!」
 会長が声をかけると、ゴゴゴッと音を立てながら金の女神像が沈み込んだ。よく見ると、その周りの床も一緒に下降している。どうやらここはエレベーターになっているようだ。
 そのエレベーターと共に下降しつつあるヘラの像は台座分の高さ……およそ一メートルほど下がった時点で停止し、頭の高さを俺達を同じ位置にした。
「この手の部分はな」会長は女神の両手を指差し、「ちょっとした窪みが掘ってあるんだ。何のためかというと、これをはめ込むための窪みだ」
 と言って、手にしていたリング――指輪のようなリングだが、頂上に爪のようなものがついていて格好悪い――を、その窪みに当てはめた。リングはその窪みにしっかりと入り込み、ちょっとやそっとのことじゃ動かないくらいピッタリ埋もれている。
「これに合わせて作ったんだから当然だな」
 で、その指輪みたいなリングは何の余興ですか?
「こうするのさ」
 今度は懐から出したケースを開けた。天窓の光を受けて青緑色に光るのは……先ほどの店で貰い受けた宝石。
 丁寧にソレを取り出し、傷をつけないようリングの中央に持っていき、爪に引っ掛けて微調整。少し離れて見てはまた調整しなおしを繰り返し、「よし」納得したのか満足げに頷いた。「これで即席婚約指輪の完成だ」
 なるほど。確かに指輪だったようである。宝石が大きくてアンバランスな感はあるものの、婚約指輪と言われればそう見えなくも無い。
 だが、一つ気になる点もある。
「爪に引っ掛けてるだけじゃすぐ外れてしまいそうですが、本当に婚約指輪として使えるんですか?」
「即席と言っただろう。本物の婚約指輪じゃない。これは我が家に伝わる儀式なのだ」
 儀式?
「結婚の女神から受拝領した指輪……それも家宝の宝石をあてがった指輪を、求婚する女性に託す。これが我が家伝統のプロポーズの方法だ」
 なかなか手の込んだプロポーズである。
「喜緑さんには何も伝えてないのですか?」
「当然だ。サプライズイベントだからこそ価値があるのだ。皆に賞賛されながら俺のプロポーズを受け入れ、はにかむ喜緑くん……どうだ、最高だとは思わんかね?」
 もし喜緑さんが会長のプロポーズを受け入れなかった時の空気の不味さの方が最高に面白そうだが、さすがにこの場で言うわけにはいかないので声を押し殺す。
「本日のメインイベントはその儀式だからな。楽しみにしてくれたまえ」
 ええ。楽しみにしています。色々と。
「説明は以上だが、他に見たい場所や聞きたいところはあるかね?」
「すまない、少し知りたいものがある」
 申し訳なさそうに手を上げたのは、以外にも藤原だった。
「先ほど床が下がっていったが、あれはどういう仕組みで動いているんだ? どういったときに使われるんだ?」
 どうやらエレベーターの仕掛けに甚く興味深々のようである。
 それに対し「ああ、奈落のことか。なんてことはない普通のエレベーターさ」と至って尋常の答えを返す。
「いや、そうではなく……どうやって床が動くのかとか、せり上がるのか……僕にはよくわからない」
 もしかしてエレベーターがどういうものか分かってないのか?
「そうだな……なら見てみるか?」
 ということで、俺達全員エレベーターに乗って降りることになった。

 男三人と女一人、そして金の像が乗ったエレベーターは会長の一言でゆっくりと下っていった。地下は闇に閉ざされ――というほど暗いわけではないが、それでも吹き抜けから太陽の光が入ってくる上の階に比べれば暗いと言わざるを得ない。
「うお……これは……なんというか……結構揺れるな…………」
 藤原はやっぱり乗ったことがないのか、珍奇な声を上げて物珍しそうに声を上げている。未来にはエレベーターが無いなんてことはまずあり得ないのだが、単にこいつが知らなかっただけだろうかね。
 やがてエレベーターは地下の床へと降り立つ。コンクリートむき出しの壁と申し訳程度の照明が、この部屋の雰囲気を寒々としたものにさせていた。
 エレベーターの周りには大なり小なりの機材や工具が点在しており、壁際にはエレベーターの制御盤と思われるボックスがある。少し間を取ってあるのは、これまた大小様々なダンボール。何が入っているのかまでは暗くて見えないが。
 所謂、舞台裏って感じの光景である。
 そして、裏方として働く人物が二人。一人は制御盤の前で何やら動かし、もう一人はダンボール箱の整理をしている。暗くて少々分かりにくいが、輪郭やこれまでの登場人物から推測することは可能であった。
 俺はその内の一人、エレベーターから近かった壮年の男性に声をかける。
「圭一さん……ですよね?」
「おや、キミは……久しぶりだね」
 声を聞いてはっきりした。別荘のオーナー兼パトカーのドライバーという異色の肩書きを持った『機関』の諜報員、多丸圭一さんに間違いない。
「どうしたんだい、こんなところに現れるなんて」
 ああ、それはですね……
「余計な話をするなっ!」
 再び会長の檄が飛んだ。
「彼らは俺の客人だ。お前ごときが口を聞くなど、どういうつもりだ」
「……申し訳、ありません」
「わかったら口を開くな。俺の言うことだけ粛々とこなせ。いいな」
「了解、致しました」
 会長の『機関』の人間嫌いはとことん徹底しているようだ。新川さんの時もそうだったが、少し会話をするだけでこんなに怒るなんて……
「お前も、分かっているな」
「……はい」
 逆の方向を見れば、大小様々ば箱を整然させていたもう一人の人物――もちろん多丸裕さんだ――が、彼に侍りながら答えた。
「それより屋根の修理は終わったのか?」
「いえ、まだですが……」
「何をやってるんだこのトンマどもが! 今日中に直せと言ってたはずだ!」
「ですが、こちらの……エレベーターの調整も必要かと」
「言い訳はいい。さっさと直せ! 日が暮れるまでにな!」
「……わかりました」
 またしても場の空気を悪くしながら、その原因ともなった多丸さん達兄弟はすごすごと奥にあったドア――階段が見えるから多分上の階に繋がっている階段だな――から出て行った。
 ふう、と溜息をついた会長はまたしても俺達に詫びを入れ、
「ここはこんなもんだ。あまり人様にみせるような場所ではないんだがな」
 トストスとエレベーターから降り、先ほど圭一氏が調整していた制御盤の前で
「これで上げ下げができる。パーティのクライマックスで操作する予定だ」
 そこで指輪を取って喜緑さんに渡すってわけか。
「その通りだ」
 ふうん、色々な演出を考えるものだ。
「演出なら他にもあるぞ。スポットライトやドライアイスなんかも手配済みだ」
 やれやれ。そこまで出来れば喜緑さんも本望だろう。
「……ふ、そ、そう思うか?」
 ……あ、会長赤くなってる。宝石と同じだ。
「う、うるさい」
 怒ったり照れたり、忙しい人ではある。


 そんなこんなでもう一度舞台の上へとのり、エレベーターを元の位置まで戻した。ちなみに操作主がいなくなった制御盤の前でスイッチを押したのは藤原。操作してみたいと言う本人たっての希望でこうなった。
 操作といってもボタンを押すだけなので特に難しいことも無い。会長も二つ返事で藤原の要望を受け入れた。
 ゴゴゴゴゴと音を立てながら上昇するエレベーター。徐々に近づく太陽の光。暗いところにいたせいかやたらと眩しく感じる。
 目が眩みそうになりつつも、地上の光恋しさに天窓を望み……
「ん?」
 何かが光を遮った。
「あー! みなさんこちらにいたんですか!」
 プンスカと怒りながら、手にしたモップをトンと床に突くその影は――橘!?
「何をしてるんだお前その格好で!?」
「えへへ、どうですか? 森さんからこれに着替えなさいって言われて」
 エレベーターが上の階についたころ、視力が完全に回復した俺はその不可思議な姿に思わず問い返してしまった。あろうことか、橘は森さんとおそろいのメイド服に身を包んでいたのだ。
 いや、心持ちエプロンとカチューシャのフリルが多い気がするが……気のせいか?
「そこら辺は森さんの趣味なのです」
 多分、と注釈をつけた。「森さんはああ見えてそユーモアがある人ですから」
 マジか古泉?
「恐らく、橘さんの仰るとおりだと思います」
 古泉は俺に近づいて耳打ちした。
「(彼女には他人を和ませる効力があります。森さんはそこを見込んだのでしょう。ほら、会長の『機関』嫌いの一件もありますし。自分の仕事を手伝わせると言うよりは、むしろエンターテイメントとして会長の心を解そうとお考えのようです)」
 むう、と内心舌を巻いた。こいつの言うことも最もな気がしたからだ。
 そして当の橘だが、会長の前で立ち止まり、ぺコリと頭を下げた。
「こちらの掃除をするよう仰せつかって参りましたので、よろしくお願いします」
「客人に仕事をさせるなど、一体どういうつもりだ……いやまて。これはヤツの……そう言うことか。ふふっ、あの女狐、色々と企んでやがる」
 一頻りブツブツ言った後、「森がやるよりはマシだろう。よろしく頼む」と頭を下げた。
 完璧無比な妙齢のメイドより、ややもすると全てを破壊しつくしかねないKYメイドを称えるとは、さすが『機関』嫌いの会長さんである。さっきあれほど橘の変態っぷりを目の当たりにしたと言うのに、なかなか大した人である。
 或いは……悔しいが、橘や古泉の言ったとおりの展開なのかもしれない。


「ついでと言っては何だが、この辺りの見回り……平たく言えば警備もお願いしたい」
 警備? 昼間から? 俺がそう聞くと、
「そうだ」愉快そうに口を歪ませた。「『機関』の人間がいるからな」
「……さすがにおいたが過ぎますよ」
「怒るな。ちょっとした冗談だ。器物破損はしても、窃盗までは範疇外だろうしな。アハハハッ」
 古泉が唇を噛むのが目に見えて分かった。珍しく顔がマジになっている。あの古泉がここまで敵対心を露にするなど、余程のことがないと現れないはずだ。
 それに、いくらなんでも会長の『機関』嫌いは度が過ぎている。はっきり言って異常だ。後でもう少し詳しく聞いた方がいいかもしれない。良くないことが起きなければいいがな……
「ともかく、警備もよろしく頼むぞ」
「はあ、でも森さんに色々仕事を頼まれていますので……サボると怖いですし」
「むう……それもそうか。森を怒らすと後が怖いしな……」
 さしもの会長も、パーフェクトかつ年齢不詳のメイドさんは怖いようである。
「本当は俺自身がやればいいのだが、もうすぐ喜緑くんの迎えにいかなければいけない。こればかりは他の人間にいかせるわけにはいかないしな」
 チラと時計を見ると、もう十五時半になっていた。喜緑さんのバイトは十六時までと言うことなので、確かにそろそろいかないと彼女を待たせることになる。
「それまでの間でいい。誰か他に代わりはいないだろうか……」
「なら、僕が手伝ってやろう」
「藤原?」と俺。「どういう風の吹き回しだ?」
「パーティの時間までまだ結構あるのだろう? 暇つぶしにはもってこいだ」
「だが、客人に仕事をさせるなど……」
「あの、あたしはいいんですか?」
「森園生の管轄については治外法権だ」
 うむ、納得。
「うう……あたしってとことん不幸……」
 そんな橘の叫びは華麗にスルーされた。まあ当然だな。その代わりと言っては何だが、ずいっと前に出た藤原が、
「僕は一向に構わん。他に使える人間がいないのなら仕方ないだろう」
「そうか……まあ、確かに『機関』の人間よりはためになるだろう。わかった。では申し訳ないが監視の方を頼む」
「ああ、任せてくれ」
 となったわけだ。
「ポンジーくん、ありがとうございます!」
「いやあ、これほどのこと、お茶の子さいさいさ。なんならここの掃除を手伝ってやろう。一緒に頑張ろうではないか」
「ポンジーくんさっすが! 分かってる!」
 橘はモップとちりとりをポンジーに渡し、
「あたし他にも仕事あるからそっちやってきます! それじゃお願いね!」
 エプロンとツインテールをはためかせてこの場を去って言った。
「……へ!?」
「俺達も、いくか」
「そうですね」
「そうだな」
「――――戦線…………――――離脱――――」
 残るはモップとちりとりを手にした紋付袴姿のポンジーのみ。
「えええっと……僕は……一体何を…………?」
「掃除を頑張ってくれればそれでいいさ」と俺。
『変な下心は全て自分に帰ってくるぞ。今後気をつけるんだな』
 本当はここまで言うべきだったのかもしれないが、反省を促すため敢えて黙っておいた。


 その後は特に見たい場所もなかったので、このホールに程近いロビー兼休憩室で一人寛いでいた。
 そう、一人。
 藤原がガードマン兼会場の掃除係、橘が森さんの下働きに出たのは先にも説明したが、古泉も別途会長から仰せつかった買い物に出かけ、九曜はホールの外でマネキン人形と化していたのだ。
 ガラス製のドアを開けて休憩室に入る。部屋は俺の自室よりも二回り大きく、プロジェクターやブルーレイプレイヤー、インターネットに繋がるパソコンやコミックまで設置され、小さいながらも高級漫画喫茶と言ったイメージが近い。
 ただ一つ違うとすれば、漫画喫茶がパーティションで仕切られているのに対して、この部屋はパーティションどころか全てガラス張りで、廊下からも何をしているのか丸分かり状態ってことくらいか。
 俺はテーブルに設置されたPCの前に座り、適当にネットサーフィンをすることにした。学校のトラフィックとは異なり、非常に快適な速度である。
 これでガラス張りじゃなければ如何わしいイメージビデオがスイスイ再生できるんだが……その辺はぐっとこらえることにしよう。
 代わりに開いたページは、先ほど見せてもらった宝石、アレキサンドライトについてである。あの不思議な光り方をする現象に興味が湧いた。ちょっと調べて見よう。
 検索サイトを開き、キーワードに適当な言葉を入力し、サーチ開始。一秒も待たずに結果が現れた。検索結果の最初のページクリック。
 ええと、なになに……『アレキサンドライトの最大の特徴であるカラーチェンジは、赤色成分と緑色成分がほぼ同程度存在するために発生します』か。ふーん、イマイチよくわからんな。
 マウスのホイールを回し、ページをスクロールさせ次の文章を読む。
『蝋燭や電球など、赤みの強い(色温度の低い)光の前では赤色となり、太陽光や蛍光灯など、青みの強い(色温度の高い)光の前では緑色に光ります』
 ふむふむ。確かに説明されたとおりだ。ではなぜそんな風に光るんだろうか。次……っと。
『アレキサンドライトは含まれるクロムの影響で黄色と紫のスペクトルが』
 カチッ。
『スペクトル』と言う言葉が出た時点でこのページを閉じることにした。難しい言葉にはついていけん。
 その後も他のサイトを見渡したのだが、結局書いてあるのは同じようなことばかり。詳しくかかれているサイトは波長がどうたらとか分光分析がどうたらと、やたら難しくなるのでそこで読むのを断念する。
 まあ、いっか。光の色で宝石の光り方が変わるってことで十分だ。それがわかっただけで良しとしよう。実は最初に会長から説受けた説明以上の知識が身についたわけでもないんだが。
 それはそれとして、パーティの開催までまだ一時間以上ある。何をするかね。
「寝るか」
 本当は帰って試験勉強の続きがしたいのだが、ここまで来たら帰らせてくれそうも無い。話し相手もいないし漫画を読む気にもならん。それに朝から橘のテンションに当てられっぱなしで少し疲れた。
 休むのも受験生にとっては重要な仕事だ。特に勉強ができない今としては打ってつけだ。
 ここで俺は近くの三人がけソファーに移動する。肘掛に頭を乗せ、ガラス越しに廊下を見ながらボーっと寝転んだ。
 ここからは大ホールの扉、そしてそこに連なる廊下が見渡せる。先にも言ったとおり、九曜は入り口前で身じろぎせずその場に立ち尽くしている。身動き一つ取らない姿はザルな守衛といっても過言ではない。
 そして何分か置きに往来するのは橘。手に抱えているのはモップだったり大きな皿だったり、よく分からん工具箱だったり……森さんに言われて何か運んでいるのだろうな。
 その他にも新川さんや多丸さん兄弟も訪れては出て行く。色々と手にしているようだが……ん、あのでっかい竹は何に使うんだ? 後で聞いてみるか。
 因みに藤原の姿は見えない。恐らく中で警備、あるいは橘に使われて仕事しているんだろう。
 しかし、皆が皆忙しく働いているのに俺だけこうも惰眠を貪っていいものかね。とは言え働く気は全く無いからやっぱりこのまま動かないわけだが。ふぁあ……いかん。本気で眠くなってきた。
 ガラスで遮られながら、しかし微かにパタパタと鳴る足音を子守唄にして俺の意識はそのまま途絶え…………



「起きてください。そろそろ式が始まりますよ」
 そう言って起こされたのは、十七時も半分が過ぎていた。外はすっかり暗くなり、ガラス越しに見える廊下も人工の光で照らされている。
 俺は寝ぼけ眼で起き上がり、声をかけた人物――古泉に視線を送った。先ほどまで私服だった彼のスタイルは、何時の間にかダークグレーのスーツに変わっていた。もしかしてパーティための正装だろうか?
「いいえ、平素の格好、略装で結構ですから。お構いなく」
 略装を通り越してカジュアルスタイルで出席してもいいのだろうかね。まあ古泉が良いって言うならそれでいいのだろう。必要なら『機関』が全て用意してくれるはずだ。
 とは言え、跳ねているであろう髪を何とか戻し、くしゃくしゃになったコートは脱ぎ、襟を正してパーティに望むことにする。それくらいは常識だよな。
 ガラス製のドアを開け、俺が寝る前から一糸乱れることなくその場に鎮座していた九曜にも声をかけた。「いくぞ」

 会場は明るくも温かみのある色調で彩られており、冬だと言うのにそれを感じさせない光で覆われていた。
「これはLEDですよ」
 LED? 聞いたことあるようなないような……
「ライトエミッションダイオード。日本語で言えば発光ダイオードです。昨今のエコブームで取り入れられた新しいタイプの光です。この照明に使われる白熱球は数年後には製造が中止してしまいますので、その代替品として取り入れられたようです」
 ふうん。つまり明るくて消費電力も低い照明ってことか。
「家庭用照明としての課題はまだ多く残っていますが、概ねその通りです」
 そうかい。
「さて、与太話にはこれくらいにして席につきましょうか。早くしないと会長に叱られます」
 その与太話を始めたのはお前なんだが、と突っ込む前に古泉はそそくさと自席に移動した。
 席は中央のステージを囲むようにして配置されており、そこに一番近い席に会長と喜緑さんが座ることになっている。俺達はゲスト扱いなので、やや後方のテーブルである。
 警備を終えた藤原、手伝いを追えた橘も既に席についており、俺達もそこに着席した。ちなみに橘は未だメイド姿のままである。着替える時間がなかったのだろうか。
「どうだ、橘。森さんにこってりしぼられたか?」
「…………」
「おい、橘?」
「……っへえ!?」
 おいおい、変な声を上げるな。どうせこれから出てくる料理のことばっかり考えてたんだろ。
「……うあう。そのとおりです。もう腹が減って腹が減って」
 白いエプロンの上を弄りながら、橘はやや疲れた様子で喋りだした。どんな仕事をさせられたのだろうか。
「パーティのセッティングはもちろんですが、何故か個室の掃除やベッドメイキング、おまけにペットの散歩と色々です」
 それはご苦労なこった。だがそれでこそ飯が上手いってもんだ。
「そうですね。頑張って平らげます。会長の家の資金がなくなるまで食べ尽くしてやるのです」
 そうか、まあ頑張ってくれ。
 などと他愛も無い会話をしていると、
「お待たせ致しました」
 開いた扉から出てきたのは、淡いブルーのパーティドレスに見を包んだ喜緑さんだった。肩や背中を大胆に露出したドレスと白いバラのコサージュがなんとも魅惑的である。
 その後ろ、ドアを開けていたのはなんと会長だった。そのままドアを閉め、彼女の手を取ってエスコートする姿はいかにも紳士である。自席まで到着した後も、喜緑さんの椅子をサッと引いて着席を促すのも忘れない。
あれほど不良じみたヤサグレ男がああも変わるとは。この状況をハルヒが見たらどう思うかね。ちょっと呼び出してやろうか。
「それだけはカンベンしてください。僕達も事後処理が大変なんですから」
 冗談だ古泉。泣くな。

 会長の挨拶と乾杯を皮切りに、表向き年始パーティは盛大に行われた。
 盛大といっても人数にして十人もいないから大盛況と言うわけにはいかないが、古泉の意味不明な説法に始まり、藤原のどこか抜けた常識、九曜の日常など話題に事欠くことはなかった。
 中でも食前酒を一気のみしてフラフラになった橘がいきなり会長に向かって『あたしを捨てるなんてひどいですぅ!』と大絶叫した時は腹を抱えて笑った。引きつる会長と朗らかな笑みを見せる喜緑さんのコントラストが絶品だ。
 なお、この後数分もしないうちに橘は撃沈した。彼女の楽しみにしていた料理はまだきていない。あれだけ最高級料理を食べると騒いでいたのに……かわいそうではある。
 その料理だが、会長が『最高級料理』と銘打っただけあり、俺が今まで経験したことの無いような豊穣の味わいで、舌鼓を十六ビートで叩きつけるような絶賛の嵐を口にした。
 もちろん素材だけではない。新川さんの料理もかなりのものであることは忘れてはいけない。会長は調理が下手だと詰っていたが、それは無碍に嫌おうとする彼の歪んだ心が成せる技であり、無論俺はこの料理に瑕疵があるだなんて微塵も思っていない。
 森さんはと言えば、おなじみの給仕係となってデカンターからワインを注ぐのに専念している。せっかくの年始パーティなんだから皆で楽しめばいいのにと思うんだが。まあ、あの会長がいる限り楽しくパーティなんかできないだろうな。
 残りの『機関』のメンバーである多丸さん達兄弟はこの場にいなかった。恐らくはエレベーターの上下搬送係りとして、この地下でスタンバイしているのだろう。
 全く、働き者のメンバーである。あれだけ嫌われているのによくもこれだけ健気に働けるものだ。
「皆様、お待たせいたしました。本日のメインイベントでございます」
 と、スピーカー越しの新川さんの声と共に辺りの照明が暗くなった。
「喜緑江美里様、当家の主人よりお渡ししたいものがあるとのことです。どうぞ、中央のステージにお寄りください」
 クエスチョンマークを点灯しながら、喜緑さんは会長に手を取られてステージ前まで行く。
「それでは……どうぞ!」
 声と共に照明が完全消え、代わりにスポットライトがステージ中央を照らし出す。瞬間、大地が割れたかのようにステージが開き、その代わりといっちゃ何だが白い煙がもくもくと吹き上がる。
 その煙を割って這い上がったのは、例の女神像。とはいえ、現状は白い布にかぶさっているが。
 ガシャン、と音を立てて一番上についた時、会長は白い布を勢いよく引っ張り――そしてようやく冒頭の時間軸へと繋がるのだ。
 延々長い思い出話で済まなかった。では早速本題に入ろうじゃないか。

 ………
 ……
 …

 ――ふふふ、あたしの出番でしゅね――

 若干ろれつの回っていない、状況判断を全く逸脱した声が響き渡った。
 声の主――答えるまでも無い。メイド姿のまま、何故かモップを手に取った……というより、フラフラしてるから支えられてと言った方が正しいか……橘京子。
「あたしが……はんにゅいんを……宝石を盗んだはんにゅいんを……探し出して見せましゅ……なんたってあたしは……めいたんてぇい…………なんれすから!」
 ああああ……あの馬鹿……酒飲んでるからいつも以上に空回りしてやがる。しかもご丁寧に昼間の与太話をまだ引き摺ってやがる!
「ほ……本当か……?」
 そして会長もそんな酔っ払いの言うことを信じるな!
「ふふふふ……まかせなしゃい…………真実は一つしかないんでしゅ……みてなさい!」
 そして橘は思ったよりもしっかりした足取りで、モップを構えた。


「悪の汚れ、おしょうじさせていただきまぁしゅ!」


『……………………』
 ふんと鼻息一つ鳴らした橘に対し、俺達は位相を揃えて三点リーダを紡ぎだした。
「ふぇへへへへへへ…………うみゅ…………」
 バタン。
「くう…………くう…………」
 場の空気を見事なまでに白くした張本人はそのまま倒れこみ、そして再び寝息を立てた。
「な、なあ…………一体どうすればいいんだこの場合…………」
 激昂していた会長も素に戻り、努めてシンプルなツッコミを入れるが……悲しいかな、誰も答えることが出来なかった。



 こうして、会長宅の家宝、アレキサンドライトが盗まれると言うハプニングと、その犯人を探し出すと言う爆弾発言のせいで、俺は年始早々橘の恐ろしさを嫌と言うほど知らされることになるのだった。


※橘京子の動揺(捜査編)に続く
 

橘京子の動揺(捜査編)

「あふ……ふあ…………おはようごらいますぅ…………んんっ……こころほれすかぁ?」


 会長宅の、とある客室。
 食前酒で泥酔状態になると言う不祥事を起こした橘京子。彼女が次に意識を取り戻したのは、そのベッドの上だった。
「起きたか。ようやく」
 やれやれと呟きながら、俺は座っていた椅子から腰を上げ、ベッドでもぞもぞしている彼女の元へと立ち寄った。
 俺だけではない。心配そうな顔で彼女の様子を見守る藤原、そして無表情ながらもどこか彼女を気にかけたような態度を見せる九曜、そして何時に無く真剣な顔をする古泉も一緒である。
「気分はどうですか、橘さん」
「ひああ……ちょっと頭がクラクラしますぅ……」
 そらまあそうだろう。何でかと言えば、
「食前酒とはいえコアントローを原酒のまま飲むなんて、無謀にも程があります」
「うう……だって良い匂いがしてたから……」
「良い匂いがしようと口当たりが良くても、お酒はお酒。一気飲みなど言語道断です。ペースを考えて飲むようにしてください」
 って訳である。
 ったく、何にも考えてないクセに食い意地だけはいっちょ前なんだから。もうちょっとでいいから後先の事を考えて行動して欲しいものである。
「ふいい……気をつけます……」
「くくっ、分かれば宜しいです」と、いつものスマイルを見せた古泉は、「そうだ、森さんが二日酔いに良く効く薬を沢山お持ちですので、理由を申し上げて少し分けてもらいましょう」
「ああ、そうだな」
 何故森さんが二日酔いに良く効く薬を持っているのか理由を聞きたい衝動に駆られたのだが、古泉の笑顔の奥底に潜む『聞かないで下さい。絶対に』と言う悲痛な叫びを感じ取った俺は適当な相槌を返すに留まった。
 ……まあ、聞かなくても何となく分かるんだが……
「では。少々お待ちを」
 軽快な足音を響かせながら、超能力少年はその場を後にし――残るは俺と藤原、九曜、そしてベッドで寝ている橘。
 因みにその『機関』の皆々様、そして会長と喜緑さん(つまりここにいるヤツ以外全員)は、大ホール手前の控室(パーティが始まるまで俺がいたところだ)にて待機中である。
 本来ならそのままパーティを続行してもいいのだが、あんな事件が発生した後では和気藹々と飲み食いできるものではない。興ざめだ。
 会長は早々にパーティを中止して現場保存と容疑者確保のために皆を一室に閉じ込め――俺達は橘の看病のため別室に行くことを許されたが――自らもその場に赴き、監視の目を光らせ動きを封じているのだ。
 念のために言っておくが、まだ犯人が『機関』の人たちと決まったわけはない。それどころか外部犯という可能性もあるのだが……会長は『機関』の連中が犯人と言って聞かないのだ。
 その辺は度が過ぎるほどの確執が二者の間にあるのだが、それに関しては俺がどうこう言うべき問題でもないし、言ったところで聞く耳持つわけでもない。
 その会長は先ほど橘が酩酊状態で言った電波な一言が耳に残ったらしく、『彼女に任せる。目が覚めたら推理してくれ。お前達も協力してくれ』と懇願してきた。
 さて、困った。
 前者はともかく、後者はどだい無理な相談だ。何しろ俺は女神像を見終わった後ずっと寝てたんだからな。
 だから会長に進言することにした。「『機関』の力を総動員して捜査すれば真犯人を探し出すことなんか造作もないんじゃ」ってね。
 しかし彼は頑なに拒否した。理由はもちろん潔癖なまでの『機関』嫌悪症によるものだ。むしろその『機関』が信用ならないから外部の人間に頼んでいるんだと諭されたくらいだ。
 ならオーソドックスに警察にでも任せればいいじゃないか。こうも進言してみたのだが、こちらは会長に加えて『機関』側も拒否した。表立っての理由は会長宅の世間体を気にしてとなっているが、恐らく『機関』の存在を公にされるのを嫌ってのことだと思う。
 やれやれ。俺にどうしろっていうのかね。
 真面目な話、本気で全てを橘に一任してみるか。コイツが勝手に推理して勝手に犯人を当てて、ソレっぽいトリックや最もらしい犯行動機を語ってくれれば非常にありがたい。
 もちろん健常者に対して斜め四十五度で突き進む橘京子のことだから俺の計画どおりには行かないだろうが、しかし外れたところで俺に被害があるわけでもない。
 ついでに森さんの再教育が始まって橘も真っ当な人生を歩むことになる。ハハハハハ、ラッキー。
「……いや、いくらなんでもやり過ぎか」
 さすがに良心が痛んだ。
 いくら空気が読めないイタイ子だと言っても、根はマジメ……でもないが……いや、ああ見えて友達思い……って程でもないが……いやいや、彼女にだって一つや二つくらいいいところが……ないなあ……。
 いかんいかん、弱気になってどうする。俺。
 ともかく、橘の存在意義がどうであれ、この事件を解決しなければ家にも帰れないし、いくら眠っていたからとは言っても俺は当事者の一人であることは変わりない。
 新年早々、さっそくの面倒事だが――しかたあるまい。
 真犯人……宝石を盗んだ張本人を見つけ出そうじゃないか。


「ふう……それにしても困りましたね。まさかこんなことになるなんて……」
 古泉が出て行って緊張の糸が解けたのか、橘はふうと溜息を漏らした。
「全くまさかの展開だぜ。一体誰のせいなんだろうな」
 言って懐疑的な視線をその張本人に送る。どうせこいつのことだから反省とか自覚とかそんな大層なことはしないんだろうが……と思ったが、
「うん、あたしのせいですよね、ごめんなさい」
 身を起こし、ちょこんとツインテールを垂らした。
 コイツから謝罪の言葉をかけるなんて珍しい。久々に自分の責任を感じているのだろうか。ちょっとしたサプライズだぜ。
「あたしが余計なことをしたばかりに迷惑をかけて。ポンジーくんにも迷惑かけちゃいました」
「あ、あんたは悪くないさ。僕がもっと注意すべきだったんだ」
「いいえ、そうは言ってもあたしがしでかしたことですし……九曜さんも、ごめんなさい」
「――――気にしない―――――気にしない――――…………一休み――――一休み…………」
「うん、ありがとう、キョンくんも、ごめんね」
「分かればいい」
 さしもの俺も、ここまで丁寧に謝られたらこれ以上言い返すことはできない。こいつにしては珍しく神妙な謝り方だったし、反省もしているようだ。これ以上彼女を責めてもしょうがないと思った俺は、
「過ぎた事は仕方ない。それよりも今後の対策を考えようじゃないか」
「そうですね、それがいいと思います」
「先ずは……そうだな、一人一人聞き込みを開始することから始めるか」
 フィクションだろうがノンフィクションだろうが、事件解決の糸口はこう言う地味な捜査活動から始まるものだ。めんどくさい事この上ないが、仕方あるまい。
 俺の言葉に、九曜も、そして藤原も首を縦に振り、そして
「聞き込み……ですか?」
 しかし橘だけは露骨に嫌な顔をした。いかにもやりたくありません、っていうオーラを醸し出している。
「誰にだって聞かれたくないものがあるものですし、それをむやみやたらに聞き出すのはあまり誠実な方法とはいえないのです」
 まあ、一理ある。目撃者が言いたくない事もあれば逆に捜査側が聞きたくないような内容だってあるだろう。しかし、そんなことを言ってては真実を追究することなど夢のまた夢だ。
「真実……って、そんな大げさな」
 大げさなものか。
「あたしとしては他言無用、関係のない方にはできるだけお話しない方向で事を進めたいのですが」
「他言無用といってもなあ……」
 ここにいる全員は既に分かりきったことなんだが。
「ええっ! そうなんですか!? あたしったらそんな恥ずかしいところを皆さんにお見せしたんですか?」
 何をそんなに驚いているのだろうか。そして宝石が盗まれたことで何が恥ずかしいのだろうか。
「いやだっ! 下戸なのがバレちゃう!」
 下戸……? 宝石と下戸に何の関連があるんだ?
「あのなあ……お前一体何をいってるんだ?」
 ――そしてこの後、彼女の恐ろしき解答が俺達を戦慄の渦に巻き込んだ。


「へ? あたしお酒に弱いからその対策をしましょうって話じゃないんですか?」


 ――確かに一気に飲んだのも悪かったですけど、でもそんなに濃いお酒なら前もって言うべきだと思うんです。
 ――だって『乾杯』って杯を乾かすって書くじゃないですか。残すのはルール違反なのです。
 ――それに森さんがどんどん注いでくれるからあたしもつい煽っちゃって……今考えるとどうして森さんがあんなに進めたか分かった気がします。あたしを酔わせるのが目的だったんですね。
 ――あたしを酔わせて何をする気だったのかしら。実は森さんってガチレズ? うん、あり得るわ。相手は年増のオバサンですからね。純真無垢のあたしの秘宝を狙って……きゃー、危なかった。
 ――キョンくんのおかげで助かりました。あのままだったら純潔が奪われたかもしれません。感謝します。
 ――あ、でも。まさかあたしの寝ている時に操を奪ったりなんかしてませんよね……って、どうして床の下で寝てるんですか? 風邪引きますよ?


『健常者に対して斜め四十五度で突き進む橘京子』
 ふと、俺自身が発言した言葉を思い返した。
 そうなのだ。コイツはこう言うヤツなんだ。
 油断すると足元を救われる。常に気を配らないと、何をしでかすかわからんヤツなのだ。
 と、思い込みに自省を促しつつ、俺は若干冷たいフロアカーペットから何とか立ち上がり――

「――――酒席の……前には――――牛乳を飲む…………――――これ……常識――――」
「そうなんですか九曜さん?」
「もちの―――ろん…………――――忘年会の――――シーズンには…………欠かせない――――」
 忘年会のシーズンって。もう年は明けているぞ。それ以前に未成年の飲酒は法律で禁止されているから俺達には必要ないだろ。
「そ、そうだったのか……僕はオーソドックスにウ○ンやヘ○リーゼを服用していたのだが……これからは試してみることしよう」
「ああ、胃に膜を作るってもっぱらの噂ですしね」
「それ――――は…………――事実と――違う……――」
「ええっ! ウソ! あたしずっと信じてたのに! 何がどう違うんですか!?」
「――――ググレ…………カス――――」
「ふむふむ……忘年会のシーズンには牛乳……と。根拠は『ググレカス』と。なるほどなるほど……」

 ――そして再び突っ伏した。

「あれ? キョンくんまたオネムですか? よかったらこのベッド使いますか?」
「一緒に――寝る…………――――添い寝…………――――むしろ夜這――――――――」
「きゃー! 新年早々大胆! いわゆる『姫始め』ってヤツですね!」
「なっ! そんなこと僕が許さん!」
「…………」
 なおもキャーキャー喚く三人に対し、心の奥底から切に願った。
「……頼むからアホに水準を合わせないでくれ……対応できん……」と。


「まあ……お酒に強い弱いは大学に入ってサークル活動でもし始めてから考えることにしてだな、」
 このまま寝ていてもどんどん道が逸れるだけなので、重い腰を上げて何とか話を正常化しようと思う。本当は古泉の仕事なんだが、席を外しているので仕方ない。
「取敢えずは宝石を盗んだ泥棒を捕まえようぜ」
「へ!? 泥棒!?」
 何故か驚いたような声をあげた。
「泥棒って……何のことでしょうか?」
 何を言ってるんだ、今更。
「だから、あの宝石だよ、会長が自慢していたあのアレキサンドライトって言う宝石」
「はあ、それは知ってますが」
「それが盗まれんだよ、いいか。ここまでは分かるか?」
「ああ、そう言えば何となく記憶の片隅に…………え?」
 何かを思い出すような素振りを見せた後、
「えーーーーっ!! あたっ…………あたたたたたっ…………」
 激しく絶叫し、そして頭を押さえて蹲った。二日酔いなのを忘れてたな、こいつ。
「あたっ、あたった……あたっし、知りませんよっ! 全っ然! 記憶にありません!」
「つまり酒を飲みすぎて、あそこで何があったか覚えてないわけだ」
「あうっ」と微妙な声を出した彼女は、「……じ、実はそうなんです……」
「ってことは、あの時お前が言った事も覚えてないのか?」
「はあ……あたし何か変なこと仰いましたか?」
 ふう……これだからこやつは…………何で一から十まで説明せんといかんのだ?
「あのな、犯人を見つけ出すんだとよ。お前が」
「……へ?」
「だから、お前が、宝石を盗んだ、犯人を、捕まえるんだ。わかったか?」
「…………」
「おい」
「…………」
「聞いてるか? たち」
「えーっ!!!」
 絶叫で再び頭を押さえて蹲った。学習能力無いのかお前は。
「ど…………ど…………どうするんですか!」
「自業自得だ。頑張れよ」と言おうとしたが、残念ながら問い掛け先は俺ではなかった。
「ぽ、ポンジーくん!」
「えええっ!? ぼ、僕!?」
 自分に振られるとは思っていなかったらしく、ポンジーこと藤原は頓狂な声を上げた(俺じゃないのか?)。
「だって! だって! あの宝石……あの宝石……ぐす」
 あーあ。泣かせたよ、こいつ。
「いーけないんだ――――――――イケメン…………だ――――――」
 九曜、若干古いぞ。
「わ、わかった! 僕も協力しよう! 協力するから泣かないでくれ!」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、何とかして犯人をねつ……熱情的に探そうじゃないか。それに僕はあそこで警備をしてたし、よくよく時間を振り返って現場を確認すれば、きっと犯人をでっ……デッドエンドに追い込めるはず!」
「本当の、本当ですか? あたしのために協力してくれる?」
「ああ、僕の辞書に『禁則事項』という言葉は無い!」
「やったぁ! それじゃあお願いします!」
「ま、任せておけ!」
 橘の黄色い声援に、若干顔を紅くする藤原。あーあ。見事につられたな。
「キョンくんも、捜査お願いします。決して足手まといにはなりません。直ぐに見つけ出してやります」
 橘にそれが出来るかどうか甚だ疑問だが、当の本人のやる気だけは買おう。それに元々捜査には協力する気だったしな。早く犯人を見つけて帰らせてもらおう。
「九曜さんも、よろしくお願いしますね」
 というものの、部屋の隅でオブジェと化した九曜はただただ無言。しかしこいつの無言は基本的に肯定の返事だけどな。
「というか、九曜に真相を聞いた方が早いだろ。犯人が誰なのか教えてくれるはずだ」
 すっかり忘れていたが、九曜は広域宇宙に蔓延る超高度情報集積体の末端、万能宇宙人である。今回の事件の真相も最初から最後まで全てお見通しのはず。その彼女に話を聞けば犯人も誰だか直ぐにわかるってもんだ。
 これで一件落着だ……と、思ったのだが。
「ダメですっ! 九曜さんに聞いちゃ!」
 否定したのは橘だった。「どうしてだ?」
「そ、それは……ですね、ポンジーくん、お願い」
「宇宙人の力を借りて事件の真相を探るのは簡単だが、それはチーティングに等しい行為だ。僕達人間が起こした事件は、僕達人間の手によって解決すべき。そう思わないか?」
 いや、全然。
「ふっ、これだから過去人形は嫌いなんだ。規定事項は規定事項であ」
「九曜、真相を教えてくれ」
「人の話を聞きやがれぇぇ!!」
 こいつの叫びは無視。既定事項だろうが何だろうが、メンドクサイことに構ってられっか。誰が何と言おうと楽な解決法を取る。
 俺の問い掛けに九曜は一瞬天蓋の方向に目を向け、そして再び俺の方に視線を落とし、一言。
「…………――――真相解明――――不能……――――」
 は?
「どうしてだ?」
「――――ジャミング――――発生した――――――――恐らく…………――――喜緑――――――江美里――――――の……………妨害…………――――」
 どうして喜緑さんがそんなことを?
「恐らく、あの時のことをずっと引き摺っているのだろう」
 ――ああ、なるほどね。
 二年生になって間もない春。佐々木に呼ばれて駆けつけた喫茶店での出来事。
 持ってきたコーヒーをテーブルに置こうとした喜緑さんと、それを拒否した九曜。
 素人目にはそのようにしか映らなかったのだが、そこでどのような攻防があったのかは定かではないのだが……二人の間に確執が生まれたのは確かだった。
 今回も特に変わりなく接しているように見えた二人だったが、その確執が未だ張り込めているのかもしれない。多分、互いの力を制止しあっているかのように。
「だとすると、九曜の力を借りるのは無理か」
「ふっ、だから言ったじゃないか。これは規定事項だって。僕たちの手で解決しなければいけないんだ」
 若干自慢気に言うこいつが憎たらしかったが、そう言うことなら仕方ない。
「俺達だけで真相を解明していくことにするか。それでいいんだろ。藤原、橘」
「おう」
「はいっ」
 俺の言葉に、威勢良く返答した。


 ここから先、なるべく真剣に物事を進めるため余り面白くも無いかもしれないが、その辺はご了承していただきたい。
 橘辺りが的外れなことを言うかも知れないがその辺もお約束と言うことで一応断っておく。



「まずは簡単に事件の成り行きを説明致します」
 ホワイトボードに赤のマーカーで『宝石盗難事件対策本部』と書いた即席メイドは、頭痛でのた打ち回っていた先ほどとは打って変わり、冬眠から目が覚めた蛙の如く元気に文字を書き連ねていった。
 古泉が持ってきた『良く効く薬』とやらの効果は抜群だったらしい。
 因みにこのホワイトボード、会長の『事件解決のためになるなら家にあるもの何でも使ってもいいぞ』という寛大なお気持ちによって貸与されたものである。感謝感謝。
 ただ……何でも良いといったものの、会長が身に付けていた伊達眼鏡を借りる必要はどこにあったのかね、橘さん?
「雰囲気作りなのです」
 ふふん、と眼鏡の鼻をを押さえながら自慢気に答えた。やれやれ。
 若干どころか大部分の思考がイミフな彼女ではあるが、それでも何をすべきなのかは自分なりに把握しているらしく、続けて「経緯」と書き込み、同じく会長に用意してもらった指示棒でパンパンと叩くと、
「本日、一月一日。ここ会長さん自宅、大ホールにおきまして、家宝のアレ……アレ……アレ何とかという宝石が何者かによって盗まれてしまいました」
「アレキサンドライト、な」ちょっとは覚える努力をしろよ。
「んん……! もうっ! ガヤ厳禁ですっ!」
 ガヤってお前……いや、ここで更に突っ込んだら話が余計こじれる。
「続けてください、名探偵橘京子様」
「ま、いいでしょう。それでは続けます」
 KYなメガネ姿は鷹揚に頷いた。
「当時、宝石は会長さんがご用意した指輪にはめ込んだそうで、その指輪は金色の女神像の両手に設置されてたそうです。また、この時からパーティが始まるまでの間、女神像には白い布が被されていたそうです」
 俺的注:橘の説明に「~そうです」ってのが多いが、これは現場に居なかった橘が人づてに(正確には藤原に)聞いた話だからである。
「宝石はそれまでこの家にあったわけではなく、行きつけの宝石店に管理の意味もこめて預けてありました。と言うことは、犯人はたまたま泥棒に入った盗っ人さんではなく、事情を知る内部の人間だと思われます」
 橘の説明に、皆が頷いた。クローズドサークルと言うほど閉鎖された場所で起きた事件ではないが、上記のこともあって外部の犯行を決めつけるにはかなり無理がある。
 考えても見て欲しい。真っ昼間から自分の身長の二倍はありそうな柵を越え、身を隠すところもない庭園を突っ切り、そして誰がいるとも解らぬホールへと侵入し、あまつさえ布に覆い隠された宝石を盗む確率が如何ほどのものか。
 それよりは、内部の人間が犯行を起こしたと考えた方が信憑性が高い。
 恐らくは……会長との軋轢がある、『機関』の人間。会長への嫌がらせのために宝石を盗んだと考えるのが一番理に叶っている。
 しかし、何故『彼ら』が……俺なんかよりも人間が出来ているはずの『機関』の彼らが何故こんな事件を起こしたというのか……? それだけは未だ謎である(本当に彼らの犯行なのか?)。
「この事件のポイントは二つあります」
 そんな俺の心情を余所に、橘は一人解説を続ける。
「まず一つ、犯人はどうやって宝石を盗んだのか。そしてもう一つ、いつ宝石を盗んだのか。この二つを見極めることが事件の真相を暴く鍵となるでしょう。まず最初の疑問ですが、」
 ここで一旦言葉を切り、手にとった黒マーカーでデッサンをし始めた。何の絵かと言われれば、女神像の絵である。
 チョコチョコっと書いた程度の下絵に過ぎないのだが、なかなかどうして。芸術家の卵並に上手かったりする。天は二物を与えずとはよく言ったものだ。或いは人は見掛けに依らぬと言うべきか。
 その無意味なほどディテールに拘ったモノトーン画に対し、橘は全長や台座の高さを示す数字を書き込み、
「この女神像、等身よりも大柄な造りになっているのに加え、台座の高さも結構あります。つまり宝石があった女神像の両手の高さは、あたしはもちろんのこと、長身の古泉さんや会長さんですら手を伸ばしても届かないでしょう。そうですよね、古泉さん?」
「仰るとおりです」
 ツカツカとホワイトボードの前まで立ち寄ったスマイルくんは、青いマーカーで橘の書いた絵を指した。
「僕の目測ですと、宝石があった場所の高さは三メートルはあるでしょう。無論、手を伸ばしたところで宝石に手が届くのは誰一人としていないでしょうね」
「ジャンプすれば届くだろう」これは藤原の意見。しかしいつものスマイルで言葉を返す。
「確かに、助走をつけ渾身の力で跳躍すれば或いは届くかもしれません。ですが、あの指輪を外す程の力を込めるのは実質不可能かと思われます」
 俺もそう思う。あの指輪は結構きっちりと女神像にはまっていたからな。結構力を入れて抜かないと外せないと思うぜ。それにそんな乱暴なやり方で指輪を外せば被せてあった布に痕がつく。それこそ指輪を盗もうとしたことが丸わかりの、な。
「布を外した後に指輪を取ればいいじゃないか」
「いや、それも無理だ」
 何故だ、と言わんばかりに顔を顰める藤原に説明してやった。「その後、どうやって布を被せるつもりだ?」
 先にも言ったが、あの像は台座含め三メートル超のデカブツだ。その像に対して、どうやって元通り布を被せるつもりなのか。会長がやったみたいにエレベーターを下げて被せるならともかく、普通の方法じゃ綺麗に被せやしない。
「恐らく犯人は、何かしらの道具を使用して取り外したのでしょう」
「でも、そんな道具を使って大々的に取り外していたら、いくら何でも気付かれますよ、ポンジーくんに」
 これもその通りだ。椅子や脚立等に乗って被せるのは造作も無いことだが、そんなことをすれば間違いなく怪しまれるはず。
「うん、そのとおりです。ポイントは三つあります」
 橘は置いてあった赤のマーカーに持ち替えて、よく分かるチャート式参考書の如く赤い囲みを加え、連々と書き加えていったのが以下のものである。


 ☆ 京子のワンポイント! ⌒(^ー’)⌒b

 ・犯人はどうやって三メートルも上にある宝石をうばい取ったのか?
 ・犯行を遮る白い布をどうかわしたのか?
 ・警備員たるポンジーくんの目をどう潜りぬけたか?


「うわあ……」
 つっこみてえ。っていうかつっこまずにはいられない。
 ワンポイントの内容はともかく、その顔文字は一体何だんだ? しかも手書きかよおい。
「そ……そうだな……概ねそんなところだよな……」
 少し声が裏返っているかもしれないがカンベンして欲しい。
「そ、そうですね……中々要点をついた意見だと思います」
 努めて平然と言う古泉も、無理矢理細めた目の脇に流れる汗が俺と同じフィーリングであることを物語ってる。
 もう二人ともボーダーラインギリギリ、口から言葉が出かかっているのだが、ここで突っ込んだら負けであることを十二分に実感している俺達は賢者や仙人にも勝る精神力で押さえ込み、その顔文字を見てみぬフリをすることにした。
「ふむう、そうですよね。この辺の解明が犯人確保の足がかりとなりそうです。どうですかあたしの洞察力は!?」
 空気を読む素振りすら見せない達筆メイドはまたしても鼻を鳴らした。まあ……どうでもいいけど。
 それはさておき、橘が上げてくれたポイントもそのとおりなのだが、俺はもう一つ疑問に思っていることがある。しかし疑問と言うよりは違和感のレベルなのでまだ公にはできない。
 そうだな……もう少し捜査が進んだところで少しずつ公言していきたいと思う。
「犯行方法を探るのはここでは限度があります。後ほど事情聴取も行うことですし、犯行時間における検証に移りませんか?」
 古泉の提案に、皆が頷いた。もしかしたら早く話を変えたいだけなのかもしれないが、その辺は古泉の深層心理を汲み取っていただければ自ずと解るはずなので俺からは何も言わず、ただただ首を真っ直ぐ縦に動かすのみである。
「犯行時刻は皆さんがホールから出て行った時刻である十五時半から、同じくこのホールに人が集まり始めた十七時半までの間、この二時間の間に行われたのでは無いかと推測します。異論のある方は挙手をお願いします」
「異論ってほどじゃないが」と、質問する形で切り返す俺。「その時間は藤原がホールの警備をしてたはずだぜ。その監視の目をかいくぐってどうやって盗んだと言うんだ?」
「確かに」
 うん、と頷いた橘は椅子に腰掛けていた藤原にへと向かって歩き出した。
「あなたは会長さんご指示の下、ホールの監視を頼まれていましたね」
「ああ」
「では伺います。犯行可能な二時間の間に、誰がホールに来たか覚えていますか?」
「ええと……あのバトラーとメイド、それにあのエレベーター係の兄弟もいたな」
 要約すると『機関』の人間全員が訪れたことになる。
「すると、全員があの女神像に近づくチャンスがあったわけですね」
 そうなるな。
「ならば」
 何かを思いついたのか、橘はマーカーを手にとってホワイトボードの左上に「新川」と記入した。続いてその下に「森」。以下同様に多丸さん兄弟の名前も縦一列に書かれていく。
 その後、「新川」の文字の上から右端に向かって矢印を記入。右端に「17:30」、左端に「15:30」と書き、中央は「16:30」の文字が連なる。
 いわゆる、タイムテーブルってやつだ。
「よし、これでいいわね」
 ここで橘はマーカーにキャップを被せ、そのまま対面にいた藤原に突きつける。
「ポンジーくん、皆さんがホールに来た時間を書き込んで下さい。そこから犯行時間の割り出しをしましょう。ホールに来た時間これ即ちその人が犯行が可能だった時間と考えてよいでしょう」
 橘としては名案だった。時間の整理とアリバイ証明は犯人を見つける上で重要な手がかりとなるはずだ。
「ああ、わかった」とマーカーを受け取った藤原は、自分の記憶を頼りにホールに来た全員の時間を書き込んでいく。
 キュキュ、と、マーカー独特の筆記音だけが辺りに響き渡る。何故かって? 俺達が一言も発せずその様を見ているからだ。
 何かを思い出すような仕草をしては再びマーカーを走らせ、走らせては止めてを繰り返し――やがて、
「ん、こんなもんか」
 パチンと蓋をし、ホワイトボードを俺達の方へと向けた。
 それでは宝石盗難事件対策本部プレゼンツ、『家政婦は見た』ならぬ『警備員は見た』。
 本邦初公開!

 ……いやまあそんなに大したものじゃないが、とにかく見てくれ。


┌───────────────────────────────────┐
│                                                       │
│              ☆宝石盗難事件対策本部☆                      │
│                                                       │
│○客員がホールに向かった時間体                                │
│                                                       │
│     15:30<――――――――――16:30――――――――――>17:30      │
│                                                       │
│ 新川     <――――>                  <―――>          │
│ 森                               <―――――>           │
│ 田丸兄         <―――>                                 │
│ 田丸弟                                 <――>          │
│                                                       │
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└───────────────────────────────────┘

 さて、ここで何点か捕捉と注意事項をお伝えしたい。
 先ず一つ。各員がこのホールへと赴いた目的は種々様々でそれなりの名目があり、その場にいた藤原も当然それを知っている。本来ならその件に対して藤原に事細かく聞くところなのだが、とりあえず今回は省略することにした。
 何故かって言われれば、曖昧な伝聞しかない藤原の証言を聞くよりも、この後の事情聴取で各々に対して詳細を聞いた方が早いと思ったからである。藤原の証言はそこで照合すればいいしな。
 続いて藤原が書いた矢印に詳しい時間が書かれてない件だが、曰く「細かい時間は覚えてない」とのこと。ま、確かに都合よく時間だけ見てるわけにもいかないだろうし、仕方ないことではある。詳しい時間はやはり各々の取調べで追求していこうと思う。
 そして最後、ホワイトボードに書かれた漢字に間違いがあるのだが……それは書いた人物の人となりを思い起こしていただければ自ずと分かっていただけると思う。
 決して俺からは突っ込まないからな。絶対に。


「こうやって見ると、犯行可能時間の殆どにおいて、最低一人はホールにいたことになるんだな」
 気を取り直し、ホワイトボードを矯めつ眇めつ眺めていた俺は率直に感じた意見を口にした。
「ええ、そうですね」と、間に入ってきたのは眼鏡っ娘メイドのツインテール。
「何度も言いますが、ホールにはポンジーくんがいたはずですし、そう簡単に金品強盗を執行できるとは思えません」
 同意である。誰かが居ると分かっていて犯行に走る窃盗犯などまずいない。後ろめたい事をするなら目撃者はいないに越したことはないだろう、例えそれがプロのガードマンじゃなかったとしても、だ。
「念のために聞くが、怪しい行動をしている人は居なかったんだよな?」
 俺の問いに対し、
「特に怪しい行動をしている奴はいなかったはずだ。念には念を入れて、彼らと近接し仕事を手伝うフリをして監視も行ったが……それでも結果は同じだった」
 仕事を手伝うフリって、それは普通に仕事を手伝っているんじゃないのか……等という突っ込みはさておき。この証言は少々厄介かもしれない。
 何故なら、藤原は『監視』の名目で『機関』の皆様を見張っていたのだが、それは逆に『機関』の皆様のアリバイを成立させかねないってことになる。
 犯人が『機関』の人たちである理由もないし、あって欲しい理由もないのだが、もし全員に確実なアリバイがあった場合、事件は更に混沌の渦へと誘われることになる。長期戦は必死だ。
「ふむ……これは困りましたね。動機と言う観点からすると、『機関』の皆々様が犯行を引き起こしたと考えるのが妥当なんですが。これでは寧ろ無実を証明したことになります」
 本当に困っているのかどうだか解らないような表情で、古泉はにこやかに答えた。こいつにしてみれば、犯人が『機関』の関係者であって欲しくないはずだから当然と言えば当然なのだが。
 その微笑みを絶やさないスマイルくんはしたり顔でホワイトボードの前にやって来て、
「すると、怪しいのはこの時間帯ですね」
 と、十六時半前後を丸く囲った。ちょうど矢印の無い――つまり、『機関』の方々がホールに現れてなかった時間である。
 犯行に及べなかった時間と捉えることが出来るが――これも逆に言うと、藤原が一人でホールに居た時間――即ち、アリバイが無い時間帯と捉えることができる。
 つまり。
 疑っているのだろう、古泉は。藤原を。
「この時間、」
 俺の予想を裏付けるかのように、古泉は獲物を捕らえた猛禽類のように鋭い目つきで言葉を投げかけた。「あなたは何をしていましたか?」
 しかし、藤原も負けちゃいなかった。あっけらかんとした表情で言い放つ。
「手洗いに行ったよ、確か」
『は?』と、俺と古泉の声がハモった。
「ああ。そのちょっと前に天窓修理をやってて、外気が部屋の中に侵入して寒くなったんだ。それで尿意を催してな」
 手洗い……ねえ。
「それを証明できるヤツはいるのか?」
「あ、あたし知ってます!」
 突然、橘が低学年児童のように勢い良く手を上げた。
「実はその時間、森さんに頼まれて清掃しにホールに行ったんです。そしたら股を押さえてムズムズするポンジーくんの姿があったから『あたしが代わりに見てますからトイレに行ってください』って言ったんです」
「ああ、そうだったな。間違いない」
「で、あたしは掃除をしながらポンジーくんが帰ってくるのを待っていました。ホールに誰もいないのは問題でしょうから、その代わりに。それからポンジーくんが戻ってきたのは、時間にして十分くらいだったと思います」
 ん? ちょっと待て。
「用を足すのに十分も懸かったのか?」
 俺の真っ当な質問に古泉は再び猛禽類のように目を細めた。
「ホールから一番近いお手洗いは、ホールから伸びる廊下を少々歩き、控室の角を曲がったすぐ先にあります。普通に歩けは一分もかからない場所にありますが……いくら小用とは言え、どうしてそこまで時間が懸かってしまったのでしょうか?」
 しかし、藤原も待ってましたかといわんばかりの表情で答えた。
「手洗いがどこにあるかわからなかったんだ。初めての場所だからトイレの場所など知っているはずも無かろう。それにコレだけ広いと探すのも一苦労だ。迷って探し回った結果、十分を所要した。妥当な時間だとは思わないか?」
「ふむ……確かに、妥当でしょう」と古泉。「個人の邸宅ですからね。レストランや公共施設のようにお手洗いの案内が都合よく掲示されているわけでもありません」
 ならば、とその視線を即席メイドの方に向けた。
「橘さん。その十分間で不審者等の異常はありませんでしたか? それとも……何か隠してたりはしませんよね?」
「ひゃ! にゃ、にゃにゃ、にゃいです!」
 何故かどもった口調で返答した。……いや。
 理由は分かっている。古泉が放つ視線が未だ厳しいものだったからだ。さすがに森さんの放つソレとは比べるべくも無いが、不意にそんな視線を浴びせられたら萎縮してしまうに違いない。
 それに対し不満を感じたのが藤原だ。ヤツも古泉に負けず劣らず厳しい視線を送り返すと、
「そんな風に喰ってかかれば誰だってすくみあがるさ。彼女を容疑者扱いにするのはいい加減止めたらどうだ?」
 すると古泉はいつも部室で見せるような微笑みをフッと取り戻した。
「これは失礼。ただ、監視していたのがこの橘さんだと思うと少々頼りないものがありましたので」
 柔和に対応する古泉だが、しかしいつもながらの余裕がないように感じられた。理由は……何度も言うが、自身の仲間である『機関』の人間が容疑者扱いされているのが気に喰わないのだろう。
 藤原の監視によって『機関』の皆様の容疑が晴れそうになった時と、藤原に対する視線の鋭さからそれがありありと読み取れる。
 真相はどうであれ、古泉としては藤原を犯人に仕立て上げたいのかもしれない。確かにヤツはホールに一番長時間居たことからも重要参考人の地位を欲しいがままにしているし、空白の時間が全く無いとは言い切れない。
 だがな、古泉。残念だが藤原は容疑者になり得ないんだ。
 何故なら、彼には動機が無い。
 いくら盗む時間や暇があったとしても、動機が無いのに罪を背負おうなんてヤツはいないんだ。絶対にな(そう、絶対に)。
 それよりも、会長に虐げられている『機関』の人間が仕返しとばかりに宝石を盗んだと考えた方がよっぽど理に叶っている。『機関』の人間を助けたいのは解るが……もっと冷静になったほうがいいぞ。
 でなきゃ真実も霞んでしまうからな。

「つまり、」余裕の欠片が見られない古泉に代わって俺が指揮を執る。
「お前が警備している間、何も無かったって事でいいな」
「あ……はい。掃除がしている最中ポンジーくんが戻ってきまして、警備はそのまま引き継ぎました。後は残っている掃除を片付けていました」
 因みに、どんな掃除をしてたんだ?
「ええと……窓やテーブルを拭いたり、床を掃除機にかけたり、です」
 至って普通の掃除である。まあ普通じゃない掃除をする必要性は全く無いんだが。
「それが終わった後は、森さんの最終チェックがあるんで速やかに出て行きました」
 最終チェック? 何だそれ?
「お客様を招待する場所ですからメイド長の承認が必要なんです。ダメだったら再清掃なのです」
 で、合格だったのか?
「もちろん。これでも掃除洗濯炊事は得意な方ですから」
 どうだか……と口にしようとしたところで思わず噤んだ。見掛けに依らず料理が得意だと知ったのは去年の冬合宿のことである。家事全般もこなせる事もその時に聞いた。
「ともかく、森さんは最終チェックと料理の配膳のためにホールへと向かい、あたしは他に頼まれた仕事……客室のベッドメイキングですけど、それをずっとやってました。パーティ開始直前まで」
 そうか。つまりお前は十六時半前後に掃除にやって来た以外はホールに近づいてないって事だな。
「はい、そうです」
 そしてその間も、特に異常は無かったと。
「はい、そのとおりです!」
 何故か威勢の良い返事が返ってきた。
「そうかい。わかったよ。話がズレたが橘もシロって事でいいさ」
「分かってもらえて嬉しいです!」
 ええい近寄るな暑苦しい。
「…………」
 そして藤原、そんな目で俺を見るんじゃない。


「さて、少し話しは逸れてしまいましたが、あたしとポンジーくんの経緯はすでにお話したとおりですので、」
 再びケホンと咳をつき、元のトーンを取り戻した橘は、
「今度は皆さんに行可能時間何をしていたか聞くことにしましょう。先ずはキョンくんからお願いします」
 おいおい、まさか俺達まで疑ってるのか? 言っておくが俺はずっとあの部屋で寝てたんだぞ。
「念のため、ですよ」と橘。「犯人じゃなければ潔白を証明できるはずですからね。『疑わしきは罰せず』なのです。さあ、仰ってください。言わなければキョンくんを犯人にしちゃいますよ?」
 ったく、わかったよ。言えばいいんだろ。「あの後はホール横の控室でボケーッとしてたんだ。三十分くらいネットを見たりしてたけど、その後は眠くなって寝た」
「それを証明できる人はいらっしゃいますか?」
「そんなヤツなど……」と、口に出したところで思い出した。「九曜だ。入り口前でずっと立ってたし、俺の姿を見てるはずだ」
「本当ですか、九曜さん」
「――――――――真実…………トゥルース――――」
「ふむふむ。わかりました。キョンくんのアリバイは九曜さんの証言により成立していることになります」
 自慢気に伊達眼鏡を指の先でくいと動かした。
「だから最初からそう言ってるだろうが」
「実はあたしもキョンくんがあの部屋でお休みしているのを見てたんですけどね」
 分かってるならワザワザ聞くんじゃねえっ!
「うきゃん!」
 投げつけたイレイサーが顔面に見事ヒットした。
「ケホケホ……ちょっとした冗談ですって。そんなに怒らなくても……」
 余計な時間は無いって言ってるだろうが。早く他のヤツのアリバイを確認しろ。
「わ、わかりました……では古泉さん、あなたは何をしてましたか? 因みにキョンくんと違って、パーティ開始まで姿を見ませんでしたが、あたしは」
 橘がそう言うと、古泉はもたれていた壁から身を乗り出して、
「会長の命令で買出しに出かけていました。ここから電車を乗り継いで小一時間はかかる場所です。戻ってきたのは十七時を過ぎていたかと」
「買出し? 何を買ってきたのですか?」
「本日使用する予定だったパーティグッズで、足りないものがあったのでそれを買いに。購入したものは全て会長に手渡しました。もちろんレシートと一緒にね」
 レシートは購入品や値段の他、店舗名や店の所在位置、更には購入時間までかかれているのもある。それを調べれば古泉のアリバイが正しいかどうかも証明できるだろう。
「そうですね。レシートは会長さんにお願いして後から見せていただく事にしましょう。これで古泉さんのアリバイも確認できます」
「最後に……」と、残り一人の人物の方に目線が集中した。
「――――――」
「九曜さんは……ずっとホールの入り口の前に居ましたね、確か」
「――――そう――――――」
「ずっと、あの場所で?」
「――――そう――――――」
「二時間身じろぎせず?」
「――――そう――――――」
「退屈、じゃなかったですか?」
「――――空が…………―――――綺麗――――だったから…………――――」
「…………」
 止めとけ橘。九曜にこれ以上聞いても有意義な情報は出てこないぞ。
「そうですね。彼女が宝石に目移りする理由がありませんものね……はあ」
 何故か一息入れて、
「他の方の事情聴取、してみますか……」
「そうだな……」
「そうしますか」
「ああ」
 一様に同意する中、唯一九曜だけは
「――――そう―――――わたしは――――ここに――――いる…………頑張って――――」
 と言って非参加を申し出た。非常識的な能力で早期解決の要と成り得る九曜のアビリティは喉から手が出るほど渇望しているのだが、ジャミング機能とかにより力が発揮できないのならば話は別だ。九曜は九曜の好きなようにやらせておこう。


 と言うわけで、九曜を除く一同は河岸を変え、事件の現場となったホールへと向かうことにした。



 俺達四人の事情聴取――といえば聞こえがいいのだが、話がややこしく捩れて何がなんだか解らなくなった調書は後回しにすると言うことで、とりあえず次の仕事……他の容疑者である『機関』の御四方の事情聴取をすることになった。
 ここでアレやコレや話したところで机上の空論にしか過ぎないし、下手をしたら妄想に妄想を重ねた橘京子が犯人をでっち上げないとも言い切れない。
 冷静な判断と客観的に物事を見る眼。これが備わっていなければ事件なんて解決できないからな。この提案は妥当だと思う。
 聴取の方法は特殊なものではない。参考人を一人ずつ呼び出し、犯行時間帯の行動を検分し、虚実や他の参考人との整合性を判断するだけである。もちろん口裏を合わせないようにするため、控室には会長が監視の目を光らせている。
 聴取の場所として選んだのは例のホール。どうせ話をするなら実況見分も交えてした方が良いという古泉の案である。確かにその方が手間も省けるし、特に反対するやつもいなかったから即採用となった。
 ここまで決定した後、ふと携帯の時計を確認すると時刻は既に八時を回っている。本来なら今ごろおこたでぬくぬくしながらミカン片手に新春隠し○大会を見てるはずなのだが……今年も大厄がべったりくっついて離れないようである。

 会長に主旨を説明し、許可を得た俺達一行は会場だったホールへと向かう。中止となったこともあり照明は既に消されている。そのため唯一勝手を知っている古泉がこのホールの明かりを付けに先行した。と言っても俺達より数歩先ってくらいだけどな。
 扉を開け、真っ暗な闇の先を駆け抜けた古泉は、照明スイッチがあるだろう場所で何やらもぞもぞと蠢いている。どのスイッチを押すか決めかねているのだろうか。
 しかしそれも瞬きを二つ三つする程度の時間でしかなく、程なく眩いばかりの光がホール全体を包み込んだ。
 放射状に並ぶテーブル、その上に並ぶ料理の数々、そして何より金の女神像が大きく目を引いた。大きさもさることながら、ホールの中心に聳え立つその光景は邸宅の守り神と言っても差し支えない。
 しかし、何故だろう。俺はこの女神像がどこか寂しげに感じた。パーティを始める前は柔和で暖かみのあった女神ヘラの顔も、今となっては妙に寒々と感じて仕方ない。
 一家の象徴とも言うべき宝石が盗まれたことを嘆き悲しんでいるのか、それとも宝石を守り通せなかったことに対して悲観しているのか……。
「いえ、それは多分照明のせいでしょう」
 いつの間にか俺達に合流した古泉は変わらぬ笑みを宿していた。
「失礼。点灯させる照明を間違えたようです。切り替えてきます」
 再び入り口近くの電灯制御盤の前に戻り、指を滑らせてスイッチング操作を開始。
 するとどうしたことか、妙に寒々しかった電灯は一転、パーティが始まる前と同じく暖かみのある――視覚的に言うならば、蒼白色の光から橙色を帯びた白色へと変化していった。
「間違えて夏用の照明を入れてしまったようです」
 夏用の照明?
「ええ。最初の照明は夏の暑さをクールダウンするために青色を強めにしてあります。しかし厳寒なイメージの強い冬場では寒々しさを助長してしまい、より暗澹な気分へと苛まれるでしょう。女神像が寂しげに見えたのもそのせいです」
 なるほど。確かに照明が変わっただけで無機質な像の印象が変わるもんだ。青っぽいと冷たい感じがするし、黄色っぽいと暖かみのある表情が伺える。
「これもあれか? さっき言ってたエル……何とかって照明が色を変えたのか?」
「LEDですね」と古泉。「厳密に言うと単体のLEDはある一定の色しか出せません。しかしあの電球の中には何十個ものLEDが入っていまして、内半分が蒼白色、もう半分が電球色を出すように設計されているんです」
「なら、あの一つの電球で二色の光を出せるってことか?」
「そうなります」
 へえ、凄いんだな、LEDってのは。
 って、パーティの前にも言った気がする。
「もちろん欠点もあります、と、僕もパーティの前に仰ったと思いますが……今はその説明をしている暇はありませんね」
 ああ、そうだったっけか。
「一人目の参考人、新川さんがもうじきやってきます」
 ならば、こちらも襟を正して望もうじゃないか。容疑者であろうとそうでなかろうと、真実を突き詰めるのが俺達の仕事だ。それだけは肝に銘じなければいけないしな。
 わかったか、橘。冷えきったロールキャベツを頬張るんじゃない。


「失礼します」
 ご丁寧も扉をノックし、今や取調室と言っても過言ではなくなったパーティ会場に現れたのは第一参考人の新川さん。
「新川さん。今からあなたの取調べを行います。先ず最初にお断り申し上げますが、事実をありのままに申し上げてください。嘘を吐きますと、虚偽申告罪として『機関』からの制裁があるものとお考え下さい」
 古泉の朗々たる弁が俺達三人と、そして新川さんの耳元へと届いた。緒言こそ刑事ドラマで見るそれと同じだが、『機関』の制裁という意味深な言葉がきな臭さを感じさせる。
「わかりました。主に誓って嘘を告発することはございません」
 胸に手を当て、懺悔するように誓った初老の紳士はようやく椅子についた。
「まずは今日のあなたの行動について伺います。彼――藤原氏の証言によりますと、あなたは本日の十五時三十分から十七時三十分までの間で、二回ホールにやってきたそうですが」
「はい、間違いございません」
「何の目的でここに来たのでしょうか? あと、詳しい時間も解っていればお答えいただきたく思います」
「わかりました。先ず最初の来訪ですが……こちらは調理室に食材や器具を運ぶために何度か往復致しました」
 ここで俺からの補足。このホールは主要な客人をもてなしたり本日のようにパーティを開催する機会が多いため、別途厨房が設けられているのだ。
 出来た料理を温めたり最後の仕上げをする、簡易的な調理場と聞いていたが……。
「ホールに向かった時間は、皆様が退出なさった後から十分も経ってなかったと記憶しています。目的のものを配送し終え、ホールを出たのは、十六時前だったかと」
 先ほど藤原が書いたタイムテーブルを思い浮かべる。確かにそんな時間だった気がする。
「確かなのか、藤原?」
「ああ。嘘じゃない。そこそこ荷物が多そうだったから僕も手伝った」
 そうか……っていうか、結構いいヤツだな、お前。
「監視のためだ」
 曰く、自分は専らホールから厨房までを運ぶことに専念し、新川さんは別の場所にある本厨房からホールの入り口までの運びに精を出したということだ。
 つまり新川さんは殆どホールの中に入ってこなかったことになる。
「ふむ……なるほど。では新川さんがホールに入ったのは……」
「あちらの調理室に入った時が唯一ですな」
 朗らかな笑みを見せながら語った。
「とは言え、入り口から調理場まで一直線に移動しただけです。またそれ以降は調理場から離れず調理をしておりましたので」
 新川さんの弁に藤原も頷いた。
「次にホールに顔を出したのは、パーティ開始時刻の三十分前、つまり十七時頃だったはず」
「出来上がった料理の配膳のためにホールへと顔を出したのですね」
「ええ。仰るとおりです」
「なるほど」
 橘はやたら鷹揚に首を振り、
「失礼ですが、その間あなたはこの女神像に近づいたりはしませんでしたか?」
「そうですな……料理の配膳最中には近くに寄った事もありましたが、それも配膳作業があったが故。すぐさま通り抜けるか、或いは食器や料理を手にしておりましたので、女神像に手を出すことなど叶いませぬ」
「その時の様子は僕も見ていた」と、藤原。
「配膳作業は僕も手伝っていた。その間もできるだけ女神像に目配りしていたが、彼を始め怪しい行動を取る輩は他にいなかった」
 また手伝いですか。やっぱりこいつ、人がいいのか?
「だから監視のためだ」
 はいはい、わかったよ。
「と言うことは、新川さんはシロと言う事でよろしいですか?」
 確かにそうなるが……しかし、気になる点もある。それは老紳士の俊敏なドライブテクニックをまざまざと見せ付けられた俺の野性的なカンなのかもしれないが、どうしても確認したいことがあった。
「何かお気づきの点でも?」
 若干冷めた古泉の嘯きを敢えて無視し、俺は新川さんに向かって言葉をかけた。
「一度、そちらの厨房の確認をさせてください」


「どうぞ、こちらです」
 新川さんに導かれながら辿り着いたのは、部室より二周りほど広いクッキングルームだった。窓は無く、天井もホールと異なり普通の住宅一階分程度の高さしかない。
 部屋の中央には調理用の台や器具が所狭しと並び、部屋の奥隅には大型のガスコンロ。そしてその脇に並ぶ炭火コーナーと大型シンク。冷蔵庫やオーブンと言った台所必需品も業務用のそれである。
 調理の途中だったのだろう。下ごしらえを終えた肉やベストのタイミングで煮込んでいたスープ、それに詰め物をされた魚も現場保存されたままになっている。どれ一つとっても最高級素材だと言うのに、もったいない。
 この部屋に入るための入り口はホールからのものの他にもう一つ、勝手口に繋がるであろうドアがあった。
「ここ、開けても良いですか?」
 二つ返事で了承を貰い、ドアノブを捻る。すると、
「あれ?」
 てっきり外へと繋がるドアだと思っていたが、そこは簡素な小部屋だった。玄関と靴入れ、それに衣類をかけるためのハンガーが置かれている。
「いわゆる風除室と言う場所です。調理場と外を直結するわけには行きませんのでね」
 後ろから古泉の声。ふうん、そう言うものなのか。
「そのドアの向こうにあるドアが本当に外へ出るためのドアになります。ご覧になりますか?」
「いや、いい」
 よく考えたら外に出たところで女神像にアクセスしやすくなるわけでもない。無駄な調査である。
 ドアを閉め、元の調理場へと戻った俺は再び辺りを見渡してから気になった点を一言。
「そのダンボールが先ほど運んだものですか?」
「ええ。中身もご覧になりますかな?」
 こちらは念のため確認させてもらうことにした。もしかしたら犯行に使われるような道具が入っているかもしれないしな。

 俺達監視の元、新川さんがダンボールから順番に物品を取り出していく。新聞紙に包まれていたのは直前で調理するつもりだったのだろうか、野菜の数々。それに……。
「そこに隠れているものはなんですか? ちょっと取り出してください」
 冷蔵庫の裏手、黒い陰に隠れて見え辛いが大きい何かがあるのに気付いた橘は新川さんに指示を出した。新川さんは特に反対もせずその奥手に入り込んだソレを取り出し、俺達の目の前に示した。
「これは……竹ですか?」
「はい、孟宗竹ですな。さして珍しいものではありませんが」
 どこの家庭にでも一つはあると言わんばかりの素振りで申し上げた。
「いやあの、何に使う予定だったのでしょうか?」
「魚を焼く串、麺を伸ばす棒、汁類を入れる器……主にそんなところですか」
 よくよく見ると、竹が置かれていた冷蔵庫の横、そこには節で切断したものや長細く加工した竹がいくつも点在していた。
「新川さんは、竹細工にも精通していましてね。出来合いの調理器具を使うだけでなく、このように自分で加工する事もできるんですよ」
 古泉、そう言うことは早く言ってくれ。
「竹細工が今回の事件の本筋とは関連が薄いとは思いませんか?」
 まあ……それはそうなんだが……。
「だが、この竹を使えば宝石のあった場所にまで手が届く可能性もある」
 それは俺も考えた。しかし、
「でもポンジーくん、こんなでっかいものをもってたらいくらなんでも怪しいでしょ」
 そう言うわけだ。やるにしてももっと細く削ったものか、或いは他の道具を使ってということなら分かるんだが……。
「もう少し見させてもらっても構いませんか?」
「どうぞ、ご自由に」
 新川さんの許可が出たところでダンボールの中身を漁り散らす。
 調理器具で言えば包丁、まな板、砥石、お玉、フライパン返し、ピーラー、たこ糸、パラフィン紙など。調味料で言えばクミン、コリアンダー、ブーケガルニ、甜麺醤、しょっつる、果ては自家製と思われる梅酢まで出てきた。
 種類の多さは賞賛に値するが、しかしどれも女神像の宝石を盗むのには関係がなさそうなものばかりである(果たして、そうかな?)。
「どうですかな。これで疑いは晴れましたかな?」
 結局、藤原の証言も相まって、新川さんが宝石を盗んだと言う証拠は一切みつからなかった。
「わかりました。ご協力有難うございます」
 一応の礼を申し上げた後、「最後に、二点ほど質問を」
「何でございましょう?」
「まず最初に、あなたがここで調理中、妙な気配を感じたとか、物音を聞いたとかありませんか?」
「いや……特にございませんが」
 そうでしたか、ではもう一つの質問。
「新川さん、あなたは会長に何をしたのですか?」
 ――ピクッ。
 ほんの微かだが、しかし確実に彼の眉が動いたのを見逃さなかった。
「彼が……会長が『機関』の面子を嫌っているのは解ります。ですがそれも故あっての事でしょう。『機関』に対する嫌悪感さえハッキリすれば、容疑者の割り出しも楽になるでしょう」
「…………残念ながら、お答えできかねます」
 何時に無く渋い表情で、新川さんは言葉を濁し、そしてそれ以上何も言わなくなった。



 パタン。
 慎ましやかにドアを閉じ、意外な一面を見せた老紳士はスゴスゴと控室まで戻っていく。下手をすれば犯人にされかねないのにも関わらず、真実を言おうとしない新川さんの態度はどう見たところで奇異そのものだった。
「古泉、どうしてか解るか?」
「どうもこうも、見てのとおりですよ」
 辛辣な表情を浮かべながら、それでも目元に残る微笑は消さずに答えた。
「『機関』の信頼関係を壊しかねない出来事です。簡単に仲間を売ることなど出来るわけ無いでしょう」
 珍しく熱くなっているな。
「宝石泥棒の汚名を着せられるより大事なのか、仲間が」
「当たり前です。あなたも長門さんや朝比奈さんには絶大なる信頼関係を築いているのではないですか?」
 長門に関してはほぼ正解、朝比奈さんに関してはこっちから関係を作っていきたいくらいだ。最も、あの何もかも知っているのに何も教えてくれない大人の朝比奈さんについては対象外だがな。
「どちらの朝比奈さんでも構いませんが、」さらに語気を強め、俺を諌めるように声を荒げた。
「もしそのうちの二人が泥棒扱いされた場合、あなたは庇おうとはしないんですか!?」
「それは違うな、古泉。長門だろうが朝比奈さんだろうが、もし本当に罪を犯したのならそれを認めるように諭すのが俺の二人に対する信頼関係だ。間違った事を隠し合い馴れ合いするのは本当の信頼関係じゃないさ」
 俺の言葉に、古泉の表情がハッとなる。
「いくら会長に嫌がらせを受けていたとは言え、報復を仕返したら何時まで経っても信頼関係は修復しないぜ。重要なのは犯人を早く捕まえて真摯に謝罪することじゃないのか」
「…………」
 古泉は顔を下にし、じっと俺の言葉に耳を傾けている――と思った次の瞬間、
「キョンくんの言うとおりですよ、古泉さん」
 ひょいと出てきた橘が古泉の手を取り、優しく諭すように口を開けた。
「あたしだって佐々木さんの大好物だったレアチーズケーキをこっそり食べましたけど、泣いて謝ったら許してくれましたもの。二人の信頼関係があってのことだと思います」
『…………………』
「あれ? どうしてヘチマのように顔を歪めてるんですか? っていうか皆さんも?」
「……さ、仕事しましょう、仕事。アホ武勇伝に構っている暇はありませんからね」
「あ、アホ武勇伝ってあたしのことですか!?」
「おや、そうだったんですか? 僕は誰がとは言わなかったのですが……自覚はあるってことですね」
「はうっ!!?」
「くくくく…………しかし、流石は橘さんですね」
 古泉は元のニヤケスマイルを取り戻し、
「佐々木さんもよほど関わりたくなかったんでしょうね」
「うわぁぁぁん! 古泉さんってばひどいですぅ~!!!」
 …………。

 あーあ。せっかく人がカッコイイ言葉で纏めようと思ったのに……。
 ま。いいか。次だ次。



「失礼します」「失礼します」
 ほぼ同時に上がった声はユニゾンして魅惑の音律を醸しだし、コツコツと鳴る足音はリエゾンして別の音を作り出した。
 テーブルの前に座る俺達の前に現れたのは、二人。言うまでも無く多丸さん達兄弟である。
 当初一人ずつやろうかと思ったのだが、時間の関係上並びに殆ど二人で行動してたからということで同時に聴取に出頭してもらった。
 そう言えばこの兄弟って自称であり、本当の兄弟かどうかは判明してないんだよな。女性の森さんがこの中で一番権威がある匂いもするし、『機関』は色々と隠し事が多い存在ではある。
 多分古泉もまだ俺に話してないことが沢山あると思うが、今後必要になったらゲロッって貰うことにするか。
 古泉は二人に向かって、先ほどと同じく「嘘を吐いたら制裁がウンヌンカンヌン」という説明をしている。内容に関しては全く同じなので省略させてもらおう。因みに橘と藤原は横で傍聴人のように畏まっている。
「……そこでお聞きします」
 前振りを終え、軽く咳を吐いた古泉は、やはり新川さんの時と同じ質問を繰り返した。
「その時間、お二人は一体何をなさっていましたか?」
「会長に命じられてホール上空にある天窓の修理に向かったんだ」
 朗々と語りだしたのは弟、裕さん。光を取り入れるための天窓がホールの中央、つまり今回の事件現場となっている女神像の丁度真上にあり、その窓が壊れて開閉しなくなったらしく、修理のために屋根に登っていたのだと言う。
「窓のヒンジが古くなって動かなくなっててね。取り替えて注油したら問題なく動いたよ」
 作業をしていたのは、何時頃から何時頃までだったか、覚えていますか?
「作業開始はたしか……会長に命令されてから屋根に登ったんだが、ちょっと準備に手間取ってね。十六時近くからだったと思う。修理自身は二十分くらいで終わったはずだけど」
 なるほど……確かに藤原の書いた時間帯と照合する……ん?
「あ、ちょっと待ってください」
 俺が言葉を発しようとした瞬間、橘の声に遮られた。「ポンジーくんによると、あの時間ホールに現れたのはお兄さんだったはずですよ?」
「ああ、それは間違ってないよ」
 今度は兄圭一氏が語りだした。
「わたしは窓が落ちてこないように、反対側、つまりホールの中から窓を押さえていたんだ」
 つまり、ホールの中に入ってきたのは圭一さん。外で作業していた裕さんはホールに現れてないってことになるな。
「ああ、そのとおりだ。その様子もバッチリ見ていた」
「でも、どうやって押さえていたんですか?」
 女神像が三メートルを越える高さにあるのは先に申し上げたが、天窓はそこから更に高い位置にある。もちろん普通に届くわけが無い。
 そう、普通は。
「それはね、」
 しかし、この後裕さんが発した言葉は俺達の表情が一変させる要因となった。


「脚立で登って押さえていたんだ。そうでもしないと届かないからね」
 やけにあっさりとした口調で、禁忌たるその言葉を口に発した。


『脚立!?』
 対照的に俺達は恐々とした表情で圭一さんを凝視した。
 考えても見て欲しい。天窓は女神像の真下にあり、天窓を押さえるために脚立を用意したら、どう頑張っても女神像の傍に脚立を置くことになる。
 会長の宝石は目と鼻の先。指輪を外すのも、布を捲るのだって容易い。犯行への障害になる要素を全てクリアしているのだ。
 それはつまり、自分に疑いをかけてくれと言わんばかりの証言となる。
 なのにあっさりと口を割るとは……一体どうして……?
「まさか、圭一さん、あなた……」
 愕然とした口調の古泉。
 しかし。
 圭一さんはそうくるのが解っていたかのようにほくそ笑んだ。
「ははは、女神像には手を出してないよ。誓ってもいい。その様子は……藤原くんと言ったっけ? 彼に始終監視されていたからね。手を出そうにも出せないさ」
 はっ、とした表情が一斉にある人物――藤原の元へと集中した。
「その人の言うとおりだ。確かに圭一氏は脚立を登り、天窓を押さえていた。しかしそれ以上のことはしてない。その様子も確認済みだ」
 圭一さんをフォローするかのように淡々と語るのは、藤原。そして圭一さんの言葉が追い討ちをかける。
「加えて言うならば、ヒンジを外した時にわたしの両手は塞がってて何も出来なかったよ。安心したかね」
「俺はともかく、古泉は安心したようですよ」と、心の中でそっとぼやいた。古泉のニヤケに余裕が見られるようになったのがその理由さ。表情で心境を読めるのは、何も女性陣だけじゃない。哀楽を分かち合った男同士だからこそ解るってもんだ。
 などとガラにでも無い陳腐な友情主義を思い浮かべて今度はこっちが気分悪くなったので、もうこの件は大脳皮質のうわっぺらから引き剥がし、
「つまり、作業が終わるまで何も無かったわけですね。わかりました」
 と話を切り上げた。続いて、橘の質問。
「じゃあ、その間、不審な人物など確認できませんでしたか?」
「いやあ……さすがに天井の上には居なかったし、この家の周りにもそんな人はいなかったと思うがね」
 会長宅の敷地は広く、庭園が広がっている。逆に言うと、外から人間が侵入して身を隠せるような場所はまずなく、外部犯の可能性はかなり低い。だからこそ内部の人間に容疑がかかっているんだが。
「では、中のホールに誰が居たか覚えていませんか?」
「兄が行ってたと思うが……中の様子ははっきり見えなかったから良く覚えてないよ。明るい場所から暗い部屋を見るのは至難の技だからね」
 ふむ。確かに。明るさに慣れた目で暗がりを見ても真っ暗にしか見えないからな。
「では、圭一さんはどうでしたか?」
「窓から見えるのは一面の青空。仮に不審者が居たとしても死角となって確認できませんよ」
 一理ある。
「では物音などは?」
「物音ねえ……何かあったかといえばあったかもしれないが、我々が立ててた作業音の方が五月蝿くてそこまではわからないよ」
「古い方のヒンジはギイギイ言ってたし、それを外すためにガタガタ音を立ててたし、おまけに隙間から吹く風がビュウビュウと鳴ってては、もし不審な音があったとしてもそれに掻き消されてしまだろうよ」
 と、二人の弁。これも一理ある。
「なら藤原、お前は何やってたんだ、その時」
「その時は……確か、脚立を押さえていたんだ。室内で水平が取れてはいるが、念のためを思ってな」
 やっぱり手伝いしてるんだな、お前は。
「おや、そんなことをしてくれてたのか。てっきり気付かなかったよ。ありがとう」
「ふ、ふん。お安い御用だ」
 照れてるな、こいつ。
「では、終わった後はどうされましたか?」
「どうと言っても、脚立を片付けて、そのままそこの扉から出て行ったよ。それからは地下のエレベーター室に篭って調整だ」
「僕の方も同じ。屋根から下りてエレベーター室に直行さ」
 すると、それ以降はホールに姿を現してないと?
「いや、パーティが始まる直前にわたしがホールに現れたよ」
 と、圭一さんが謙虚に手を上げた。
「パーティの面目状、女神像を地下へと隠さなければいけなかったのは知ってるよね。その監視役だよ。異常がないか念のためホールからも確認することにしたんだ」
 そう言えばパーティ開始前には女神像の姿はなかったっけな。一番盛り上がる時に競りあがってくるように出来ているんだった。
「ちょ、ちょと待って下さい!」
 橘が思いっきりジト目で睨みつけた。
「すると、パーティが始まる直前からこの台が競り上がるまでこの女神像は地下室にあったということですよね。もちろんあなた達もずっと地下室にいたってことになりますね? つまり……」
「お嬢さんの言いたいことは分かってる。パーティが始まる時間までの間、僕達に宝石を盗む余裕があったと言いたいんだね。でも、残念ながら女神像には手を出しちゃいないよ。誓ってもいい」
 意外に鋭い橘の質問に飄々と答える裕さん。俺もフォローする形で質問した。
「誓うかどうかはともかく、それを証明してくれる人はいませんか?」
「うーん……我々二人しか地下室に居なかったからね。お互いに、ということじゃ納得してくれないだろう?」
「当然です。ではあなた方が犯人と言うことで決まりですね!」
「待て、橘」
 単にアリバイを証言できる人がいないだけで犯人と決め付けるのは早計だぞ。『疑わしきは罰せず』じゃなかったのか?
「あう……」
「それに良く考えろ。いくら目撃者がいないからと言って、三メートルの場所にある宝石をどうやって外したっていうんだ?」
「え? えーと……肩車とか……?」
 肩車しても無理だっちゅーの。
「それに万一誰かが現れたらどうするんですか? 言い訳が通りませんよ」
「あううう……」
 ったく、それくらい考えろよな。
「とは言え、空白の時間があったのも事実だ」
 橘に代わってしゃしゃり出てきたのは橘京子のイエスマン。
「そうですよねっ! ポンジーくんっ!」
「念のため地下室の確認もした方がいい。もしかしたら宝石が見つかるかもしれないしな」
『…………』
 そして蛇のように鋭い視線を多丸氏兄弟にぶつけた。
「わかった。そこまで言うなら見てくれ」

 ゴゴゴゴゴ…………
 昼にも聞いた地鳴り音が俺達の足元で鳴り響く。底へ底へと下がっていく感覚と併せて、地獄へ招待される囚人のような感覚に陥る。外が暗くなった事もあり、シチュエーションとしてはこれ以上ない恐怖感だ。
 このエレベーターで移動しているのは俺の他には古泉、橘、そして裕さん。圭一さんはエレベーター操作のため階段を使って先に地下に下り、その様子を観察すると藤原もまた圭一氏と行動を共にした。
「け、結構揺れるんですね、これ」
 びくつきながら俺にしがみつく橘は、昼間藤原が洩らしたのと殆ど同じ言葉を口にした。そうか? 俺はそこまでひどいとは思わんが。
「いや、お嬢さんの言うとおりだよ。このエレベーターの年代もののせいか、ガタがきていてね。調子の良かった時と比べて結構揺れるんだ」
 近くから裕さんの声がする。確か俺の右斜め前にいたはずだが、半分以上が暗闇に覆われているためか姿を確認する事はできない。
「昼間の調整もそれが目的さ。振動が多いのは格好が悪いし、何より女神像から宝石が落ちてしまったら元も子もない。だから我々は天窓よりもこちらを優先して修理していたのだが……」
 その先の言葉は、エレベーターが着地する音によって掻き消されてしまった……と言うことにしてくれ。
 やがてドシンという音が狭い室内に響き渡る。最下層へと到着した証拠だ。
 薄明かりの中、首を捻ると、制御盤に張り付いて操作をする圭一さん、そしてその様子を見ている藤原。階段で先行し、エレベーターを動かしてくれたのだ。
「ご苦労だったな。こっちは特に異常はないぜ」
「こちらも当然異常なしだ」
 作業の引継ぎをする現場監督者のような定型挨拶を交わし、お互い歩み寄る。
 天井――今まで俺たちがいたホールの足元は別のシャッターが閉まり、ホールとの繋がりを完全シャットアウトしている。そのため光は作業灯が申し訳程度についているだけで、はっきり言って暗い。これは昼にも言ったけどな。
 そして当然、この部屋の様子もあの時と変わりない。コンクリートの壁、雑多に置かれた工具の数々、大小のダンボール。どれもこれも特に変わった様子は見受けられないが……。
「ん?」
 いや、一つだけあった。
「あそこから出てる煙は一体?」
 部屋の角に置かれた蛇腹のダクト、そこから僅かではあるが白煙が確認できた。ダクトの先を辿ると、先端にはフード状の蓋。さらに下には金属製の入れ物があり、ダクトから伸びる蓋が完全に入れ物を覆っていた。
「ああ、ドライアイスの解け残りだね」
 薄暗い影を引き摺りながら圭一さんは答えた。「女神像を上昇させる際にやった演出さ。もう大分時間が経っているから残り火くらいの勢いしかないがね」
 あの白い煙の正体か。でも入っているのはドライアイスだけじゃなさそうなんだが。等と考えていると説明したがりの古泉が前に出て話し始めた。
「無論ドライアイスのみでも煙は立ちますが、その量は余りにも少ないです。ですから普通、水を加えて煙を噴出させているのですよ」
 水?
「ええ。誤解されがちですが、ドライアイスの煙は昇華された二酸化炭素ではなく、微細な氷の粒なのです」
 へえ、そいつは知らなかったな。
「ですが、少し疑問もあります」古泉は視線を俺から多丸氏兄弟達の方に切り替え、「これだけの量のドライアイスを気体にすれば、外気と遮断されているこの部屋は窒息状態になりませんか?」
「それは大丈夫。この床には何本もの導風溝があって、空気より比重の重い二酸化炭素はそこから抜けていくんだ。余程大量に、しかも屈んでない限りは窒息と言うことにはならないよ」
 裕さんに言われよく見ると、確かに側溝のような溝が何本もある。イメージはまんま側溝のそれで、コンクリート製の蓋で敷き詰められており、何個かに一個の割合で網状の蓋となっている。
 網状の蓋の前に立つと、足元に流れる冷たい風が俺の体温を奪っていくのがわかる。
「どうなってるんだ? これ?」
 と、藤原が蓋の隙間と隙間から覗き込む。
 しかし、彼はまだ把握していなかった。彼にとっての悲劇はここにあったということなど。
 暫くは普通に様子を眺めていた藤原だったが、突如、「うおあぁ!?」と奇声を上げたのだ。
「どうした、藤原?」
「あ……いや、その……」
 次の瞬間、轟音と共に側溝の隙間から風が吹き荒ぶ。
「うおっ!」「きゃあ!」
 かなりの突風だった。女神像に掛けられていた白い布も勢いよくはためいている。台風並とまでは言わないが、春一番並の威力はあったかもしれない。
「この時期、特に夜に多いんだが、今みたいに突風が吹く時があるんだ。彼もその風で煽られたんじゃいのかね? すまないね、先に説明しておくべきだったよ」
「あ、はい……」
「まあでも、怪我が無くて幸いだったよ。もう大丈夫だと思うが、念のため注意してくれたまえ」
「…………」
 裕さんの諫言に、藤原はただ沈黙を守りつづけていた(…………)。


「……さて、見せるものは見せたけど、後はどうすればいいんだい?」
 天井――ホールの上へとエレベーターを動かし、元いた席に各々着席した後、聴取が再開した。見せてもらうものは見せてもらったわけだし、後はこちらからの質問に答えてもらうだけなのだが……ではまずこんな質問を聞いてみよう。
「一つ聞きたいんですが、エレベーターを動かしたのは地下に女神像を隠すときだけでしたか?」
「そうだったと思うが……あ、いや。可動部の調整をするために何度か上下はしたよ。と言っても十センチも動かしてないけどね」
「そうですか。ならその時、異音等の異常は感じませんでしたか?」
「どうだろうねえ。エレベーターの音と風切音が五月蝿くて特に何も感じなかったね」
 裕さんの言葉に、圭一さんも頷いた。
「……あ、でも一度だけ、女神像の半分くらいの高さまで下げたっけか」
 え? それは何時ですか?
「ええと、十七時前後だったと思う。森に頼まれてその高さまで下げたんだよ。掃除をするとか何とかで」
『えっ!!?』
 俺たちが一斉に声を上げた。
 何と言うサプライズだ。このタイミングでとんでもない証言が飛び出しやがったぞ。というかそう言う大事なことはもっと早く言って欲しかった。
「今になって思えば、あれはもしかして……」
「それは本当ですか?」と古泉。あからさまに動揺している。
「嘘をついても仕方ないだろ」と圭一さん。確かにそのとおりだ。何はともあれ、ウラを取る必要がある。
「おい藤原、」
 お前は見てたのか? と言おうとして、彼がここにいないことに気付いた。再びエレベーターを動かしたいという彼の要望で、地下室の制御盤の操作をしてもらったのだが……。
 ついでに橘も一緒だ。エレベーターに登ろうとした彼女を藤原が無理矢理引きとめたようにも見えたが……気のせいだろうか。いや、今はあの二人に構っている場合じゃない。
「森さんがそんなことするとは思えませんが……」
 古泉、実は俺も同じ意見だ。縦しんば犯人だったとしても、あの森さんがそんな簡単に足を出すとは思えない。やるならもっと慇懃且つ狡猾に窃盗を行うだろう。
「同感です。森さんなら足音どころか気配すら完全に掻き消し、透明人間が行ったかのような完全犯罪をやってのける御仁ですからね。敵に回すとこれほど厄介な方はいません……あ、今のは森さんにはオフレコでお願いします」
 この場にいる全員が一様に頷いた(多丸氏兄弟含む)が、森さんの人となりについてはあんまり関わりたくないので俺は適当に相槌を打つに留めた。
 今重要なのは森さんの身辺調査ではなく、事実確認である。
 しかしそのためには証人となりうる藤原が来ないことにはどうにもならないのだが……本当に遅いな、あいつら。そろそろ呼びに行った方がいいかな。
「す、すまん。遅れた」
「ごめんなさい」
 等と考えを巡らせていた丁度その時、ホール入り口のドアが開くのが見えた。二人の登場である。
「何をやってたんだ」
「ああ、道が暗くてな。思うように前に進めなかったんだ」
「それにちょっと道に迷いまして……」
 果たして迷うような道だろうか。地下室の階段からここまでは一本道だし、暗いと言っても普通に歩く分には難はないレベルである。
 どうせ橘が迷惑千万な振舞いをしていたのだろうが、それを突っ込んでいる場合じゃない。
「藤原、聞きたいことがある」
 先ほどの話を掻い摘んで二人に説明した。
「そう言えば、そうだったっけか。バケツと雑巾を持ってきて像を拭いていた。全身を拭くからとエレベーターを下げて……うん、彼女なら宝石に手が届くはず」
「ってことは……もしかして、森さんが犯人なんですか!?」
 いや、まだわからん。だけど。
「聞くしか、ないですね……」拳を握り、震える体を押し込める古泉。
「ああ」と俺。腹を括るしかない。
「そうだな……」こちらは藤原。絡みが無くとも彼女の怖さは身に染みて解っているらしい。
 そして。
「ふふふふ……森さんが犯人だったのですか。いひひひ……今までの恨み、たっぷりと返してやりますからね」
 約一人ほど勘違いしているKYがいるのだが……とりあえず放っておくことにする。



「話は聞きました。わたしを疑っているとのことですね」
 バタンと開いた扉の音がやけに大きく聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。そして、森さんの口調が極めて冷静に聞こえるのは、これも俺の気のせいだろうか。いや、寧ろ気のせいであって欲しい。
 静かに怒りを携えたまま、腕を組んで仁王立ちするのは、最後の重要参考人こと、アナザー偽メイド、森園生さん。
「あ、いや……疑っているって言うか何と言うか……」
「古泉。」ピシッと張り詰めた空気は彼のスマイルを凍りつかせた。「はっきり言いなさい」
「は、はいっ! 疑っています!」
 二人の会話は何故か逆尋問に発展していた。
「……仕方ありませんね。確かにわたしはあの時、女神像の最終チェックをしにきたんですから。疑われても仕方ありません。あの程度の大きさなら、いくらでも隠し場所もあるでしょうし」
 森さんは溜息をつきながら、やおらエプロンドレスを外した。
「さ、いくらでも調べてください。文字通り身の潔白を証明して見せます」
「ちょ、ちょっと! 止めてください!」
 慌てふためきながら止める俺と古泉。しかし俺たち如きのチープな自制心では森さんの覚悟は止められない。背中にあるホックは既に半分以上がほどかれ、白い柔肌は背中を中心に勢力を拡大中。
 腰までホックを外し終えた後、今度は腕を伸ばし、片方の手でもう片方の袖を掴みゆるゆると外した後、もう片方の袖も同様に外した。
 これで森さんの上半身を覆うのは、脱ぎかけのメイド服を押し当てている胸のみ。
「これ以上は……お願い……恥ずかしくて……」
 少女のようなつぶらな瞳と、大人の魅力がたっぷりつまった胸とのギャップが堪りません。
 ふふふふ、なるほどなるほど。いくら巨大な宝石といえども、その豊満な双丘の隙間に十分入り込めそうだ。重点的に調べ上げなければ……。
「キョンくんってば、またそんな目でおっぱいばかり見て……えっちですぅ」
 うををっ! 橘! 何時の間に!?
「さっきからいましたよ」
 つっけんとんに返す橘の声が妙に痛かった。「結局、おっぱいですかあなたは?」
 い、いや……そう言うわけではないことも無いような……いやいや、無いんだか……
「冗談に決まってるだろ」内心の動揺を隠すべく、努めて平然と言って見せた。
「森さんも、からかわないで下さい」
「そうですか。お疲れのようでしたから少しサービスをと思いまして。少しは楽しめましたか?」
 少女の如き無垢の笑みがぱあと広がる。戦慄に満ちた表情がまるで嘘だったように……いや。恐らく本当に冗談だったのだろう。
「おかげさまで。それよりも早く服を着なおしてください」
「了解です。では背中のホックをつけるの手伝ってもらえます? 一人じゃやりにくくて……」
 フィーリングとしては九割九部九厘肯定の意向に向かっているのだが、万が一にでも噂話があの二人に入ったら「グランド十週。因みに鹿の被り物のみであと裸ね」の刑に処されない。「遠慮しときます」
「あらそう、残念。じゃあ古泉、お願い」
「……はいはい」
 やれやれといった感じで森さんの後ろへと周り、背中のホックを締めなおす古泉の姿を見て俺は思った。
「妙に手馴れてんな、あいつ」


 森さんのユーモラスな一面(?)を堪能した後、えらく時間を費やしたと猛省した俺たちは前置きを全てカットして単刀直入に話を聞くことになった。どうやら彼女は話を把握しているようだし、問題ないはず。
「森さんがホールに来たのは、女神像の最終チェックのためだったと聞いたのですが?」
「ええ。それもあります」
 先ほど脱ぎ捨てたエプロンドレスをもう一度身に着けながら森さんは答えた。
「それも、ってことは他にもあるんですか?」
「パーティ間近でしたから、料理の配膳をしている新川の手伝いを。それにこの子がきちんと清掃できたかのチェックも行いました」
「ひっ」
 偽メイド二号を睨みつける一号の視線が危険なものに感じるのはどうしてだろうか?
「それで、合格でしたか?」
「……そうですね。やることはやってたみたいですし」
 釈然としない様子で憮然と言い放った。
「もう暗くなりかけてたから灯りをつけて隅々までチェックしたけど、床やテーブルに埃はなかったし、椅子も整然とされていたわ。女神像もピッカピカに磨かれていたし、正直文句のつけようがなかったわ」
 ほっ、と溜息が漏れる声が聞こえた。恐らく橘の安堵の現れだろうか(あれ、ちょっと待て)。

「その女神像についてですが、」古泉は緊張した様子で俺の一歩前に出た。
「ご存知の通り、森さんが最近接していたと言う噂が流布しております。これについての弁明がありましたらどうぞ、仰ってください」
「反対尋問ってところかしら」
「その様に捉えてもらっても構いません」
「……ふ、分かったわ。でも本当のことなのよね。これが」
 全く悪びれもせず、むしろ明るい口調で言葉を続けた。
「多丸達にも頼まれていましたし、女神像に被さっていた布を取っ払って像の隅から隅まで見渡しました。時間にして五分くらいかしら。終わったあとは布を被せて、エレベーターの下へ移動させるよう指示を出しました」
 それを見てた、って人は……藤原、お前は見てただろ。
「途中まではな。だがその後はホールから離れたため確認していない」
 どうしてだよ。女神像に近づく人間に目を光らせるのがお前の仕事じゃなかったのか?
「エレベーターを動かす命令を伝えるために地下に下りたんだよ」
 曰く、地下にいる多丸氏達に連絡をとり、エレベーターを所定の高さまで移動した後ホールへと戻ってきたのだと言う。
「時間にすれば五分程度のことだが、布も被さってない、非常に取りやすい位置に宝石があれば五分で事足りるだろうな」
 待て。ならお前は森さんが犯人だと言うのか?
「そうは言ってない。だが、一番疑わしいのも事実だ」
「ってことはやっぱり森さんが犯人なのです! さあ、早く自白してください!」
「だから待てって」再び制止をかける俺。「森さん、少し聞かせてください」
 俺は森さんに近づき、こそこそと耳打ちを立てた。何故かと言うと、他の人から聞かれたくないことがあったからだ。
「……ええ、その通りですが。よく分かりましたね」
 なるほど。やっぱりそうか。
「すみません、もう一つ」
 やはり同じように耳打ちを立てる。
「……ふふふ。ご想像の通りですよ」
 想像通りだな(ってことは……)。
「キョンくん、何を聞いたのですか?」
 橘の問いに、気軽に返答した。「いや、そんなにたいしたことじゃないさ」それよりも、
「藤原。女神像が地下に下りてからはどうしたんだ?」
「宝石を取られる危険性はなくなったから、戻ってホールの手伝いをしていたさ。忙しそうだったのでな」
「そうかい」
 俺の予想通りの反応、痛み入るぜ。



 森さんの尋問が終わった後、再び俺たちだけでテーブルを囲み、参考人からの調書を元に要所要所を搾り出し、犯人の割り出しに精を出していた。
 纏めると、新川さんと裕さんは女神像に近づいていない。多丸圭一氏と森さんは近づいている。圭一さんは脚立を、そして森さんはエレベーターを使って。
 その内、圭一さんの行動は確認されているが森さんの仕事については確認されておらず、アリバイが成り立たなくなっている。
「森さんが一番怪しいって訳か……」
 ポツリと洩らした俺の言葉に、橘が賛美の声を上げる。
「やっぱりそうなんですよっ! あの女ギツネがあたしの宝石を奪いやがったんです! タイホしてやる!」
 現行犯じゃない限り逮捕は無理であるし、そもそもお前の宝石じゃない。などと、どうでもいいツッコミは頭の中だけにして口には洩らさない。
 確かに疑わしいのは事実だし、証言も何もないははっきり言って苦しい。
 しかし――恐らく、彼女は犯人じゃない。
 これは決して森さんをかばっての発言じゃない。森さんが犯人だとは考え辛いのだ。
 何より、動機がない。
「動機? 会長の『機関』嫌いに対する報復に決まっているだろ」もちろんその通りである。しかし、他の面子ならともかく、森さんにはこれは当てはまらない。
 理由は、会長は森さんのことを『治外法権』と称していたから。理由は知らないし知る必要もないが、ともかく会長は森さんに対し罵詈雑言を浴びせるだけの余裕はなかったのではないか?
 実はさっきの質問のうち、一つはその確認だったんだ。会長は森さんに対して高圧的な態度を取ったことがあるか、或いは仕事のミスでネチネチと詰られたことがあるか聞いてみたのだ。
 然して、答えは「ノー」。むしろ会長から恐れられているからやり辛いくらいだと解答だ。
 そんな状況で、森さんが会長に報復する理由は万に一つも無く、つまり宝石を盗んで嫌がらせをしようなんて考えるわけは無いのだ。
 ならば、誰が犯人なのか――。


 実は、俺は既に目星がついていた。
 だが、確証がない。
 どうにかして言い訳できない理由を作り上げたいのだが――。


「ふむふむ……ここが……うんうん」
「…………だろ。…………で………なんだ」
「うーん……でも…………じゃないですか?」
「いや、これは…………で…………」
 横を見ると、何時の間にか仲良く相談タイムに入っている藤原と橘。恐らく今までの事件の整理と、犯人の推理に躍起になっているのだろう。
 橘がいるから万に一つも正しい推理が出来るとは思わないが、その辺はお手並み拝見と言ったところである。
 なんて思った瞬間、
「!?」
 ツインテールが揺らめいた。
「も、もしかして聞いてましたか! 今の!?」
 いや、全然。
 俺の言葉に何故かほっと胸をなでおろした。ついでに藤原まで。一体何を考えているんだこいつらは? 聞かれちゃまずいことでもあったのだろうかね(多分な)?
「で、解ったのか、犯人は?」
 期待はしてないが聞いてみる。
「もちろんです! 解りましたっ!」
 耳を劈くようなハスキーボイスが響き渡った。ちょ、マジで言ってるのか? お前。言っておくが森さんは、
「大丈夫です。その件も含めてお話しましょう。先ほどの事情聴取を総合的に判断した結果、アリバイのない人物がいるのに気付いたんです。犯人はその人に間違いありません!」
 我が耳を疑ったね。あの電波少女が俺たちよりも早く真犯人を当てたなんて。もしかしたら酒を飲んだのが良い方向に向かったのか(もちろん冗談だぜ)?
「ふっふっふっふっふ! どうですか、あたしの実力は!? 今から犯人がして見せたトリックを暴いてやるのです! ポンジーくん、皆さんを呼んできて下さい!」
「わ、わかった」と、慌てた様子でホールから出て行く。
「橘さん、本当にわかったのですか?」
 見るからに心配そうな顔つきで諭す古泉の顔は「お前の出番じゃねーんだよ」と言う表情がありありと出ている。
「任せてください!」
 もちろんそんな親切心に気付くわけもなく、このKYは自信満々に平坦な胸をドンと叩き、(本日二度目)腰に手を当てて遥か遠方を見据えながら名言ならぬ迷言を吐いた。



「なんてったってあたしは会長さんご推薦の名探偵なんですから! あっはっは!!」



 ……ダメだこりゃ。


 ※橘京子の動揺(解決編)に続く




橘京子の動揺(解決編)


 静まり返ったホール。
 既に冷めてしまった、最高級料理の数々。
 無常な表情で佇む、金の女神像。
 あたしたち……生徒会長さんを始め、『機関』の皆さん、そして喜緑さんも含めた全員が、事件の現場となったこのホールへと集まり、今から一体何が始まるのか、不安げな表情を浮かべていました。
 事の発端はですね、まあ簡単に申し上げますと、会長さんが喜緑さんに贈呈するはずだった宝石(名前は忘れました)が、いつの間にかなくなってしまったのです。
 会長さんは大激怒。盗んだ犯人を絶対に許さないと息巻き、名探偵として名高い人物に真相解明を依頼したのです。
 その人物こそ――そう、あたし。橘京子です。
 あたしの推理力は小五郎やホームズ、いいえ、左文字さんや右京さんすら尻尾を巻いて逃げるに違いありません。嘘じゃありません。
 ……え? 信じられないですって? ふっ、これだから素人は。
 そりゃあ、キュートで可憐で、しかも箸より重いものを持った事も無いような深窓の令嬢たるこのあたしが、世間様もビックリ仰天な特技があるなんて思っても見ないでしょうけど。
 でもね、天は二物を与えてるんです。このあたしにはね。
 信じられないのならそれもいいでしょう。
 しかし。
「真実は一つ、なのです」
 心の中でそう呟き、そしてほくそ笑みました。
 ふふふふふ、今からあたしのオンステージ。皆があたしの推理に驚愕し、絶賛する様を、とくとご覧なさい。


 パーティで使用していた長机の一つを綺麗に片付けた後。
 入り口で突っ立っている九曜さんと、あたしの傍でアシスタントをしているポンジーくんを除いた都合八人が、机の長辺部へと納まったのを確認した後、短辺部――つまり、議長席に居たあたしはすくっと立ち上がりました。
「今から、事件の真相をお話したいと思います」
 あたしの地声は、今風の女子高生と同じく(と言うか女子高生そのものですから)キャピキャピとしたものなのですが、こう言った真剣な場面では非常に使い辛いものなのです。
 ですからなるべく声を押し殺して、それなりに場の空気を読んでのイントネーションとなります。
 あたしが空気読めないなんてタダの迷信です。お願い信じて。
 ……と、内心の願望をおくびにも出さず、努めて冷静な口調で推理を始めます。
「事の成り行きはもう説明する事もないでしょうが、念のため説明します。ここ、会長さん宅の大ホールで、金の女神像に据えつけられていたアンモナイトとか言う宝石が忽然と姿を消しました」
「アレキサンドライトだ」
 あれ? そうだったけ? でもせっかくクールに決めてるんですからキョンくんの茶々は無視します。
「事件が発生した時間帯は、会長さんが現場から姿を消してから再びこの会場へと戻ってくるまでの時間。つまり十五時半から十七時半までの二時間の間に発生したと思われます。さて、」
 一旦息をついて、
「今後の推理を説く上で、事件のポイントをおさらいしていきましょう。ポンジーくん、お願い」
 あたしがそう言うと、彼は入り口近くに置いてあったホワイトボード(先程まであたし達が使ってたやつです。ここまで運んできました)を皆さんの席の前まで持ってきました。
 そして何も書かれていないボードの一面に、『ポイント』と書き込みました。
「先ず一つ目ですが、犯人はどうやってあの女神像から指輪を盗んだか、ということです」
 再び言葉を区切り、フローリングにコツコツと足音を立てながら女神像の前へとやってきて、彼の像をコンコンと触りました。
「この女神像。見てのとおり、かなりのデカブツです。あたしが手を伸ばしたところで、指輪が嵌められていた女神像の掌には到底及びません。もちろん、あたしよりである男性陣の皆様でも同じ事が言えるでしょう」
「ああ、そのとおりだ」と会長さん。「インパクトの大きさも去ることながら、指輪を盗もうと言う考えをもった不埒な輩にも一定の効果を見込んで作製したものだからな」
「なるほど。ではあの時白い布を被せたのもそんな理由があったのですね?」
「ご名答。外部の人間ならばそんなところに宝石があるとは思わないだろうし、縦しんば布を外したところでセンサーが感知し警報音が鳴るように仕向けられている」
「へ? そんなことしてたんですか?」
「ああ」
「それは初耳でした。ならば外部の犯行の可能性はまずないと考えてもいいですね?」
「センサーの電源を切ったのはパーティ直前だったからな。まず以て外部の犯行は考えにくい。となると……」
 ギロリ、と突き刺すような視線が主に『機関』の方達に浴びせられました。
「……この中の誰か、ってことになるな」
「会長。ですがまだ犯人が我々と決まった訳じゃ……」
「ほう、古泉。ならお前の知り合いのそいつらが犯人だというのか? あるいはお前自身が犯人でしたとでもいいたいのか?」
「…………」
「下手なかばい立てをするんじゃねーよ。自分の首を絞めることになりかねんからな。それが嫌ならさっさと自首しやがれってんだ。あの宝石の価値を――本当の意味を分かってない奴らに、良いようにされるのは俺の気が済まん!」
 言われて絶句する面々。会長さんの『機関』の人たちに対する懐疑心は相当なものですね。
 しかし、困りました。会長さんの絶叫で気まずい空気が流れています。何事も無かったかのように話し始めてもいいんですが、会長さん興奮してますし、私情で犯人を決め付けては元も子もありません。
 何とかして気を鎮めてもらわなきゃ……。
「会長……どうか落ち着いてください」
 その空気を読んだのか、ドレス姿のままの被求婚者――喜緑さんが柔らかい口調で語りかけました。
「わたしは、会長のお気持ちだけでとても嬉しいです。宝石がなくても、女神様が祝福してくれなくても、会長が愛してくださっているだけで十分です」
「喜緑くん……そ、それじゃあ、お……私の……その……ぷ、プロポー……ズは……」
 しどろもどろでカミカミの言葉に、喜緑さんは慈母溢れる笑顔で、
「はい。喜んで。これからも宜しくお願いいたします」
 頬を朱に染めながら見つめ合い、そして手を取る二人。
 ――パチパチパチ――
 そして、どこからともなく拍手が舞い起こりました。人数が少ないので少々疎らですが、逆にしみじみとした二人の愛が見て取れるようです。……ふっ、悔しいですけどサマになってます。
「おめでとうございます。犯人の目的がパーティを台無しにすることであれば、当てが外れたといってもいいかもしれません。結果オーライといったところでしょうか」
 目を細めた古泉さんが、賛辞なのかどうかわからない賛辞を送り、
「それで、宝石泥棒の件はどうなったのでしょうか?」
 おお。すっかり忘れてた。
「……おい」
 冗談ですよ。いくらなんでも。
「冗談と言うのはユーモアあっての冗談だ。お前の主張する『冗談』ってのは、単なるKYな行動にしか過ぎんぞ」
 KYKYって五月蝿いですね。あたしだってたまには……っと、こんなことで目くじら立てててはそれこそKYの骨頂なのです。
 今すべきことは、あたしがKYかどうかを立証するのではなく、誰が宝石を盗んだ犯人で、どうやって宝石を盗んだのかを解明し、そして――
 ……いえ、これ以上は申し上げられません。
 ですが、これだけは言っておきます。
「お二人のためにも、必ず宝石は元の鞘に収めてあげます」



「途中で話が逸れてしまいましたが、この女神像の大きさについてはおわかりになったと思います。そして、布を外すとセンサーが感知することもわかりました」
 再びペンをとり、今申し上げたトラップを書き込んだ後、
「しかし、外部犯ならいざ知らず、内部犯の可能性が色濃い今回の事件。どのお方もトラップについてはご存じだった可能性があります。事実、センサーが反応しなかったのに宝石だけは姿を消していますから」
「つまり、犯行はやはり内部の人間と言うことになるのか?」
「ええ、」と若干俯き加減に肯定の返事をするあたし。遺憾ながらもその通りです。
「で、結局誰なんだよ」
「まあまあ、あわてないで。今からじっくり説明しますから」
 うざったそうな口調でせかすキョンくんを軽く流した後、
「では次。犯人が犯行に及んだ動機についてです」
 ペンを片手にし、ホワイトボードにその旨を記入しました。
「まず最初に考えられるのは、金銭目的の犯行です。しかし外部の犯行が実質不可能である上、内部は潤沢な資金を持つ『機関』を始め、そもそもお金に価値を見出せない人物ばかりですからそのセンはありえないでしょう。つまり、」
「会長に対する嫌がらせだと仰りたいのですね。橘さん」
「そのとおりです。古泉さん。宝石を隠し、パーティを台無しにしようとするのが犯人の狙いなのです」
 いやらしい笑みを浮かべたままの彼に、ペン先を突きつけました。
「幸か不幸か、『機関』の方達には会長に対する恨みが多かれ少なかれあるようです。それが何かはわかりませんが……少なくとも、それが原因で犯行に及んだと考えることが出来ます」
 あたしの発言に、グッと息を呑む『機関』の皆々様。
「で、誰なんだよ、その犯人は。ちゃっちゃと説明してくれよ」
「だから慌てないでください。今から一人一人の行動について考察していきますので」
 再びホワイトボードの方へと振り返り、ボードをひっくり返します。そこには先ほど書かれた『機関』の皆様のタイムテーブル。
 違うのは、赤いペンで彼らの行動を書き加えてある点。
「先の事情聴取で、犯行可能時間内におけるこの四方の行動は把握しました。それはここに書かれてあるとおりになります」
 あたしの言葉に、一斉に立ち上がってボードを凝視する面々。各々の行動を確認するべく、舐めまわすように見つめつづけています。
「先ずは新川さん。基本的に厨房に篭っており、女神像へと近づいた形跡はありませんでした。パーティ間近となった際には配膳等で女神像の前を横切ったかも知れませんが、それも一瞬のこと。何より、他の人が見ている中で大胆な犯行は出来ないでしょう」
 あたしの言葉に、新川さんはほっとしたような表情をみせました。
「続いて多丸さん達。十六時過ぎに天窓の修理のため、天井へと向かったそうですが、その際窓を押さえるという名目で、兄の圭一さんはホールの中から脚立を使い、天窓までアクセスしました」
「おい。あの天窓の下には例の女神像があるんだぞ。まさか脚立で登る際に指輪を掠め取ったんじゃ……」
「いいえ、会長。それは違います。たしかに脚立を持ってきた彼らには犯行は可能ですが、しかしその一部始終を見届けた人がいるのです。ね、ポンジーくん」
 ウィンク一つ、ポンジーくんに説明を促します。
「あ……ああ……。彼らは……うん、彼らは純粋に天窓の修理を……してた、だけで、女神像に触れるような、事は、一切無かった」
 何故か赤い顔でどもりながら答えてくれました。自分に振られるとは思ってなかったのかしら?
「ま、そう言うわけなので。この時犯行を行うのは到底無理だったということです」
「む……」と会長。やや残念そうです。対照的に安堵の笑みをこぼす多丸さんご兄弟。
「ただし、彼らにはもう一度女神像へと接近する機会がありました。それはパーティ直前、女神像をホールから地下へと隠す際のことです」
「そうか!」
 あたしの言葉に、会長さんは何かを思い出したかのように大きなリアクションを取りました。
「エレベーターを使って女神像を下げてしまえば、高い場所にあった指輪にも手が届くようになる。つまり宝石を盗んだのはやっぱりこいつらか!」
「いいえ、残念ながら」
 エキサイテッド中の会長さんに対し、努めてクールに返します。
「これも先ほどと同じです。ポンジーくんが監視の目を光らせていました。加えて配膳に来ていた新川さん、森さんの目もあったとなれば容易に手を出す訳には行かないでしょう」
「ふむ……なら、地下に降り切った段階で、ゆっくり宝石を外すというのは……?」
「いえ、それも不可能です」
 宝石が容易に取れるのは、『女神像を若干下げて、上の階であるホールから』外そうとした場合に限ります。『完全に下りて』しまった場合、ホールと地下室は完全に遮断され、ホールから女神像に手を伸ばすのは不可能となってしまいます。
 その場合、地下室の床からアクセスしなければいけませんが、高さが三メートルあるのは変わりありません。ホールの上にあった状態でもアクセスに困難だった指輪なのに、申し訳程度の光しかないあの地下室では不可能と言っても過言じゃありません。
 もちろん何かしらの道具を使えば或いは可能かもしれませんが、それにしてもあの暗がりで容易に宝石のみを盗むことはできるでしょうか?
 それに電話のないあの部屋では、何かしらの連絡を伝えに誰かがやってくる可能性だってあったはず。そんなところを見られたら言い訳は出来ないでしょう。
「彼らに犯行は可能だったかもしれません。しかし『完全』な犯行ができなかった以上、そこまでのリスクを背負って犯行をやってのけるほどメリットがあったとも思えません。ですから彼らに犯行はできないのです!」
 一瞬、いいえ、二瞬とも十瞬とも思えるほどの、長いようで短いような沈黙が続いた後、口を動かしたのはやはりこの方でした。
「すると……残ったのは……まさか……」
 スッと目を細め、残る容疑者――メイド姿の森さんを睨みつけました。
「お前が、盗んだのか?」
 森さんは何も答えません。
「おい、聞いてるのか!?」
 それでもやはり口を噤んだまま。
「何か言えって言ってるだろうが!」
「……ふっ」
「――っ!!?」
 会長さんの激が止まりました。例の――あの恐怖と言う恐怖を詰め込んだ、おぞましき視線によって。
 あたしは視線を合わせないように顔を反らしたから無事でしたが、会長さんはまともにあの視線を浴びています。蛇に睨まれた蛙状態です。
 他の皆さんも努めて……と言うか、あからさまに視線を外しています。うん、だってそうしないと死んじゃうもん。
 平気なのは――相変わらず突っ立っている九曜さんと、こちらも変わらず愛嬌のある笑みを見せる喜緑さん。ただの二人のみ。
 さすが感情の起伏が無いに等しい宇宙人だわ。あの喜緑さんって人も感情があるように振舞っていますが、本心がつかめないですからねえ。
 さて、当の森さんですが、暫く会長を睨みつけ沈黙させた後、普段の優しい表情へと戻り、
「わたしは、何もしてません。誓ってあの女神像にあった宝石を取るなんてことはしていません」
「そ、そうか……いや、そうだったな」
 途端に弱気になる会長さん。気持ちは分からんでもないですけど、アレは絶対尻に敷かれるタイプですね。彼女との生活、上手くやっていけるのかしら?
 とまあ他人の情事に関しては突っ込んでも腹が立つだけなのでこの際無視し、と言うよりも話を元に戻すためにあたしから言葉をかけました。
「その森さんですが、十七時前にホールへとやってきて、最後のチェックと称して女神像の前で見て回ったそうですね」
「ええ。そのとおりですが」
「その時、あなたは確認していましたよね。宝石を宛がった指輪を」
「そうね。確かにあったわ。指輪と宝石は」
「おい、ちょっと待て。ならこの時まで誰も盗んでなかったことになるじゃないか」
「確かに。少なくとも会長さんがホールを離れた十五時半から、パーティの準備をし始めた十七時まで、ずっと宝石はそこのあったように思われます」
「それ以降に宝石がなくなったのであれば、掃除と称して近づいた森が一番怪しいじゃないか。……そうか、『掃除をするからセンサーを切ってくれ』と頼んだのはそのためか!」
「いいえ、違います。わたしは本当に掃除のために……」
「違うも何もあるもんか! これだけの証拠が集まってるんだ。いくらお前とて言い逃れは出来んぞ! それとも何か? 誰か証言でもあるのか?」
「……いえ……」
「ほら見ろ。馬脚を表しやがって。犯人なら犯人らしく、潔く自首したらどうなんだ!?」
「…………」
 熱くなる会長さんに、どうやって言いつくろうか悩む森さん。彼女にはアリバイがないのですから仕方ありません。
 ふう、困ってますね。森さん。仕方ない。貸し一つですからね。
「残念ながら、森さんも犯人じゃありません」
 あたしの言葉に、年増の若作りメイドはホッと安堵の息を洩らしました。
「なっ……どうして!? 証拠は十分あるじゃないか!」
 対照的にこちらは驚愕の声。
「正確には、『アリバイがない』だけです」
 森さんは多丸さん達と同じく、犯行可能な状態にあったのは言うまでもありません。ですが彼らとは異なり、彼女の仕事の様子――ありていに申し上げれば、彼女がどうやって犯行に及んだのかが分からないのです。
「分からない……と言ったところで、彼女しか疑う人間がいなければ彼女が犯人だろうが!」
「会長さん。あなたは『疑わしきは罰せず』と言う言葉を存しておりますか?」
「あ? ……ああ。法律の専門用語だな。疑わしいと言うだけで犯人を決め付けてはいけない。冤罪を防ぐための慣例みたいなやつだな」
「そう、良くご存知ですね」
 あたしはニコッと微笑み、
「森さんについても同じ事が言えるんじゃないでしょうか?」
「……ぐっ」
「確かに、森さんは誰一人として気づかれず宝石を盗むことが可能だった立場にあることは否めません。しかし、だからといって森さんを犯人だと決め付けてしまうのは早計ではないでしょうか?」
 そうなのです。森さんは怪しさナンバーワンの立場ながら、確たる証拠が見つかっていないのです。
 動機、犯行方法、宝石の隠し場所。そのどれを取っても、森さんが犯行を起こしたとは言い切れないのです。結果、『疑わしきは罰せず』の法則に則ることとなり、彼女は晴れて無罪となってしまうのです。
 ……ま、結果論から言いますと、犯人は別にいますから当然なんですけどね。
「なら……犯人は一体誰なんだ?」
 縋るように、会長さんは細々と声をあげました。
 ふふふふ。そうそう。その言葉を待ってました。いよいよあたしの推理の見せ場ですね!
 自然にこみ上げてくる笑みを何とか押し殺し、険しい顔を前面に出しながらクールに言い放ちました。



「犯人は――――あなたですっ!!」



『なっ…………』

 ビシッと指差した向こう。
 あたしが犯人と断定したその人は、畏敬だか恐怖の念だかをありありと見せつけてくれました。
 もちろん、その人の回りにいる人間も、また。
「お、おい……橘……」
 キョンくんがしどろもどろな口調で声をかけます。彼にとって、『その人』が犯人だったとは露にも思わなかったのでしょうか。
「ど、どうして……いいえ、まさか、そんな……」
 いつもは目を細めている古泉さんも、今や一般人と同じ大きさになるまで見開き、恐る恐る刮目していました。
 よくよく見れば、会長さんも喜緑さんも、そして『機関』の皆様もまた、同じような表情で『その人』を凝視しています。
 ――そう。『その人』だけを除いて。

「ぼ、僕が…………犯人だと…………!?」

 ――あたしのすぐ横。ずっとアシスタントをしてくれていた彼――ポンジー藤原くんは、まるで信じられないと言った表情のまま、額から流れる汗を拭おうとはしませんでした。




「先に申し上げたとおり、新川さんを始め、この屋敷の使用人となっている『機関』の皆様方は、物理的に犯行が不可能、或いは犯行をする動機がないということで実質容疑者から外れました」
 あたしはコツ、コツ、と彼の元へと歩き、蹲ったまま身動き一つしないその肩に、優しく手を置きました。
「ホールに入ることが無かったキョンくんや古泉さんは論外。また会長さんや喜緑さんには、わざわざ事件を発生させて事を荒立てるように仕向ける理由が見当たりません。単純に消去法でいくと……あなたになるのです」
 肩がワナワナと振るえているのが分かります……しかし、彼はその怒りだか悲しみだかの感情をぶつける事はしませんでした。
 代わりに、「ま、待ってくれ」と会長さんが声をかけました。衝撃の事実に驚倒しながらも、真実を知りたいのでしょう、彼のトーンが若干高くなっているのが分かりました。
「消去法って言ったって……彼こそ犯行を行う動機が見当たらないじゃないか。『疑わしきは罰せず』に則れば、それこそ無罪だ」
「残念ながら、会長さんの仰ることには間違いがあります」
「間違い?」
「確かに、疑うだけであれば彼も無罪と同様の措置を取らざるを得ません。しかし、彼にはあの宝石を盗んだと言う確たる証拠があるのです」
『……!!』
 あたしの言葉に皆が一斉に声にならない声をあげました。
「証拠……だと……?」
 ここでようやくポンジーくんの声。
「くくく……面白い。なら見せてもらおうか。僕が盗んだという、決定的な証拠をな!」
 肩に当ててた手を払い、あたしに向かってビシッと指差すポンジーくん。
「ふふふ……、言われなくても分かっているわ」
 対するあたしは、余裕の表情で笑い返してやりました。それが癪に障ったのでしょうか、
「確かに僕はパーティが始まるまでこの会場にいたさ。しかし僕が一人になる時間帯など殆ど無かった。『機関』の人間に対する監視というのは、逆に言えば『機関』の連中によって監視されていたことになる。これがどういう意味か、分かるよな?」
「ええ。あなたが宝石を盗む暇など無かった。そう仰りたいのですね」
「そうだ。監視だけでなく、パーティの準備もこなし、あくせく働いてた僕に、どうして犯行ができると言うんだ?」
 彼の言い分――アリバイと言うやつですが――は、恐らく正しいでしょう。狙ったのか偶然なのかわかりませんが、会長さんは違う勢力同士を牽制しあうことで、宝石泥棒を未然に防いでいたのです。
「そして、十七時近くまで宝石が女神像の掌に納まっていることがそっちのメイドの証言で明らかになっている。それ以降僕はずっと給仕手伝いをしていたから、宝石に近づこうとも近づけなかったわけだ」
「なるほど、ポンジーくんのアリバイは完璧だったと言うわけですね?」
「当然だ」
 ふふふっ、と余裕の表情で見下すポンジーくん。余程自分のアリバイに自身があるようですね。
 しかし――
「果たして、本当にそうでしょうか?」
「何?」
「本当に、森さんが女神像を確認した際、本当に宝石がそこにあったのでしょうか?」
「どういう意味だ!? 彼女の証言が信じられないとでもいうのか?」
 むー。言い訳がましい人ですね。仕方ない。言い方を変えましょう。
 あたしは「もう一度言います。よーく聞いてください」と注釈した後、声を大にして朗々と言い切りました。

「森さんが女神像を確認した際、『本物の』宝石がそこにあったのでしょうか?」

「……っな…………」
「ポンジーくん、覚えてますね。あの宝石と同じ形、同じ色、そして同じ輝きの、偽者があることを」
「そ、それがどうしたんだ……?」
「イミテーションとはいえ非常に良く出来た一物であり、素人目では判断できないくらい精巧なものでした」
 ここで一旦区切り、別の人の方へと向きます。
「森さん。失礼ですが、あなたは宝石に対しての知識はおありでしょうか? 本物と贋作を見分ける鑑定士レベルの知識と言う意味で」
「宝石は好きな方だけど、さすがにそこまで見分ける能力はないわ。それに掃除の最中だったから、そこまでまじまじと宝石ばかりを見ていたわけじゃないし」
「ありがとうございます」
 再びポンジーくんの方を向き、
「つまり、そう言うわけです。あの時、既に宝石は本物から偽者へと切り替わっていたのです!」
 あたしの推理に、一同沈黙……いえ、キョンくんが手を挙げました。
「だが待て、橘。もしその時宝石が偽者に摩り替わっていたとしたら、いつ本物の宝石を摩り替えたことになるんだ?」
「それは今から順を追って説明しましょう」
 ホワイトボードの前に立ち、カパっとボードを半回転。先ほど書いたタイムテーブルが姿を現しました。
「これは使用人たる『機関』の皆様の行動を時間順に書き示したものですが、今回は『機関』の方々の行動ではなく、ポンジーくんの行動を追ってみることにします」
 指示棒の代わりに黒のマーカーで指し示しながら、
「まずですが、十五時半から十六時までの間、新川さんがやってきました。この際ポンジーくんは厨房とホールの入り口までの荷物運びをしていたとのことです。新川さんも、その姿は確認していますよね?」
「ええ。確かに」
「その際、彼は女神像に近づいていましたか?」
「いや、その様な記憶はございませんが」
 ホールの入り口と厨房の入り口はほぼ直線であり、部屋の中央にある女神像へと近づくのは余りにも不自然です。それに近づいたところで、彼には宝石を取る手段がありません。
 そう、この時は。
「では続いて、多丸さんご兄弟に伺います。あなた達は十六時過ぎからこちらにやってきて、天窓の修理をなさっていました。ではその際、ポンジーくんが何をしていたのかご存知でしょうか?」
 あたしの質問に、圭一さんが答えました。
「ああ、確か脚立を押さえてもらっていたんだったけな」
「一つお聞きしたいのですが、それは本当のことですか?」
「え?」
「あなた自身が、自分の目でポンジーくんが脚立を押さえていると確認したのですか?」
「あ……いや、あの時は窓の修理で気が回らなかったからね。よくよく考えてみれば、脚立を押さえていると言ったのも彼だったし」
「おい……ってことは……」
「まさか……」
 圭一さんの言葉に、辺りがざわつき始めました。そうなのです。ポンジーくが脚立を押さえていたというのは彼自身の証言であり、確たる証拠はないのです。それはつまり、こうとも考えられるのです。
「ポンジーくん、あなた本当は押さえていたのではなく、脚立を登って女神像へと近づいてたんじゃないのかしら?」
「……ば、馬鹿なことを言うな!」
 あたしの推理に、ポンジーくんは声を荒げました。
「圭一氏は窓の上を眺めていたのだから僕の姿が見えなくて当然だ! しかし、屋根に上っていた裕氏ならば僕の姿を確認していたはずだ!」
「いいえ。それもあり得ません」とあたし。「お忘れですか? 裕さんは先ほどの聴取で仰ってたことを」
「なに……?」
「裕さん。あなたは先ほど、『外から中の様子を確認するのは困難だ』と仰っていましたね」
「……あ、ああ。照りつける光ってのは冬でも結構強烈でね。中の様子は暗くて解らなかったんだ。藤原くんがそこにいると気付いたのも、実はあの時の聴取で始めて知ったんだ」
『……なっ!!』
「ポンジーくん。これであなたのアリバイが崩れましたね。圭一さんも裕さんも、あなたが脚立を押さえていたという事実を知らなかったことになります」
 あたしの言葉に、無言を貫き通すポンジーくん。
「それだけならばまだ可愛いものですが……彼の大罪はここから始まります」
「つまり……何か? あいつは圭一さん裕さんがいるにも関わらず、大胆にも女神像へと近づいたと言いたいのか?」
「ええ、その通りです。彼らが仕事に熱中していることをいいことに、或いは瞳の錯覚を利用して、二人に気付かせぬまま女神像にあった宝石を奪い取ったのです」
「ふむ……そう言うことだったのですか。あの時、圭一さんも裕さんもそこそこの作業音を響かせていましたし、宝石を抜き取る際に多少のきしみ音がしたところでかき消されてしまうでしょう」
 あたしの主張したいことをサッと言葉にする古泉さん。少し悔しいですけどガマンして次の話へと切り替えます。
「そして自分が手にしていたダミーの宝石を入れ替え、傍から気付かないように仕向けたのです。先にも言いましたが、この宝石はちょっとやそっとじゃ分からないくらい精巧にできています」
 森さんの素人目には気付かれないでしょう、と心の中で付け加えます。本当のことなんだけど、あのババア本気でキレそうですから。
「そしてそのまま……つまり、ダミーの宝石を用いてパーティに望もうとしたのでしょう」
 そう、偽者の宝石でパーティを進行しようと画策したのです。その目的は定かではありませんが……恐らく、宝石が偽者と気付かない一同をせせら笑うためだったと考えます。
「しかし、ここに来て大きな誤算があったのです」
「誤算……?」
「思い出してください。パーティが始まり、いよいよ指輪を贈呈する時となった、あの時を。会長が布を剥ぎ取った際、足元の落ちてきたのは一体何だったですか?」
「宝石が外された、指輪だが……」
「そうでしたね。確かに。でもおかしいとは思いませんか?」
「何がだ?」
「先ず一つ目。指輪をはめ込んでいた台座は結構しっかりとした造りで、ちょっとやそっとの振動じゃ外れて落ちてくるなんて事はありません。ですが実際は布を外しただけで台座から外れて落ちてきたのです」
「……確かに。違和感ありありだな」
 難しい顔をして、会長さんは考えこみ始めました。
「これは恐らく、慌てて宝石を嵌め換えたためきちんと台座に当てはまってなかったことが原因と考えます。そりゃそうですよね。二人の目を盗んでそんな工作をするんですから、どうしても雑な作業になりがちです」
 指輪を外すのにはそれほど時間はかからないでしょう。力任せに抜き取ればいいんですから。しかし、抜き取った指輪をもう一度はめ込む場合にはそうはいきません。布が被さったままでは、どこに指輪を挿す穴があるか解りませんからね。
 布を剥いで穴を確認すればいいのだが、そんなことをすればすぐにバレてしまう。しかし、ぐずぐずしている時間はない。指輪から宝石を外して偽者の宝石をはめ込むのだって結構時間を取られたし、何より天窓の修理が終わりそうだ。
「内心焦りながらも、布の中に隠れた指輪をはめ込む窪みを探し出し、何とか探り当ててはめ込んだようですが……完全ではなかったようです。その結果、布を外した際に宝石が外れてしまうと言うハプニングがあったのです」
「なるほど、それであの時指輪が落ちてきたのか……」
 キョンくんは何故かしみじみと考え込みながら、
「だが、宝石まで無くなっていたのはどういうことだ? 仮にあの時、床に落ちた衝撃で宝石が外れたとしても、見つからないと言うのはおかしいじゃないか」
「はい、そう来ると思っていました。当然のことですもんね」
「お前に当然とか言われると腹立たしいな」
 何か仰いましたか?
「いや、妄言だ。気にしないでくれ」
「そうですか。ならそう言うことにしときましょう」
 内心悔しいけど、ここで我慢すればキョンくんの悔しがる顔がもっと面白く……って、そんなことをしてる場合じゃないわね。
「確かに、キョンくんの言う事ももっともです。あたしが言おうとした疑問点その2も、実はそれだったのです。果たして宝石はどこに行ってしまったのか。それを探る鍵となるのは……これです!」
 言ってあたしは自分の足元――女神像に程近い、床を指差しました。
「このエレベーターの振動。それこそ宝石をロストさせた根源だったのです!」
『――――!?』
 驚きの表情と訝しげな表情を同時にする一同。どうやら意味がわかってないようですね。仕方ありません。一から説明することにしましょう。
「このエレベーター。結構振動が大きかったのはご存知だと思います。実際あたしは立ってるのがやっとだと感じていました。そんな振動の中、ちゃんと固定していない宝石があのまま掌にずっと納まっているとお思いですか?」
「あ……」
「あの時間、エレベーターを動かしたのはただの一回。森さんの命令で地下まで降ろした時がありましたね」
「まさか……その時に外れたなんていうんじゃないだろうな?」
「その通り!」
「……っな、ちょっと待て!」
 キョンくんのツッコミは無視。
「外れた宝石は恐らく地下室のどこかにあると思います。あそこは暗いですから、ちょっと辺りを見渡しただけじゃわかんなかったと思います。ですがちゃんと探せば見つかるはずです。宜しかったら今から探しに行きましょうか?」
 もし見つかれば――あたしの推理が正しかったことが証明されることになり――
「つまり、ポンジーくんが犯人であることが証明されるのです」
 くるりと踵を返し、先ほどから黙っているポンジーくんに対して一言。
「どうしますか? まだ弁明すべきことはありますか?」
「…………そうだな、言いたいことは色々あるが……」
 女神像にもたれかかりながら、彼はやけに落ち着いた口調でゆっくりと語り掛けました。

「地下に落ちていった宝石は、捜す必要はあるまい。元々アレは皆の目を眩ませる為の偽者に過ぎないのだからな」

「おい……」
「まさか……」
「本当に……彼が……?」

 驚天動地の形相で言葉を洩らす一同。
「本来ならば宝石が偽者とわかった時点で皆にドッキリ企画だったと告げようと思ったんだ」
「ドッキリ企画……ですか?」
「ああ。偽者と気付かず宝石を授与する間抜けな男と、本物とイミテーションの区別もつかない浅はかな女を周囲に見せ占めることで、人間としての価値のあり方を若い二人に知らしめるつもりだったんだ」
 言ってポンジーくんは懐を弄り、小柄なケースを取り出した。
「こっちが本物の宝石だ。確認してくれ」
 ご丁寧にもスポットライトを用意していたポンジーくんは、強烈に光る真っ白な光を宝石に当てました。
 その光を受け燦々と輝く様は、名匠の刀鍛冶によって鍛えぬかれた翠玉の玉鋼とも言うべきでしょうか。
「確認した。では返してもらおう」
 蓋を閉じ、スポットライトを消した後、ケースを渡そうとして、
「宝石の輝きは、確かに美しい」
 受け取ろうとする会長に言葉を投げかけました。
「だが、人間の魂の輝きはそれ以上に優麗な様を見せるものだ。宝石にかまけて、魂の美しさを磨かないようではあんた達の生活も先が知れている。僕はそれに警鐘を鳴らすために、敢えて宝石を摩り替えたんだ」
『…………』
「宝石が盗まれたと騒ぎ、しかも身内の誰かが盗んだと騒ぐようでは、家宝の宝石を受け継ぐ資格なんてない。偽者の宝石がお似合いだ。それに宝石よりも大切なものがあるだろう」
 ちら、と横を――喜緑さんを見て、再び会長へと目を向けました。
「騙したことは悪いと思っている。一時的とは言え、混乱させた事も申し訳なかったと思う」
「いや……こちらこそすまない。宝石が盗まれたと取り乱したのは、確かに大人気ない行為だった。本当に大切な存在が――喜緑くんがいるというのに」
「会長……」
「必要なのは、『魂の輝き』か。重要なことだな。この宝石以上に魂を輝かせるよう、努力してみるよ、私も」
 会長さんが、右手を差し出しました。
「……ああ、その時こそ本物の宝石で祝おうじゃないか」
 ポンジーくんも右手を差し出し、お互いギュっと握り締めました。
 パチ……パチ……パチ……
 そして、再び拍手の喝采。拍手する人数に変わりは無いのですが、何故だかより大きく聞こえるのはあたしの気のせいではないと信じています。
「そして、ありがとう。お嬢さん」
 ポンジーくんとの熱い握手を交わした後、会長さんはあたしの方を振り返りました。
「確かに私の中では、犯人はあの連中だと決め付け、懐疑心で凝り固まっていたようだ。そしてその動機が私に対する嫌がらせであると信じて疑わなかった。それを目覚めさせてくれた彼と、そしてお嬢さんに感謝するよ」
 いいえ、あたしはただ真実を突き止めただけです。あなたを目覚めさせようとしたのはポンジーくんで、どちらかと言うとあたしは余計なことしかしてない気がします。
「いや、謙遜しなくていい。新年を……そして、新しい家族を迎えるに当たって、大切なことを学んだよ。ありがとう」
 そして、ポンジーくん同様、あたしに握手を求めてきました。へへ、照れますね。
 恥ずかしながらも手を差し出し、彼の想いに答えることにしました。

 ギュ。

 冷え切った会長さんの表情は、少しではありますが春の訪れを感じさせるような暖かみが表れており――。
 あたしはその表情を一生忘れる事はないでしょう。



 その後のことをお話したいと思います。
 会長さんは改めてパーティを開始し、婚約の契りと共に、自分を切磋琢磨することをこの場で誓いました。
 ポンジーくんから受け取った宝石は使いません。『今の自分には過ぎたものだ』と拒んだからです。彼がもっと成長し、一流の人間となった場合に開け、改めて喜緑さんにプレゼントするそうです。
 些細ではありましたが、料理もありました。冷え切った料理を温めなおしたものでしたが、それでも美味しいことには代わりありません。今年一年の食いだめをするかのごとくあたしは箸を光速の勢いで動かしました。
 その姿を見て自然に笑みを零す会長さんや、逆に嘆いているキョンくんを始め、パーティは始終良い雰囲気のまま進行し――そして終わりを迎え、あたし達は解散することになりました。
 パーティの終わり際、『また遊びに来てくれ』といった会長さんの言葉が忘れられません。ご飯をいただけるなら毎日でも行きますよ、あたしは。
 そう言うと流石の会長さんも苦笑いしてましたけど。
 そうそう、会長さんは『機関』の皆様に対する態度にも軟化の兆しを見せ始めていました。完全ではないようですが、至らない自分が他人を叱責する立場に無いと考え始めたのでしょうかね。
 そう言った意味では古泉さんもあたしに感謝しないといけませんね。
「いいえ、前回の件と併せてチャラにしておきましょう」
 前回っていつのことでしょうかね。まあいいですけど。
 いい事をした後は気持ちがいいです。こと新年となるとそれもひとしおです。
「さ! 遅くなりましたし、帰りましょう! 次の事件があたしを待っているかもしれません!」
 先導するあたしの後ろに、やれやれと頭を振るキョンくん、闇と一体化しそうな九曜さん、そして一仕事追えて満足げなポンジーくん。
 色々ありますが、このメンバーなら今年一年も乗り切れそうです。
 今後ともあたしの活躍に期待してくださいね。


 橘京子の動揺(解決編) おわりなのです!


 ………
 ……
 …



 …
 ……
 ………


 漆黒の闇が辺りを支配する。
 昼間は晴れていた空も、今や暗い雲と、そして夜という致命的な光の遮断によって、人間の目で感知できる感覚は役に立たないものとなっている。
 下手に動けば何かにぶつかり、最悪ケガをしてしまうかもしれないこの空間。頼りになるのは視覚以外の感覚――例えば、聴覚。
 その聴覚を研ぎ澄ますため、俺達はその場でじっと耳を欹てる。
 すると――


『………っと……へん……』
『…………ですか……?』
 暗闇の奥から、声が聞こえる。

『……や……っと…………』
『……ふう……暗い……』
 声からして、二人。おそらく男と女だろう。

『……つけた……だろ……』
『……でも…………』
 声を潜めて喋っているため詳細は不明だが、何かを探しているような感じだ。

『…………ん……った!!』
『………よしっ! ………』
 何かを見つけたようだ。

『よし、つぎはホールだ……』
『あの箱って……まだ……』
 人がいるとも知らず、俺たちの傍を横切る二人。

『…………どこ……い……』
『電気……すか……?』
「照明なら、ここだぞ」


『――――!!!?』


 ホールの明かりが一斉に灯され、こそこそと会話をしていた二人が一斉にライトを浴び、その姿を露にする。
 即ち――藤原と、橘京子。


「何をやってんだ? お前ら?」
「きょ、きょ、きょ、キョンくんこそ何やってんですか! 人様のおうちで!」
 お前が言える立場かよ、と突っ込みたいが何とか我慢し、
「いや、なに。種明かしでもしようかと思ってな。今回の事件の真相をな」
「真相……」
「だと……?」
 交互に喋りだす和服姿の男女。
「今回も橘さんにしてやられました。いいえ、橘さんだけではありません。もちろんあなたもです。くっくっくっ……」
 入り口付近の壁にもたれかかった古泉は、目を細めて嘲け笑うかのごとく喉を震わせていた。
「な、なんのことだ……?」
「なに、簡単なことです。あの事件の推理。あなた達二人の狂言だったと言いたいのですよ」
『!!?』
 暖かみのある照明とは裏腹に、古泉の冷笑が二人を包む。
「有体に申し上げて、あなたが宝石を盗むなど考えられません。確かに橘さんはあなたが宝石を盗む方法を教えてくださいましたが、それは可能性の一つであって、実行できたかどうかは甚だ疑問です。……いや、むしろ実行は不可能です」
「藤原、覚えているか。お前が犯行に及んだとされる時のことを。裕さんは『光の加減で中の様子が見えなかった』とは言ってたが、それはあくまで裕さんからの視点だ」
 古泉に続き、俺も二人に声をかけた。先程の推理ショーにケチをつけるかの如く。
「裕さんから、自分の姿が見えていると考えるのが普通だ。いくら見えてないと言っても、自分の方に視線があるならそう思うはずだ。そして自分の姿が目に入っているかもしれないのに、犯行を起こすバカがどこにいるというんだ?」
「エレベーターの説明にも瑕疵がありましたね。あの時橘さんは『地下に移動する際に宝石が落ちた』と説明しましたが、その前に森さんの命令でエレベーターを動かしているんですよ。あなたの説明が正しいならば、その時に宝石が落ちてないといけません」
「だが、森さんはその時宝石は確認したと言っていた。更に付け足すならば、指輪も掌にキッチリ納まっていて、外れるような代物じゃなかったそうだ」
「察するに、森さんが女神像のチェックをなさった後、あなたは言伝を伝えるフリをして宝石を抜き取る工作を行ったのでしょう。森さんの証言を得るため、そして行動を悟られないようにするために、ね」
「な……先ほどから何を言ってるんだ……」
 藤原がなにやら言い出しているが、構わず話を続ける。
「聞けば、女神像に布を被せて地下まで下げるように指示を出したのはお前だったと言うじゃないか。ご丁寧に布にまで細工をして」
 ほら、と二人に布を見せてやる。
「さっきは気付かなかったが、ここにちょっとしたシワがあるだろ。このシワを良く見ると、小さいが穴が空いているんだ。糸を通したような、小さい穴がな」
「女神像の周りを調べましたところ、丁度そのような糸が落ちていました。これは新川さんが所有していたテグスですね。非常に細くて探すのには苦労しましたよ」
「ま、それだけ細い糸なら気付かれないだろうし、引っ張っただけで簡単に切れてしまうからな。それが狙いだったんだろ?」
「指輪を落とす必要はなかったかもしれませんが、これは演出のため。宝石の無い指輪でもインパクトは強いでしょうが、指輪を落とした方がより怒りの矛先を『機関』に向けさせやすいですからね」
「いや、別に『機関』じゃなくてもいい。更に言えば誰でも良かったのさ。例え……自分が犯人扱いされてもな」
「僕達が言いたいことがわかりますか?」
「何だと……いいたいんだ?」
 なに、簡単なことさ。


「お前の行動は、全て『真犯人』を庇っての行動だって言いたいんだ」


『!!?』
 藤原と橘。二人の顔が同時に引きつった。
「上手いこと美談に纏め上げたはいいが、全体を通してみると一貫性がないんだよ。お前の主張は」
「会長に苦言を呈し改心させたいのであれば、皆と相談して段取りを決めるべきでしたね。何の相談もなしに勝手にやられては第三者が戸惑い、見当違いの行動を起こしかねないですからね」
「せめて俺たちに話してくれれば、そっちの都合にあわせられたんだがな。勝手にストーリーを作って推し進めやがって」
「全く、困ったものです」
「ええいっ! さっきから何を言ってるんだ!」
 俺たちの質問攻めに絶えられなくなったのか、藤原が遂に声を荒げた。
「宝石は元の位置に戻った。会長も罪を許してくれたし、いくばくかは心を入れ替えた。いい事尽くめじゃないか。一体あんた達は何を望んでそんな意味不明なことを言い出すんだ!?」
 意味不明、ね。「どっちが意味不明だか」
「こちらは真相を追究しようとしているだけですよ。例えば……」
 古泉はスッと腕を上げ、藤原――正確に言えば彼が大事そうに抱えている包みを指差した。
「どうしてあなたはアレキサンドライトを所有しているのですか?」
「こ、これは……に、偽者だ。ほら、さっき偽者を地下に落としてしまったといっただろう。ソレを取りに行ってたんだ」
「何故偽者を取りに行く必要があったんだ? お前自身言ってたじゃないか『偽者の宝石には用がない』ってな」
「あ、いや……偽者は偽者でも結構綺麗だったからな。何かの記念と思って」
 ったく、やっぱり往生際が悪いやつだ。
「なら、教えてくれ」
 再びその包み――チラリと輝きを見せるその宝石を指差し、
「何でその宝石は紅く輝いているんだ?」
「……!!」
「更に言うとだな、古泉。頼む」
「了解」
 俺の指示に古泉の手が動き、照明の色が変わる。正確には『色温度』が変わる、だったけな。
 ともかく、冬用の暖かみのある照明から、夏用の青白い照明へと切り替わる。
 すると――

「藤原、お前が偽物と主張する宝石、何故色が変わったんだ?」
 ――ルビーのように紅く輝いていたものが、エメラルドの如き緑色の宝石へと変化したのだ。

「偽者の宝石はそんなカラーチェンジはしなかったはずだぜ。お前も昼間、会長と見てたはずだから知らなかったとは言わせないぞ」
「ぐ……」
「あなたが罪を認め、宝石を見せたときに当てたライト。あれがどうしても気になりましてね。決して暗くないはずのホールで、どうしてライトを当てる必要があったのでしょうか」
「会長に渡した宝石こそ偽物の宝石だったんだ。偽物の宝石はカラーチェンジしないから、あの照明の中で紅く輝いてなければいけない。だから白色のスポットライトを当て、いかにも本物であるように仕向けたってわけだ」
「その宝石は、間違いなく本物のアレキサンドライトです。そして、地下室に落ちていったのは偽者ではなく、そちらこそ本物だったのです。違いますか?」
「ば、バカな……」
 最早いいのがれ出来ないのに、それでも虚勢を張る藤原。元々素直じゃない奴だし、仕方ない。
 ならばと、別の人間――さっきから涙目でプルプル震えているツインテールに声をかけた。
「橘。本当の事を言え。さもなければ正月三が日、ここで森さんと二人っきりで過ごしてもらうからな」
「ひええええ! ごめんなさいごめんなさい! 悪気があってやったわけじゃないんですごめんなさい!」
「こ、こらっ!」

 ――というわけで。
 藤原の詭弁は、空気を読まない橘の平謝りのせいで最早無用の長物となってしまった。



 事の発端は、藤原がホールを離れ、橘が警備兼女神像の掃除をしていた時まで遡る。
 森さんのいいつけどおり、橘は女神像の清掃を行っていたのだが、掌に納まっていた宝石がどうしても気になる。ちょっとくらいなら手にしてもいいかなと指輪を外そうとして際、悲劇は起こった。
 ドジッ子属性が付与しまくりの彼女は、ここでも例に洩れずドジッ子振りを発揮したのだ。
 つまり、手を滑らせて宝石を落としてしまうと言う失態を。
 これだけならまだ取り返しがつく。宝石を広い、元の指輪に納めればいいだけだからな。
 しかし、ここから先が橘京子の本領発揮となった。
 床に下り、宝石を拾おうとして近づいたまでは良かったのだが、タイミングが悪いことに、地下でエレベーターの動作確認を称した上下運動がはじまったのだ。
 それに驚いた橘は宝石を蹴っ飛ばしてしまい、床とエレベーターの隙間から地下へと落っことしてしまったのだ。
 慌てて取りに行こうと思ったが、そこで踏みとどまった。
 事故とは言え、会長家の家宝である宝石に対し、ぞんざいな扱いをしてしまったことがもし森さんにばれたらあたしは半殺しの目に遭ってしまう。
 ここは何とかして偽装しなければ……はっ! そうだ! 会長さんから貰ったイミテーションがあるじゃない。一時的にこれを嵌めておけば何とかなるかも!
 足りない脳みそを何とかフル回転し、実行したまでは良かったのだが……丁度そのとき、トイレから戻ってきた藤原がその現場を目撃したのだ。
 例えではなく本気で泣き顔になった橘は藤原に『黙っててくださいお願いします。何でもしますから」と懇願し、藤原は藤原でこんな橘京子の願いをフイにすることが出来ずはずもなく……何とか話の辻褄を合わせようと画策したのだ。
 とりあえずはイミテーションの宝石で誤魔化せるが、何時まで騙せるかは甚だ疑問である。加えて本物にはあってイミテーションには無い厄介な特性――カラーチェンジがある。
 パーティの開始は暗くなった折。しかもライトの色が電球色に近いことからアレキサンドライトの色は赤色となってなければいけない。しかし偽者の宝石は緑色。しかもイミテーションと分かれば所有していた橘が一番怪しまれる。
 このままでは誤魔化しがきかない。ならばどうすればいいか――
『盗まれたことにすればいいじゃないか』
 考えに考えぬいた末に出た結論がそれだった。自分にも容疑を掛けられる不安定要素もあったものの、偽者の宝石をつけたままの現状よりはよっぽどマシになるはず。
 しかし、ここでも問題があった。
 この後、森さんが清掃をちゃんとやっているかチェックしに来ると言うのだ。
 まずい。今この現状で宝石が無いのが見つかれば、その前に女神像に近づいていた橘が疑われる。それでは意味が無い。
 宝石を外すのは、森さんのチェックが終わってからにすべきだ。
 そう思って藤原は森さんのチェックが終わるまで宝石を外すのを躊躇い、終わった後に自ら進んで女神像に布を被せ、そして移動を命じたのだ。
 あとは――俺たちの知るとおりの展開である。


「つまり、こいつがドジなせいで起きた悲劇ってわけか」
「ごめんなさいごめんなさい。森さんだけには言わないでください~」
 ウルウルと涙を零しながら、はた迷惑なツインテールが手を合わせて懇願した。
「まあ……窃盗目的でやったわけではないですし、それに会長も『機関』に対して態度を軟化させていますから、僕もこの状況の方がありがたいのは事実です。僕からの厳重注意ということで、真相は語らないでおきましょう」
「あぢがどお゛…………ごい゛ずみ゛ざ~ん゛……」
 ずるずると鼻水をたらしながら、多分本気で感謝の気持ちを伝えていた。幾分愉快な顔になっているから興ざめだが。
 俺はといえば、「それよりも、全ての罪を被ったコイツに感謝しろよ」と、藤原を指差した。
「美談に仕立て上げたとは言え、目下の悪者はコイツになってるんだからな」
「うん……ありがとう。ポンジーくん」
「ふ、ふん。例をいわれるまでもない」
 傍から見ても分かるくらい顔を紅くしてるツンデレボーイ。
「でも、何であたしのためのここまでやってくれるんですか?」
 うむ。最もな疑問だ。ようやくそこに気がついたか。
「決まってるだろ。お前のことが心配なんだ」
「こ、こらっ!」
 俺の言葉に,藤原が慌てふためき、
「え? 本当?」
 橘が驚きの声をあげる。
「あ……いや、まあ……そんなところだ」
「あたしのこと心配してくれるんだ……嬉しい」
 橘の言葉に、藤原の顔は更に紅くなった。
 なんだ、いい雰囲気じゃないか。もう一押しで橘を藤原に押し付けられ……もとい、藤原の恋を成就できそうじゃないか。
「いい機会じゃないか。言え。言っちまえ」
「……なっ!」
「そうですね。僕らが立会人になって差し上げましょう」
「だ、だが……」
 今言わなければ何時言うんだよ! 最高のチャンスじゃないか! 大丈夫、ほら、結婚の女神様がそこにいるじゃないか!
「……そ、そうだな……よしっ!」
 拳を握り締め、正装で身を固めていた藤原は、これまた正装ちっくな振袖姿のツインテールと向き合った。
「た、橘! 聞いてくれ!」
「は、はい? どうしましたかポンジーくん。あらたまっちゃって」
「ぼ、僕は……僕は……僕は……」
 かなりどもっているのか、次の言葉が出ない。ええい、もどかしい!
「かんばって下さい! 明るい未来はすぐそこです!」
「ああ、僕は……き、キミのことが……」
「?」
「す、す、っす……」
 あとちょっとだ! 行けえ!!
「すっ……「ストー――――――ップ…………――――」」

 ――瞬間、闇の中から闇の申し子が現れた。

「な……九曜! せっかくのいいところなのに!」
「何故邪魔をするんですか!」
「くそう……」
「あれ、九曜さん、どうしたんですか?」
 四者四様の問いかけに、九曜は身動き一つ取らず囁いた。
「事件の――――真相は…………――――把握――――――した――――――」
 最初から最後までを知る彼女とは思えない発言をした。
「ずっと――――――ジャミングによって――――――――真相が……――――理解できなかった――――――――でも……――――これで――――――納得が――――――――いった――――」
 な、納得って何がだ?
「彼女――――が――――異様に…………――――殺気立っている――――――ことを――――」

 彼女って一体……?
 そう問い返そうとして、九曜の方を振り向いた瞬間、俺は見てはいけないものを見てしまった。

「ふふふふ…………せっかく会長が用意してくださった宝石を足蹴にしたのは、あなたでしたか……」

 そこに居たのは、世界中の畏怖と戦慄を人間サイズまでに圧縮したような、負の想念の塊――。
 恐怖のグリーン姉さんこと、喜緑さん……。


「それだけじゃありませんね。わたしに対する会長の想いを踏みにじったのも、あなたですね……」
「はわわわわわ…………」
「会長のように高貴な有機生命体がいる一方、救いの無いほど低俗な有機生命体もいるのですね……」
「はひはひはひ…………」
「早急なる情報断片の改定と、愚体情報残渣のクリーンアップが必要のようですね」
「ひえひえひえ…………」
「さあ、参りましょう。あなたは生まれ変わるべき存在のようです」
「い、いやあああぁぁあぁ……!!!!」

 ………
 ……
 …

 ――そして、二人の女性は一瞬にして姿を消してしまった。
 彼女が手にしていた、アレキサンドライトの宝石だけを残して。


「な、なあ九曜。あの二人、どこに行ったんだ? というか、橘は無事に帰ってこられるのか?」
「大丈夫――――彼女は――――観察対象…………――――消滅することはない――――ただ――――」
「ただ?」
「それ故――――――無限の苦しみを――――背負うことになる――――――」
『………………』



 こうして、全く無駄足だった新年一日目は幕を閉じることになり――
 今年一年もダメダメな一年になりそうな気分で一杯になってしまったのだ。


 なお、会長が『機関』の皆様に対して敵対心バリバリだった理由もお話ししたい。
 去年の暮れ、『機関』主催の忘年会をここ会長宅で行ったときのこと。
 ベロンベロンに酔っぱらっていた新川さんがお鍋のネギが無いことに気づき、同じくベロンベロンに酔っぱらっていた森さんが会長の部屋にあると申し出て、そしてやはりベロン(以下略)の多丸さん達がソレを取ってきて、鍋に放り入れたのだ。
 ――すなわち、初○ミ○のフィギュア付随の、ネギ。
 真相を知った会長は大激怒。『俺の命の次に大切なミ○ちゃんに何をする! ボッコボコにしてやんよ』と大絶叫。
 もちろん酔っぱらっている四人は聞く耳持たず。
 そんなこんなで確執が生まれたのでした。


 ――カンベンしてください。いやホントに。




 (色々と)終わっちゃえ♪



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橘京子の憂鬱(プロローグ)

 高校生活初日。不安に苛まれつつも新しい生活に期待を込め、しかしながら早朝ハイキングを毎日こなさなければと暗澹な気分に陥った入学式。
 その入学式を終え、始めてのホームルームで後ろの席のトンでもない発言に辟易しながらソイツと出会った俺は、どうやら今後の人生を左右しかねないフラグを立ててしまったらしい。
 事実、それからの生活は山アリ谷アリ等という浮薄且つ陳腐な言い回しでは到底及ぶべくも無い、SFファンタジー創作話に匹敵する体験を深々と体の刻み込んできた……もとい、ソイツによって刻み込まれたと言う方が正解なのかもしれない。
 しかし、慣れというものは恐ろしいものである。いや、慣れようなんて微塵も思っていなかったのだが、全方位、オールレンジに渡ってあんなことやそんなことが起きれば自ずと耐性がつくようになってくるものである。
 そんな耐性のせいなのか、はたまたそんな生活を楽しんでいたのかは知らないが、俺の意図せぬところで地球は太陽の周りを二周と九割以上を周り終えており……つまり、俺たちは高校を卒業するという人生の節目に差し掛かっていたのだ。
 俺は進学を目指していたのだが、首尾よく希望の大学へと進学することが決まり、波乱万丈という大しけを乗り越えた俺はようやく一般人並みのさざなみに身を窶すことができると思っていたのだが――現実はそう甘くはなかった。
 つまり、俺は俺の人生を一変させたソイツ――涼宮ハルヒ――と、同じ大学へと進学することになったのだ。
 しかも、ハルヒだけではない。
 ハルヒによって集められた宇宙人未来人超能力者、つまり他のSOS団の面子も同じ大学へと進学を果たし、あまつさえ中学時代の同朋であった佐々木もまた俺たちと同じ大学へと進学の道を決めたのだった。
 言うまでも無いが、この六名のうち、学力が抜きん出て低いのは間違いなく俺であり、同じ大学へ進学するためにどれほど苦労したか。説明が面倒なので省略するが是非に察して欲しいものである。
 しかし、全員が同じ大学か。もう、何ていうか、ここまで来ると偶然とは考えにくいね。何かしら外因的要素があったに違いない。
「仰るとおりです」
 パチン、と手持ちの歩を前に進めた古泉が穏やかな口調で唇を動かした。
「何度も申し上げていますが、これは涼宮さんの力が成せる賜物でしょう。偶然を必然に変えてしまうほどの、ね」
「……そうだな」
 今度は俺が手駒を動かした。
「正直、それほど労せずとも希望の大学へ進学できたと思うのですがね、僕は」
 そうかもしれないが、全く勉強しないわけにもいかないだろう。それに受験勉強は終わっても、今後は大学で学ぶわけだ。高校の知識がある前提で授業をやる以上、今までの勉強は決して無駄なものじゃないさ。
 自分の運命は、自分で切り開く。それこそヒトがヒトとして生きるための大前提である。何が起こるか分からないからこそ面白いんじゃないか。
「お前もそう思ったからこそ過去や未来の自分と決別したんだろ?」
 心の中でそう呟きながら、俺は窓際で一人椅子に腰掛けいる少女に目線を送り――
「あなたにしては前向きな解答で痛み入ります」
 紙の擦れるような音は、軽快に響き渡る古泉の喉音によって掻き消された。


 新生活まで、あと数日と迫った三月の下旬。俺と古泉、そして長門の三人は部室の整理をしていた。高校を卒業したら、もうここを使用することは不可能になるからな。
 正直ハルヒは『SOS団の部室はここしか考えられないわ!』なんて言い出すんじゃないかと危惧していたんだが、意外にもあっさりとその主旨を放棄し、別の場所にSOS団の新部室を立てることを決めたようだ。
 本人曰く、『SOS団が世界に進出するための戦略的撤退』だとか何とか。まだ世界進出を諦めてなかったんだな、お前は。
 因みにハルヒはこの場所に姿をあらわしていない。本人の言う『新部室』とやらを探すために市内を駆けずり回っているためである。怪しい占い師に模した朝比奈さんと、三年ぶりに新団員となる佐々木を引き連れて。
 ハルヒと佐々木が最初の対面を果たしたのはもう既に二年前のことになる。当初は本人同士の仲で何やら葛藤が生まれたようにも感じたのだが、それはいつの間にか杞憂となって俺の心に風穴を開けていた。
 今じゃハルヒが部室で見せる本気の笑顔を知る、数少ない貴重な人物にまでなっているのだ。
 馬が合うのか、はたまた勝手に神と祭り上げたことに対する共感からくるものなのか、そこまでは分からないが……ともかく、ハルヒの都合の良いコメンテーターであることには変わりない。
 やれやれ。朝比奈さんだけでなく、佐々木まであいつの言い様にこき使われるのかね。佐々木の性格からして心身薄弱になるとは考えにくいが、一応ハルヒに関わるの者としての心得を伝授した方がいいかもしれないな。
 朝比奈さんも朝比奈さんだ。大学のサークルとかバイトとか、キャンパスライフの方も沢山あるだろうにわざわざハルヒに付き合ってやる必要性がどこにあるのだろうかね。もう少し先輩としての威厳があってもいいんじゃないかな。
 しかし、何の変化もなさそうに見えた朝比奈さんも僅かながら成長が見られるようで、mikuruフォルダに貯蔵された高校二年当時の朝比奈さんのデジカメ写真と比べればより視覚に通じてくるものがあった。特にム……いや、敢えて言うまい。
 ともかく、俺の知っている朝比奈さんは、徐々にあの大人の朝比奈さんへと向かっているのだろう。
 いやはや、なんとも複雑な心境だ。今のままの朝比奈さんでいて欲しい気持ちもあるし、しかし大人の朝比奈さん出なければ数々の事件を解決することはできないだろうし……。
 ハルヒはハルヒで相変わらずなんだが――だが何か少し物足りないような気がしている。それは俺の勘違いなのか、彼女の性格の変化のせいなのか、そこまでは分からないが、或いは……。
 っと、閑話休題。この場にいない三人へのボヤキはこれまで。そろそろ話の本筋へと戻ろうか。
 そんなわけでこの部屋の荷物を片付けている俺たちだったが、実は殆どの私物は既に片付けられており、後は団内司書官である長門有希所蔵の図書をどうにかするだけである。
 どうにかするだけなのだが――いつも通り本の虫と化している長門は、いつも通りの場所でいつも通りハードカバーのページを一定間隔で捲っている。片付ける気はないのだろうか。
「そのうち」
 そうかい。
 動く気になったら動くだろう。俺も古泉も彼女の許可無く本を動かすのは憚られるからな。ハルヒだってここに必要以上の私物を溜め込んでいたわけだし、長門のことを強く言える立場でもない。
 と言うわけで、それまでの間特に何をするでもない俺たちがとった行動は将棋でも指して長門が動くまで待つことにし、色々と考えつつ言葉にしたのが先の会話である。


「しかし、何か忘れている気がするんだよな」
 古泉の櫓を崩すべく、手持ちの桂馬を敵陣一歩手前に差しながら俺は呟いた。
「何をですか? まさか入学手続きをまだ済ませてないとか。或いは入学金納付をお忘れになられたとか」
 だが古泉の表情には余裕が見られる。それまで自分の陣地にい角将をはらりとつかみ、そして俺の陣地まで移動させてきたのだ。
「いや、さすがにそれはない」
 まさかの切り込み隊に内心動揺しつつも、冷静に飛車を前に動かし、角将……もとい、龍馬の動きをブロック。
「もっとどうでもいいことだった気がするが……」
「どうでも良いことであれば気になさる必要は無いのではありませんか?」
 しかし古泉はもっと冷静だ。持ち駒から歩を取り出し、俺の飛車の前に指したのだ。
「く……」
 しまった。このままでは俺の飛車は取られてしまう。そんなことになれば大打撃だ。
「何故か頭の隅にこびりついて取れないんだ、そのことが」
 せっかく桂馬がもったいないが、ここは大人しく引くしかあるまい。飛車に人差し指を置き、そのまま手前に引く。
「ですが、余計な事は記憶から消し去るのが一番です。姑息的な憂慮に心を奪われると、大局的な見識が出来なくなってしまうものです。例えば……」
 ニヤリ。
 そうとしか形容の出来ない笑みが古泉の顔からこぼれる。
「このように」
 パチン、と軽快な音が響き渡った。古泉は俺の飛車がいた場所に金将を置いたのだ。
「な……なにぃ!」
「王手飛車取りです。さて、どうしますか? 公式戦に則って、三十秒だけあげましょう」
 言う古泉の顔がヤケに嫌味たらしい。くそ、古泉。いつもは弱いくせに今日に限って強いじゃねーか。
「新川さんとの特訓が成果として現れた証拠でしょう。基礎的な戦法ですが、大局的に物事を捉えられない今のあなたには十分だったようです。あと二十秒」
 む、余計な話をするんじゃなかった。しかし余計な話をやめたところで状況が一変するわけでもない。こうなったら飛車を諦めるより他はない。だが何れ俺の陣形は崩れるのは必死であり、それを解決する方法がこの窮地を打開する方法になるわけで……。
 だめだ、考えが纏まらねえ。
「あと十秒。九、八、七……」
 くそ、もうどうにでもなりやがれ。
「待って」
 その時。音もなく将棋盤の前に現れた一人の少女が俺の腕を掴んだ。
「な、長門……?」
「どうしましたか、長門さん。最初に申し上げておきますが、アドバイスは無しですからね」
「アドバイスではない」
 ゆっくりと俺の手を放し、「古泉一樹」とフルネームで読み上げ、今度はそのニヒルな顔の少年を見据えて喋りだした。
「大局的な展望を望めないのはあなたも同じ。画一的な戦法ではイレギュラー因子が組み込まれた場合、成す術も無く崩れ去ってしまうもの」
「僕の戦法に誤りがあると?」
「ここと、ここ」
 余裕の表情で答える古泉に、長門は静かに指を差し――
「二歩」
『……あ』


「これはこれは、僕としたことが。どうやら反則負けのようです」
 言う古泉の顔は若干ながらも引きつっていた。
「これであなたとの成績は十二勝百八十八敗。この部室最後の、そして二百戦目という節目の勝負。白星で飾れなかったのが残念でなりません」
 よく覚えているな。というか勝敗の数まで数えていたのか。
「これも性分でして」
「そうかい」と声をかけつつ、崩れ掛けの陣形を更に崩した。古泉の言うとおり、今日の勝負はこれで終わり。いい加減片付けをしないと怒られるぜ。ハルヒじゃなくて、先生方にな。
「…………」
 今の今まで俺たちの横にいたはずだった長門は、いつの間にか定位置へと戻り、再び黙読を繰り返していた。
「おい、長門」
「大丈夫。まだ整理整頓する必要はない」
 とは言ってもな……
「虫の知らせ」
 は?
「嵐の前の静けさ、と言ってもいい」
「つまり……どういうことだ?」
 俺がそう問い掛けると、今度は俺の顔をじっと見つめそして沈黙した。長門なりに言葉を選び、俺にも分かりやすく解説するための動作である。
「もしかして、これから一波乱あると仰りたいのでしょうか?」
 古泉の発言に、長門は三度ハードカバーに目線を落とした。
「不正解を、撤回」
ん? どこかで聞いたことのある解答だが……はて。どこだったかかね。
 ……等と脳内の回想に想いを馳せていた、その時。


 バァァァァァァン!!!!!

 けたたましいほどの音を立てて、部室のドアが爆発的に開いた。


『――――!?』
 例えではなく本気で白煙を纏わせながら姿を現したのは――まさかっ!?
「ケホッ、ケホッ、ケホ……ふう、九曜さん、勢いが強すぎです。ドアが壊れちゃったじゃないですか」
「――――――力の…………――――――加減を…………間違えた――――――」
「もう。ちゃんと直してくださいよ。そうじゃないとあたしが怒られるんですから。今までの流れから言って」
「――――ざっつ―――――…………おーらい…………――――」
「それに本棚まで爆発しちゃって、どうするんですか。長門さんに怒られますよ。ほら、ちゃんと謝って下さい」
「――――あいむ――――――――そーりー…………――――」
「……ま、良しとしましょう。気を取り直して、皆さ「いきなり何の前触れも無く現れるなこのスカポンタァーーーーン!!!」」
 反射的に去年の機関紙を丸め、渾身と言う渾身の力を込めてソイツのドタマ目掛けて振り下ろす!
「ぴゃん!!」
「せっかく卒業間近の不安と期待が入り混じった早春の一コマを語ってたのに台無しにしやがってこの腐れツインテール!!」」
「を゛を゛を゛を゛…………効いたぁぁぁ…………ひ、久しぶりの衝撃……く、クセになりそう…………」
 栗色の頭を抑えながらも、『少女』は妙に艶かしい声を上げた。
「マゾかお前は?」
「そ、そんなことありません! ……って言えないのも事実なんです、これがまた。てへっ☆」
「なら、もう二、三発喰らってみるか?」
「ちょ、冗談ですって! 険悪になりそうだった場の空気を戻すためのちょっとした愛嬌で」「問・答・無・用・!」

「ぴぃえええ~!!」

横向きにスイングした機関紙が見事顔面に命中し、今度こそ自称マゾ――橘京子は、沈黙を果たした。


 心の奥底にしまいかけた記憶が蘇る。
 ――そうだった。コイツはこう言う奴だった。
 期待をすれば空回り。そのくせどうでもいいことに対しては途端に能力を発揮する。
『場の空気を読まないコンテスト』を開いたら間違いなく殿堂入りを果たすであろう、その道のプロフェッショナル。
 勝気でツンデレな性格が多いツインテールの中で、見事期待を裏切ったことでも有名だ。
 困ったことに、コイツも俺達と同じ大学へと進学を果たし、来年度からは同じキャンパスライフを過ごすこととなったのだ。
 一人進学を喜ぶ中、俺にも祝えって言ってきたから心底ウザそうに『あーよかったよかった』と祝杯をあげたのが気に喰わなかったらしく、ここ暫くは身を潜めていたように思えたのだが……また復活しやがったか。ゴキブリかはしかのような生命力である。
 腐れ縁、ここに極まれりである。
 人が至って平穏に過ごそうとしている時に現れて、和を乱しては収集をつかなくする天性は神レベルだ。今日も絶対必ず天地神明に誓ってアホなことをやりに来たに違いない。
「そんなわけないでしょ!」
 あ、気がついた。
「もう大分叩かれなれてますから。あの程度じゃ数秒気を失う程度で済みます」
 やっぱりマゾって言うのは本当だったのか……いや、どうでもいいけど。
「それより、何の用があってここに来たんだ?」
「決まってるじゃないですか。引越しの手伝いに来たのです」
 邪魔しに、の間違いじゃないのか?
「そんなつれないこと言わないで下さい。あたしは本気です」
 なら今この状態をどう思っている?
「この状態って……いや、その……ごめんなさい」
 本棚が崩れ、長門所蔵の本類が辺りに散らばり、且つ塵芥が飛び散る中、橘は申し訳なさそうに呟いた。
「でもこれ、九曜さんがやったことで、あたしには何の責任も無いわけでして」
「――――あなたが――――急がせて――――…………超光速移動をしなければ…………――――このような――――――不祥事は…………――――発生しなかった――――」
「う……」
「――さらに言うなら…………――――スイーツの――――食べすぎで…………トイレに篭ってたのは――――――――あなたの責任…………」
 ほほう。
「つまり、喰い過ぎでハラ壊したってわけだ」
「男の子がデリケートな話に突っ込まないでくださいっ!!」
 デリケートな話をしたくなければその大飯喰らいの性格を直しやがれ。
「前向きに検討します! それより!」
 と、話題を変えようと必死な橘は、「あたしは『急いでください』と言っただけで方法までは指定しませんでしたよ!?」
「超光速移動を…………行う際のデメリットは――――――最初から話した――――――物質が――――エネルギーへと…………――――遷移するため…………物質世界に影響を及ぼす――――お勧めできないと――」
 なんだ、つまり、
「橘さんが九曜さんの説明をちゃんと聞いていらっしゃらなかったのが根源というわけですね?」
「いや、あの……ははは、やだなあ。皆さん。目がマジですよ」
「大丈夫だ」ほへ、としている橘に向かって俺は言ってやった。
「俺のガン飛ばしなんてあいつらに比べたら可愛いもんだぜ」
「あいつら?」
「お帰り、ハルヒ、佐々木」
「ふふふふ…………橘さん。あなたは片付けに来たの? 邪魔しに来たの?」
「ひえっ! い、いつの間に帰ってきたんですか?」
「くくくく…………恩を仇で返すとは、まさしくこのことだね、橘さん」
「さ、佐々木さん……いえ、ちょっとした手違いがあっただけで……」
『問・答・無・用・!!』
「ひぃぃぃぃーーーーーーえぇぇぇぇーーーーーーー」



「お片づけお疲れさまです。はい、お茶です」
 ハルヒと佐々木が橘を追い掛け回す中、朝比奈さんはいつも通りのスマイルで、
「お茶道具はもう運んじゃったから、缶で失礼しますね」
「や、これはどうも」
「恐れ入ります」
 俺たち二人にお茶を渡してきた。
 プシュ、とプルタブを開けて渡してくれる細やかさがいいものだ。


「待ちなさ~い!!」
「止まりなさ~い!」」
「いやですぅ~!! お仕置きはいやですぅ~!!」

「はい、長門さんも」
 あれだけの被害とこれだけ騒然としているにも関わらず、長門は自席でルーチンワークを繰り返していた。
 今更な感はあるが、長門の肝っ玉の強靭さにに戦々恐々とするしかない。
 まあ、後者に関しては皆もう慣れっこなんだが。

「今ならドラゴンスープレックス三連発のところを変形シャイニングウィザード五連発で我慢してあげるわ!」
「或いはフランケンシュタイナーからDDTへの流れるようなコンボでも構わない!」
「『我慢』とか『構わない』ってレベルじゃありませ~ん!!」

「あ、九曜さんの分もありますから」
「――――――せん――――…………きゅう――――そー――――――――まっち…………――――」
 しかし、九曜も饒舌になったものだ。過去にコミュニケーションが取れないとか言ってたのが嘘みたいだな。

「五月蝿い! とりゃあ~!!」
「うわぁあ!!」
「ナイスッ! 涼宮さん!!!」
「ごめんなさいごめんなさいっ! 謝りますから! 場外乱闘だけはっ! パイプ椅子アタックだけはっ!!」

「まあ、しかし……」
「どうされました?」
「今日は部室の整理整頓に来たんだよな?」
「ええ。そのように伺っていますが」
「どう見ても部屋を散らかしているようにしか見えないんだが。あいつら、やる気あるのか?」
「さて、どうでしょうね。あまり無いのかもしれませんね」
「おいおい、まるで人事だな。散らかした後の片付け、誰がやると思ってるんだ?」
「良いではありませんか。涼宮さんの気晴らしが部室内で治まってくれるならば、それに勝るものなしです」

 お前はそれで良いかも知れんがな。
「橘京子も、そういった意味では役に立ってくれています。現状維持。これが我々『機関』の望みです」
 ……そうだな。

 確かに、ここ暫くはハルヒの意識下的ストレスも感じられないし、古泉曰く閉鎖空間が発生する率も殆どなくなったという。
 大学受験と言う精神的ストレスから開放されたこともあるだろうが、ハルヒ自身(そして佐々木自身)がベストなストレス解消の手段を見つけたのも大きなウェイトを占めているだろう。
 色々と問題のあるヤツだが、二人のスタビライザーとして能力を発揮してくれるのならそれもまた良し。佐々木に手足を拘束され、油性マーカーを持ったハルヒに対して涙目で許しを請う橘京子を見て、ふとそんなことを思った。
 幾分橘が可愛そうな気がしないでもないのだが、アイツは以前朝比奈さんを誘拐したと言う前科がある。その大罪を償却するには、それ相応のことをしてもらわんといけな、
「きょ、キョンくん助けて~」
 ガバッ
「うおわっ! いきなり抱きつきなっ! 苦し……」
「こらーっ! 離れなさーい!!」
「ドサクサに紛れてキョンに抱きつくとは、この不埒者!! こうなったら額に肉だけじゃなくてお尻にKINマークも書いてやるっ!!」
「ふええぇぇ!! それだけは勘弁してくださぁい!!!」

 …
 ……
 ………

 ドタドタと足音を立て、部室から外へ出て行く足音、その数三つ。
 後に残った図書の数々は、百花繚乱と言えば聞こえが良いがむしろ落花狼藉と言ったほうがより正解に近い。
 三人の喚き声が部室から外へと切り替わるのを機に、それまで指しか動かしていなかった長門が突然立ち上がった。
「本、片付ける」
「――――手伝う…………――――」
「わわ、ちょっと待ってください。今お茶碗片付けますね」
「さ、僕らも」
 ……やれやれ。



 結局のところ。
 気温自体は低いものの、窓から差し込む木漏れ日が春の伊吹を感じさせる候が俺には心地よく感じられた。
 つまり、世界は(一部を除いて)平和だったのである。

 ――そう、この時までは。

 しかし、俺はすっかり失念していた。
 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
 諸行無常、是生滅法、生滅減己、寂滅為楽。
 世の中の全ての物事には、全て終わりが来る。
 即ち。

 ――この平和で安定した世界にも、終わりが来るのだと。



 この日の引越し作業及び荒れた部屋のお片づけを大体済まし、俺たちは早々に帰宅の途についた。新生活に向けて準備しなければいけない事は沢山あるからな。
 何と言っても時間がない。今日を除いて大学の入学式までずっとSOS団の活動がビッチリと予定に組み込まれており、その僅かな時間を縫ってキャンパスライフを快適に過ごす段取りを整えなければいけないのである。
 よくよく考えればこのくそ忙しい時期にSOS団としての活動を行うってのもどうかと思うんだが、ハルヒの脳内では新天地での準備よりもSOS団の団活の方が大きなウェイトを占めているので、俺がとやかく言ったところで聞く耳なんて持つとは思えない。
 それどころか、自分の入学する大学でSOS団の名を知らしめる方が先決と踏んでいるのだろう。ハルヒはその目的の為に、入学式前にやっておくべき事があると宣言したのだ。
 即ち、自主製作映画第二弾の撮影である。
 入学式の折、サークル勧誘の先輩方に紛れて勧誘を行うつもりなんだろう、多分……というか、絶対。高校の時もそうだったが、ちゃんと新サークル設立の許可を取ったのだろうかね。
 ま、それはさておき、今回ハルヒが撮影しようとしている映画のストーリーだが、戦うウェイトレス未来人の話は前回で一応の完結が見られたので(ハルヒ談。俺的に言えば中途半端も甚だしい)、今回からは新ストーリーを考えているのだと言う。
 大まかな内容としては、犯罪の温床となっているある一男子高校に転校生として乗り込んだ特殊工作員、「M.アサヒナ」と「Y.ナガト」の名コンビが次々と事件を解決していく学園刑事ドラマものらしい。
 ハルヒにしてはなかなか面白そうなストーリーなのだが、しかし人物像に無理があるのも団長の得意技である。
 よくよく考えて頂きたい。とりもなおさず二人は女性、れっきとしたガールである。その二人が男子高校に転校生として入学するに当たってしなければいけないのが、そう。男装である。二人は学園内では男性として振舞うことになる。
 長門は……元々無表情が売りのキャラクターだから、男装したところで中性的イメージと相まってそれほど違和感はなかった。
 問題なのは、朝比奈さんだ。
 セミロングの髪はカツラを被ること誤魔化し、おっとりしたロリ顔も学年に一人はいそうなショタキャラとして何とか解決したのだが……実はそれ以上に難儀な問題が待ち構えていた。
 言うまでもない。あの顔に似合わないほどの大きな胸をどう隠すか、である。
 悲鳴を上げたくなるほどギュウギュウに巻いたサラシのおかげで起伏は目立たなくなったが、胸部全体が膨らんだ様はどう見ても異常発達の鳩胸状態である。幼い顔つきも相まって違和感バリバリ。どう見たって怪しい。
 ハルヒは「なんとかなるでしょ」と気にしている様子は無かったが、果てさてどうなるものやら。
 収録機関は残り約一週間。その間はとんでもなく振り回されそうな気がする。それまでに大学の準備を終わらせたいものだ。
 等と妄想しながら、机の上の参考書を整理していたその時である。バイブレーションにしたままの俺の携帯電話が音声着信を知らせた。
 作業を中断し、ベッドの上にあった携帯電話を取り、着信先を確認。
『公衆電話』
 この時分に公衆電話からかけてくること自体珍しい。誰だろうね? 
「もしもし」
 しかし、相手は答えなかった。
「もしもし、聞こえてますか? 聞こえてないなら切りますよ、忙しいんで」
「……あ、キョンくん。お久しぶりです」
 声の主は、聞いたことのある人物からだった。
「朝比奈さん……ですか?」
「はい。朝比奈みくるですけど、あの……」
「分かってますよ。あちらの朝比奈さんですよね」
「あ……分かってもらえましたか? よかった」
 あちらの朝比奈さん――つまり、朝比奈さん(大)である。この時間の朝比奈さんと比べて口調が異なるので直ぐに分かった。最も、朝比奈さん(大)は気付いてなかったようだが。この喋り方はあの朝比奈さん独自のものである。
 ただ……口調が違うとは言え、俺の知る朝比奈さんの声とは少し異なることにも気付いた。トーンが低いと言うか、どもっていると言うか……風邪でもひいたのか?
「電話からなんて、珍しいですね」
 しばしの沈黙の後、
「……直接会うわけにはいきませんでしたから。ごめんなさい。今回だけは許して」
 電話越しに『許して』と冀う朝比奈さんの表情を妄想し、いろんな意味で反省した。
「それで、今日はどんな用件ですか?」
「用件、って程じゃないけど……キョンくんにちょっとしたお願いがあって」
 それを用件と言うんじゃないか、と心の中でツッコんだ後、
「キョンくん」
 朝比奈さん(大)は決意したかのように喋りだした。
「今後、何があっても動じないで下さい」
 ……はあ?
「笑顔で受け止めるだけの気概を持ってください。お願いします」
「それだけ……ですか?」
「はい……」
 肯定の返答が、何故だかもの悲しげに聞こえた。
「それで、今回はヒントみたいなものは無いんですか? 『白雪姫』みたいな」
「ありません。本当にそれだけです」
 そうですか。
「分かりました。何があるか分かりませんが、大船に乗ったつもりで待ち構えていればいいんですね」
「はい。その通りです。ではよろしくお願いします。それじゃッ――」
「あ、ちょっと待っ――」
 ツー。ツー。ツー。
 俺の制止空しく、次に聞こえたのはビジートーンだった。とりもなおさず、相手の通話が切れたことを示すものである。
「何だったんだ、一体……?」
 俺は朝比奈さん(大)からのミッションに軽く舌打ちをした。そりゃあ彼女からの指令は意味不明なものが多かったし、理由を聞いても答えてくれないものもかなりあった。俺が彼女に対して苛立つのは、まさにそうした事情があったからである。
 しかし、その苛立ちすらキャンセルしてしまう、魔法のような仕草がスピーカーを通して聞こえてきた。
「朝比奈さん、泣いていたよな……」



 時は流れ、四月。
 入学式はまだ済んでないものの、めでたく大学生になって二日目の朝。
 事件は、何の前触れも無く唐突にやって来た。


 この日もまた映画撮影のため、いつもの集合場所――駅前の喫茶店に集まることになっている。
 寝坊した俺は慌てて家を飛び出し、ケイデンス100を保ちつつでマイ自転車を漕ぎ出した。
 現在時刻は七時五十分。集合時刻である九時には余裕過ぎるくらい時間が余っているのだが、急いでいるには訳がある。
 撮影のために必要な機器を電器店の店主からレンタルしているのだが、店主の都合で夜に使用するから毎回返却を頼まれている。だから毎回朝借りて夜に返すということを繰り返しており、その仕事は当番制で交代しつつ行っている。
 もうお分かりだろうか。つまり本日は俺の当番の日である。今から急いで機材を借り、そして駅前に戻ると時間的余裕はそれほどないのだ。
 無論、九時に間に合わないと言うわけではない。このペースで首尾よく事を済ませられれば八時半頃には目的地に到着し、自転車を停めて喫茶店に入る時間を差し引いても十分お釣が来るはずである。
 しかし、ハルヒお得意の『一番ビリの人はみんなにオゴること』なんて言う今時流行らない責任転嫁論が吹聴するこの団体ではそうも言ってられない。何かと物入りな時でもある。無駄な出費は抑えたいものだ。
 そんな俺の願いを聞き入れてくれたのか、果たして予定通りに機材を受け取り、順調に飛ばすこと数十分。いつもの喫茶店が視界に入ってきた。現時刻は八時二十分。
「よし、想像以上の高ペースだ」
 内心ほくそ笑みながら、俺は自転車をいつもの駐輪場へと停め――そして、
「…………」
 物静かな三点リーダと合間見えた。ただ、この三点リーダは長門のものじゃない。
「橘……か。早いな」
「…………」
「こんなところで何してんだ。さっさと喫茶店に入るぞ」
「…………」
 先ほどから一言も発せず、俯いて黙り込んだままである。一体どうしたのだろうか。いつもならとことん空気を読まず騒ぎ立てて俺に一発殴られるところなのだが。
「もしかしてまた何かあったのか? しょうがないな、言ってみろよ」
 こんなセリフが出る辺り、俺も寛容になったものだな――なんて考えた自分がバカだった。この後のコイツの行動は、後々俺自身を苦しめることとなったのだ。
「俺に出来ることだったら何でもしてやるぜ」
「…………」
「ま、最近色々苦労しているみたいだし、その辺の功績を買ってのことだ」
「…………」
「これからずっと世話になるんだし、たまにはいいだろ」
「……うあ」
 うあ?
「うあぁぁぁぁぁああぁぁぁあん!!」
 突如橘は大声で泣きだし、俺にしがみついてきたのだ。
「な……こらっ! 落ち着けって!」
「うぁぁああぁあっぁぁぁぁぁん!! うぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁん!!」
 長期休暇中のとは言え、今日は平日。学生の姿こそ無いものの、駅前には通勤のため沢山の人が集まっている。そんなシチュエーションでギャアギャア泣かれたら間違いなく注目の的である。
 俺は仕方無しに鼻を紅くした橘を連れ、いつも利用している喫茶店へと入り込んだ。

「……ううう、ううう…………」
「どうだ、落ち着いたか」
「はい、ご迷惑をおかけして、すみません、ううう…………」
 モーニングスイーツセット三人前を平らげ満足したのか、それでも涙を見せながら人の言葉を発し始めた。
 ここで俺の自問自答が始まる。何故俺は今日に限ってこんなに親切なのだろう、と。
 コイツのペースに巻き込まれると十二割の確率で災難しか降りかからないと言うのに。佐々木やハルヒに扱かれるなんて序の口で、世界中の人々に変化をもたらしたり、そもそも世界自身が変わってしまったりと全く良いことはないのだが。
 ……実は、分かっている。
 コイツがこんな風に泣くのは決まって酷い仕打ちをされた時である。ある時はハルヒのイビリ、そしてある時は佐々木の妬み。ついでに俺も調子にのってからかう時があるが、ともかくそんな時にしか見せない涙である。
 いくら俺たちが悪態をつこうが次の日になればケロッと忘れ、そしていつもの能天気さで俺達に絡んでくる。それが橘京子というアイデンティティそのものである。
 さりとて本日俺はコイツと初めて会った訳だし、その他に誰かに会ったとも考えにくい。
 つまり、コイツの身に何かあったのだ。
「とりあえず、理由を話してみろ」
「ううううう…………」
 俺の言葉に、橘は再び涙を瞳に蓄えた。
「実は……あたし……」


「皆さんとお別れです……ううう…………」


 さすがに絶句したね。
 驚いたと言うよりは、「何を言い出すんだコイツは、ハハハ。また電波でも受信しやがったか」っていう感情が先立っているが。
 だが、一応は聞いておくべきだろう。
「何でまた」
「ずずずず……あたしだっていやでず……でも……でも……うううっ!」
 そして再び咽び泣く。ええい、めんどい。このままではいつまで経っても何も聞けないし、それどころか他の客の目線が痛い。
 仕方無いと宥め、彼女のの言い分を聞くことにする。
 そして話の内容を纏め上げたものが以下である。
 注意事項として、涙声の「ううう……」とか「ずずず……」の擬音語は省略しているので、悪しからず。


 ――佐々木さんの精神が、『あの事件』以降、二年前と同じく閉鎖空間内に『神人』が現れることがなくなりました。あたしたち『組織』の人間は佐々木さんの精神が安定したものだと喜んでいました。
 ――しかし、閉鎖空間の変化はそれだけで終わらなかったのです。最初は気付かなかったのですが、『あの事件』以降佐々木さんの閉鎖空間は徐々に収縮をし始め、今や商店街の一角程度の大きさまで縮んでしまったのです。
 ――もしこのまま佐々木さんの閉鎖空間が縮小し、閉鎖空間が消滅した場合、あたし達『組織』は消滅の危機に見舞われます。いえ……
 ――最悪、あたし達自身の存在がなくなってしまいます。
 ――死んでしまうのか、人々の記憶から消去されてしまうのか、そこまでは解りませんが……ともかく、あたし達『組織』の存在は無くなったものとされてしまうのです。
 ――ですから、

「もう……ひぐっ……お別れです……ううっ…………」

 絶句その2。
 しかし今回は笑えなかった。笑えるわけが無い。
「その話、本当なのか……?」
「う、嘘を言ってどうするんですか……うぐぐ…………あたしのパパ……ひぐっ……もとい、ボスから聞かされた…………ひぎゅ……本当の話です……ううう……」
 涙を拭うハンカチは、もはやその意味をなさないくらいじっとりと濡れていた。どうやら、ガチでマジそうである。
「どうすりゃいいんだよ、この場合」
 一人呻き声を上げる少女の傍ら、俺は自問自答を繰り返した。
 ――いくら出会いが最悪だったとは言え、いくら揉め事大好きのKYっ子だとは言え、知り合いの一人が消滅の危機に立ったんだぜ。
 そもそもコイツの悪事は朝比奈さんを誘拐したくらいで、それもどちらかと言えば未来人に唆されて決行したようなもんで、どちらかと言えば被害者みたいなもんだ。
 ――それにコイツが今の今まで俺たちを散々引っ掻き回したのにも関わらず大きなお咎めがなかったのは、コイツに悪意が無いからである。まあ、善意も無かったが。
 ――それなのにこのまま消えてしまうなんて……

「橘さん……何……泣いてんの!?」

『!?』
 思わず声のする方を振り返った。
 何時からそこにいたんだろうか。俺達以外の面子……ハルヒ以下、総勢七名が集結。しかも今日に限って藤原までいやがった。
「あう……皆さん……」
「どうしたんだ? まさかソイツにあんなことやそんなことをされたんじゃないだろうな!?」
 違うわい。パンジーからボケの花に名前を変えやがれクソ未来人。
 と突っ込もうとした瞬間、別の麗しき未来人が声をかけてくる。
「でも、ホントにどうしたんですか? 何か、とっても深刻な話をされていたような……」
「確かに」と古泉。「橘さんが泣いている姿を目撃するのは今日に限ったことじゃありませんが、僕達よりも早く、しかも二人っきりで何を話していたのかはとても興味があります」
「キョン、何をしてたのか、いいなさい」
「まさか僕達に他言できないような内容じゃないよね?」
 そんな訳あるか。
「実は……」
 言いかけて言葉を濁した。佐々木はともかく、ハルヒに本当のことを言うわけにはいかない。何を今更と思うかもしれないが、ハルヒには非日常的な日常をカミングアウトしていないのだ。
 何かしら誤魔化すしかないのだが……。
「何? 言いかけて止める気? そんな中途半端なの、あたしが許すと思って?」
「右に同じく。言を左右にするなんて愚の骨頂だ。男なら男らしく、ハッキリと物申して欲しいものだ」
 ずずい、と詰め寄る二人。俺はつられてずずいと席を後方に押し下げた。
「まさか……あなた本当に変なことしたんじゃないでしょうね?」
「朝からあんなことやそんなことを……くうぅ! 何て羨ま……もとい! 破廉恥なことを!!」
 やべえ。コイツらの思考の方がおかしくなってきた。常識という線路にのっかているもの、一度脱線するととことん暴走するのがこの二人だ。脱線しまくりの橘京子より、ある意味始末が悪い。
 早いこと何とかしないと……。
「じ、実は……」
 何とか言い繕うと言葉を搾り出したその時、トンでもない発言は俺の想定外の場所から飛んできた。


「橘京子が、転校することになった」
「――――もう…………遭えない――――」
「だから、二人はデートすることになった」
「――――最初で…………――――最後の――――思い出…………作り――――――――」

『えええええええっ!!!!!!!???????』

 有機物で構成された俺達七人は、見事なまでに声を調和させた。



「て、転校!? そんな話聞いてないわよ!?」
「昨日の夜、突如決まったこと」
「それにしても急過ぎやしないか?」
「急――――だからこそ…………――――彼女も…………別れを――――惜しんでいる…………」
「で、でも! 何で転校するからってデートなのよっ!?」
「この後彼女は修道僧として、一生その身を神に捧げる。その前に、女性として生まれてきた喜びを感じたい」
「だから――――デートを…………する――――――――思い出…………作る…………――――」
 長門と九曜の解説に、ただただポカーンとなるハルヒと佐々木。おまけに藤原。
 あああああああ。お前らなんて事を言い出すんだ!?
「そ、そうだったんですね……あの、ふつつかものですが、よろしくお願いします、キョンくん」
 そして橘、顔を赤くするんじゃない! 暴走しすぎだ!
「ふ、ふふふふ」「く、くくくく」「は、はははは」
 そして、もっと暴走するキャラ三人。
「ふふふふ…………最後くらいは、花を持たせてあげようじゃあーりませんか」
「くくくく…………故人曰く、『有終の美を飾る』って奴だね」
「はははは…………きょこたんが、遠くにいっちゃうなんて……」
 ハルヒは乾いた笑い声を上げつつ、橘の肩をポン、と叩いた。
「もう会えないのは寂しいけど、最後の思い出くらいはちゃんとしたの欲しいものね。いいわ。キョンを貸してあげる」
「本当ですか涼宮さん!っ?」
「ええ。実のところ嫌悪感バリバリだけど、最後だしね、最後……くくくく……」
「有難うございますっ! 佐々木さん!」
「貸してあげるけど……ただし、あんまりオイタしちゃだめよ」
「昔から言うじゃない。『汚物は消毒だ』ってね。或いは『ただしイケメンに限る』かもしれないが」
「大丈夫です! キョンくんは意外とイケメンですから心配ありませんっ!」
 な、何の心配が無いのだろうか……?
「それじゃあお借りします! ありがとう!」
「ふふふふ…………いってらっしゃい」
「くくくく…………十分気をつけてね」
「はははは…………汚物は消毒だぁぁ」

 こうして。
 俺の意思など関係ないところで話が進み、いつの間にか橘に手を握られた俺は凄まじいまでの勢いでこの場を後にし、橘との(最初で最後)デートを満喫するハメになった。

 ……もちろん、全世界のトラブルを抱えながら。



 お・ま・け
 二人が喫茶店から出て行った直ぐ後の会話――。


「涼宮さん、あの二人のデートを許した理由って……」
「裏から邪魔しまくってやるためよ。あたしだってキョンと満足にデートしたことないのに、遠くに行くからって理由でデートするなんて許せないわ」
「やはりそうですか。ならばわたしも出来る限り協力します」
「ありがとう佐々木さん。SSSSNAP復活よっ!!」
「4SNAPに改名しなかったっけ?」
「あらそうだったかしら。まあいいわ。それよりあんたも行くのよっ!」
「何で僕まで!?」
「あんたあの子の事好きなんでしょ?」
「なっ……どうしてそれを!?」
「どうしてって……モロバレでしょ。どう見ても」
「気付いてないのは本人くらいよ」
「だよなあ……どうしてあんなにニブイんだろ……はあ」
「それはともかく、あのままだとキョンのものになっちゃうわよ」
「なにぃ! そんなことは許さぁぁん!! 」
「ならさっさと尾行開始。そして気を見計らって雰囲気をぶち壊すのよっ!」
『らじゃーっ!!!』

※橘京子の憂鬱(前編)に続く


橘京子の憂鬱(前編)

『助けて…… 助けて……』
『おい、一体どうしたんだ?』
『ああ、よかった。変な人に追われてて……』
『変な人?』
『ええ。そうなの。鎌をもった、全身血だらけの人があたしを……』
『ははは、そんなのいるもんか。第一真っ暗で何もみえやしなしな』
『そんなことはないわ! 現に今、あの血の滴るような音が聞こえてくるじゃない』
 ポチャン。
『ほら、今もあなたの方から……え??』
 チャプン。
『……ね、ねえ……この音……どうして……あなたの方から聞こえてくるの……?』
『ふふふ…………』
『ねえ、どうしてよ。答えてよっ! あなたは一体何者なの!?』
『キミが見たって言う、変な人……それはもしかして……こんなものを振り回していなかったかい?』
 ザンッ!
『い…………』



「いやああああぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁああああっ!!!!!!!!」



「うるせーぞ!! さっきから何やってんだお前らぁぁ!!」
「すみません! すみません!」
「びえーっ!! あ、頭から赤いシャンパンがプシューっとしてますぅぅぅ!!!」
「静かにしろって言ってんだろうが!!」
「すみません! すみません! ええい、出るぞこの迷惑女!!」
「シャンパンファイトはF○だけにしてくださいぃ!! ア○ンソ頑張れぇヘゴッ!! グムムムゴフッ!!」
『…………』


――現状、並びに経緯。お解り頂けただろうか?
 え? 解らない。そりゃそうだよな。
 全て解ってくれれば俺の気も幾分かは休まるってモンだが、鉤括弧で括られた第三者的口語調では現状はともかく経緯まではおよそ理解し得ないだろう。
 だからここからは地の文章で説明することにする。俺の主観はふんだんに盛り込まれているがその辺は何となくで良いから察して欲しい。察しが悪いのは今ここで絶叫を上げているヘタレツインテールだけにしてほしい。
 ――って、早速主観入ってるし!
 ……コホン。そんなノリツッコミはさておき、それでは現状と経緯の説明を行おう。
 ええと、確かあれは、長門と九曜、二人の宇宙人クライアントによる衝撃の発言の後、俺達二人が慌てて喫茶店を出て暫くたった時の事だったっけ……

 ………
 ……
 …

 あれから数十分後。
 市内でもそこそこ栄えている繁華街。その一角にある、市内でも唯一の映画館。
 俺達は今、その場所に立っていた。
『デートと言えばやっぱり映画ですよね! あたしどうしても観たい映画があるんです。見に行きませんか?』
 先ほどまで見せていた涙はいつの間にか乾き果て、いつものようにノー天気スマイルを見せた橘は今が満開の桜のように顔を綻ばせた。
『そうかい。ならそうするか』
 俺は二つ返事で了承した。正確に言うならば、橘相手どこに行くとか考える気力がなかっただけなんだが。
 しかし、デートのプランを考えることなくアイツが勝手にやってくれるならそれはそれでありがたい。今回は気楽に出来る……。
『早く来て下さーい! 始まっちゃいますよ! ほらっ!』
 こらっ、引っ張るな!
 とまあ、こんな感じで彼女の選んだタイトルを見るまもなく常闇のシアターの中へと身を乗り出すことになる。

 昭和の時代に建てられたと思われるその建物は程よく老朽化し、それが原因がどうかはわからないが結構閑散としていた。
 全く客がいないわけではないが、一列の席に一人から二人、それが三サイクル毎にパターン化されている。
 こんなんで映画館サイドは利益を確保できるのだろうか? いやいや本日は平日、しかも午前中という条件の下ならばこの客の数もありえるだろう。夕方や休日はもっと混むだろし、ならばこの時間にこれてラッキーじゃねえか。
 と、どうでも言いことを相方の性格よろしく超ポジティブシンキングで妄想し、しかしふと我に返ったところで空しくなった。
 そんな疎らな席の中を適当に座し、思いっきりリクライニングさせて座り……そういえばチケットを買った後から橘の姿が見えないが、どこいったんだ?
『お待たせしました』
 と思ったら、遅れてやってきた。特大ポップコーンを両手にしながら。彼女はそのうち一つを俺に渡し、『これあげますから大人しく見てくださいね』と言った。
 それはこっちのセリフだ。お前こそ大人しく見てろ。間違ってもポップコーンの咀嚼音を会場に響かせるんじゃないぞ。
『大丈夫なのです。映画が始まる前に食べちゃいますから』
 本気か? 結構な量あるぞ、これ。
『冗談に決まってるじゃないですか』
 ポイッと一掴み。口の中に放り込んだ。
『むほほほ……はたーのはほひがほてもしょくほくをほほりまふう!』
 ……ま、どうでもいいけど。
『少なくとも俺は大人しくはしてるつもりだ。というか寝る』
『えー。何でですか!?』
 いや、何でって。
『昨日夜更かしして寝不足なんだよ』
 しかし橘の顔色は喉を詰らせたように真っ赤になった。
『映画館に来て寝る人がどこにいますか! 映画を見るために来るんでしょうが! それ以外の行動は許しません!』
 そう思うならポップコーン頬張るのも止めろ。
『ポップコーンは映画館に必要不可欠なものですから却下します!』
『そうかい、わかったよ』
 相変わらず理不尽な理論に若干モヤモヤするものを感じながらも、俺は大人しく引き下がることにした。ここで言い争ったら他の客に迷惑だし、何より何の実りもないやり取りに興じるつもりは無かったからな。
 うん、俺も大人になったものだ。
『……あの』
 しかし、何故か橘は不満げな顔で、
『どうして言い返さないんですか? いつもなら『そんな理不尽なことあるかぁ!』って叫ぶところですのに』
 無駄なやり取りはしないことに決めたんだよ。
『そ、それって、もしかして……あたしなんて要らない子って意味じゃ……』
 なんでそうなるんだ?
『うぁぁぁああ~ん! あたし要らないもの扱いされたぁぁ!! 皆さんのために頑張ってるのに痛いもの扱いされたぁぁぁああ!!』
 ば、バカ! こんなところで泣くな! 注目の的じゃないか!
『わかったから落ち着け! ほら、このポップコーンやるから!』
『本当ですか? やったぁ!』
 涙をピタッと停め、反転笑顔を作り出した。
 もしかして俺、騙されたのか……?

 はた迷惑と言えばはた迷惑、いつも通りといえばいつも通りの彼女の言動にやきもきしながら俺もポップコーンを一掴み。程なく上映開始を知らせるブザーが鳴り、さらに程なくしてスクリーンの幕が開いた。
 ふと、隣の橘の姿を見る。ボリボリ音を立てながら映画を見るこいつの姿を予想していたのだが、意外や意外、映画が始まった途端、彼女はポップコーンを掴む回数は大幅に減少した。
 とは言え、『ボリボリ』が『コリ…………コリ…………』に変化した程度ではあるが。
 ともかく、俺の予想を通り越して真剣にスクリーンに視線を送っていたのは事実だ。どうやら『映画館では映画をみるもの』という彼女のスタンスはそれなりにホンモノのようだ。
 ふう、どうやら問題なく事を運べそうだ。橘が真剣に映画の内容を見守っている中、俺は昨日の睡眠不足を解消すべく瞳を閉じ、そのまま眠りにつこうとしたのだが……。
 現実はそう甘くなかった。
 俺はすっかり失念していたが、彼女が選んだ映画がその後の悲劇を演出することになった。
 彼女が選んだ映画――それはグロイことこの上ない、凄惨なスプラッタ映像がテンコモリのホラー映画。
 詳細を見てなかったのでよく分からないが、18歳未満及び精神薄弱者は閲覧禁止処分を受けそうなほどの逸品(?)である。
 彼女がその映画を見ようと思った意図は知る由もないし、見たいと言うのなら止める気もしない。事実ミヨキチあたりなら好きな俳優が出ていると言うだけでこの凄惨な場面に対しても唇を噛んでじっと見守っていたに違いない。
 しかし残念なことに、今ここにいる女性は分別を弁えた女子中学生ではなく、『ふんべつってなんですか? 風○堂の新しいスイーツですか?』と本気で発言しそうなイタいツインテールである。
 ここまで説明すれば、あとはもうお分かりだろう。
 叫びたくなる雰囲気は往々にして分かるものの、度が過ぎた金切り声を上げテンパった挙句、ポップコーンを喉に詰らせた彼女――橘京子を、周辺の皆様に叱責を受けながら何とか引っ張り出してきたのだ。
 もう、なんて言うか……。
「……やれやれ」

 …
 ……
 ………

 映画館から出た(正確には逃走した)後、高ぶった橘の感情を鎮めるのが先と悟った俺は、近くのファーストフードに入ることに決めた。
 昼飯にはまだ早い時間ということもあり、空席はそこそこ見受けられた。が、空いている訳でもない。間違った意味でハイテンションなこいつを人様に近づけないようにするスペースは自ずと限られてくる。
 首尾よく入り口から一番遠いであろう角席を確保し、一人分のホットミルクを手配したところでようやく橘が口を開いた。
「ううう…………怖かったですぅ……」
 未だぐずっている彼女。先ほどは暗くてよく分からなかったが、よく見ると彼女の目元が紅く腫れ、頬の辺りに涙の痕が見られた。よっぽど怖かったのだろう。
「ほら、これでも飲んで落ち着け」
 持ってきたホットミルクを間髪いれず口をつけた。んく、んく、と喉の鳴る音がテンポよく刻まれる。
「ふう……少し落ち着きました。ありがとうございます」
 それは何よりだ。だが、あんなところで大声で叫ぶんじゃないぞ、これからは。解ったな。
「ごめんなさい。あたし、ホラー映画って苦手で……つい我を忘れてしまって……」
 はあ?
「何で苦手な映画をわざわざ見に来たんだよ?」
 橘は、答えなかった。
「他にも上映してるのいっぱいあるだろ。恋愛モノとか、感動モノとか。アニメだってまんざらでもないぜ」
「…………」
「身分相応って程じゃないが、ともかく自分にあったものを見るのが一番だ。解ったか?」
 俺が一通りの弁を吐き出した後、彼女は消えかかった灯火のようにポツリと呟いた。
「……どうしても見たかったんです」
 デジャビュではないが、こんな経験は過去にあった気がする。
「好きな俳優でも出ているのか?」
「いいえ。違います」
 しかし、橘は俺のデジャビュとは裏腹の答えを出した。
「甘えたかったの」
 …………。
「は?」
「だから、甘えたかったんです」
 イマイチ言っている意味が分からない。
「怖い映画を見て、怖がるあたしの頭をナデナデしてほしかったんです。一度でもいいから、あたしの頭をナデナデしてほしかったんです」
 ええと、まさかそれだけのために見たくも無いホラー映画をみてたんかお前は?
「だって、キョンくんってばあたしの頭を叩くことしかやってないじゃないですか。そりゃああたしがバカをして叩きたくなる気持ちは正直自覚しています。でも最後に一回くらいはナデナデして欲しいのです」
 橘にしては珍しく、顔を伏せて上目遣いの視線を送り、
「空気読んでないとか、人の邪魔ばかりするとか、散々言われているのは解ってます。でも、あたしはあたしなりに一生懸命やったつもりです。結果としてキョンくんたちに迷惑をかけた事はお詫びします。でも……せめて……最後は……うっ……」
「…………」
 悲壮な言い回しに、思わず沈黙。気のせいだろうか、あれだけざわついてた周囲も何故か沈静化したようにも感じる。
 ――なるほど、そういうことか。
 彼女の言い分は、殆ど正解である。俺は橘の頭を見るとどついてばかりで一度も撫でたことはなかった。
 もちろん撫でるようなシチュエーションにならなかった事も然りなのだが、ならば撫でたくなるようなシチュエーションに持っていきたかったというのが、彼女の考え方だったのだろう。
 怖い映画を見てぐずっている姿を見れば、俺がかわいそうに思えて頭を撫でてくれると。そう思ったのだろう。
 全く、不器用な奴だ。そんな事をしなくても俺の役に立つ事さえすればいくらでも撫でてやる……とまでは行かないが、少なくとも好感度はアップするってのに。本末転倒な奴だ。
 しかし……彼女の行動に対し、嘲け笑う筋合いは俺には無い。
 当然だ。異性と付き合ったことの無い俺にとって、異性がどんな感情で俺に接しているなんて、正直そこまで真剣に考えたことがないからだ。
 確かにハルヒや佐々木からのアプローチもあるし、それなりに男性としての立場を考えることはあったが、どちらかと言うと相手を喜ばすというよりはどうやって事を荒立たせずに平穏に過ごすか、そんなことしか考えてこなかった。
 よく言えば一途でひたむき。悪く言えば空回り。その時その時の判断ミスがコイツの。地位をワンランクもツーランクも下げているのだ。
 やれやれ。今日は一段とこの言葉を良く使うぜ。
 等と溜息をつきながら、対面に座る橘の頭にポンっと手を置き、そして軽く撫でてやった。なに、大学にも合格したし、あの忌まわしい受験勉強からも解放されたから寛容になってるんだ。
「あ……」
 橘と言えば居眠りしたのがばれた挙句黒板の問題を解くように指示された生徒のようにポカンと口を開け、そして固まっていた。俺はと言えばそんな橘京子の表情を楽しむかのように、指に髪を絡めながらくしゃくしゃと頭を撫でていた。
 湧き上がるシャンプーの香りが俺の鼻腔を擽る。こうやって見るとこいつも女の子であることがよく分かる。
「……よし、これでいいか?」
 俺の問いに、固まっていた橘は
「あはは……嬉しいです」
 ようやくはにかんだ笑顔を見せてくれた。
「ったく……そうやって笑ってれば普通に……」
 かわ、と言いかけたところで我に返り、お口のチャックを堅く閉じた。
「へ? 何か言いましたか?」
 何も言ってない。
「いいえ。何か言いましたね?」
 何も言ってない!
「ふふふ……さてはあたしの可愛さに照れましたね!」
「絶対違う!」
「そうやって否定するところがとても怪しいですねぇ~。いいんですよ。可愛いものを可愛いというのは当然の理ですし、キョンくんの言われるなら本望です」
「だから全然お前に興味があるなんて思ってませんから!」
「ふーん。そう言う態度を取るんだ……へえ……」
 見るからに俺を舐めきった視線を送る橘。そして
「分かりました。今日のデートであたしキョンくんを虜にして見せます!」
 ほほう、面白い冗談だ。「出来なかったらどうするんだ?」
 俺のツッコミに、橘は待ってましたかと言わんばかりに口を吊り上げた。
「あたしの操を捧げます!」
ブピ。
「あーっ! きったなーい! お水吐き出さないでよっ!」
「お前が変なこと言うガハッ! ゴホゴホッ! グヘッ!」
 反射的にツッコミ返した俺に待っていたのは、気管に喉をを詰らせるという窒息行為だった。ほら、橘がよくやるアレだ。
 ……しかし、本気で苦しいのな、これ。必死になれば必死になるほど絶望感が漂ってくる。
「大丈夫ですか?」
 大丈夫なわけないやい。
「うーん、坊やには刺激が強かったかしら?」
 …………いい。もう突っ込まない。
「でもこんな時のために、じゃじゃーん。三種の神器、ニューバージョンで!」
「ニュー……バージョン……?」
「はいっ! 従来比半分の薄さ、0.01ミリ天然ラテックス○○○○○、イ○ローも御用達のユ○ケル○ター。そして新アイテム、口では説明できないお薬を配合した、スーパーハイテンションローションですっ……って、説明途中で寝ないでください」
「…………」
 聞いた俺がバカだった。
「言っておきますけど、冗談ですよ、冗談。佐々木さんより先にキョンくんの○おろしとかしたらあたし消されちゃいますから。ああ、でもその後なら料金次第で応じますけど……って、聞いてますか?」
 もちろん、聞いているわけがない。さっきの話が冗談とか、料金次第で○○とか、そんなことはどうでもいい。
『せっかく俺が見直してやってたのに、その空気すら読まずこいつは……こう言うところが嫌いなんだよ、俺は』
 頭を突っ伏したまま、コイツの行く末を全く案じずそんな事を思っていた。
「ま、そう言うことですので、次からはキョンくんがリードしてくださいね。あたしの思い出となるような、素晴らしいデートにして下さいね♪」
 そんな俺の気を知ってか知らずか、やたらとノリノリに話すツインテール。
 俺はと言えば先ほどよりも深く溜息を残し、そして三度あのセリフを使うこととになる。
「やれやれ」



 ――同時刻、ファーストフード店前の歩行者通路――

「ふふふふ…………楽しそうに会話してるじゃない」
「くくくく…………一体何の会話だろうね」
「それよりもあの子、何でキョンに頭ナデナデしてもらってるのよ? あたしだってまだされたこと無いのにぃ!」
「全く同感だよ。こっちは日々専心してキョンを振り向かそうと頑張っているのにぃ!」
『キイィィィィィイィィィイィィィィ!!!!!』
「……女のヒステリーってのは、いつの時代も変わらないのな……」
「なぁに余裕ぶっこいてるのよ! 元々はあんたのせいでしょ!」
「キミが早く二人を見つければ、あんなシチュエーションは免れたんだよ!!」
「……す、すまん……」
「謝る暇があったら先回りして、あの二人の邪魔をするのよ!」
「出来なかったら罰金!」
「(佐々木も涼宮に性格似てきたな……)」
「何か言った? クソポンくん?」
「いえ、何も……」
「ならさっさと行く!」
「はひっ!」



 さて。
 そんなこんなで、ちっともデートとも思えないような会話が続いた後、本懐を遂げるべく路上へと足取りを向けた。
 時刻はもうすぐ十二時。言われるまでも無くお昼時である。
 お昼時といえば、そう。俺たちは昼食を取るべく店巡りを開始し始めた。
「昼飯ならさっきのファーストフードで食べればいいじゃねーか」とツッコミを入れた諸姉諸兄の皆様。もの凄く正解だ。正直俺だってそうしたかった。安いし、早いし。何より面倒くさかったし。
 しかし、ここでの食事に異を唱えた奴がいる。言うまでも無く橘である。
 曰く、『女の子とのデートなのに、なぁにファーストフードで済ませようとしてるんですか! 少しぐらい見栄張ってでも高級そうでムードたっぷりの、超高級レストランにしてくださぁい!』だとさ。
 それってただお前が人のカネ使って高級料理を喰らい尽くしたいだけじゃないのか?
「ぎくっ!」
 ……まあ、予想はしてたけどな。
「ちょ、ちょっとした冗談ですって!」
 上手いこと言い繕っているように見えるが、目線をあわせないところがとっても橘である。
「わかりましたよ。じゃああの……」
 観念したように、橘は向かいのとおりに停車している一台のマイクロバスを指差した。全身キャンディホワイトでペイントされた、良くも悪くも目立つバスである。
「あれでいいです。あそこの移動クレープ屋さん、取っても美味しいって評判なんです」
 クレープ、か。それならそんなに高くもないだろう。
「わかったよ。ちょっと待ってろ。買ってくる」
「一緒に買いに行きましょうよ」
 やだ。お前と一緒に並んでいると恥ずかしい。
「へへへー、まだ照れてるんですか? あたしたちデートしにきてるんですよ? いいじゃないですか?」
 そうじゃない。色とりどりにトッピングされたクレープを前に、涎をポタポタ垂らしてハアハア言ってる奴とは並びたくないんだよ。
「……うーん、そう言うことなら仕方ないですね」
 否定する気はないらしい。
「それじゃ申し訳ないですけど、あたしの分の注文も宜しく! ちなみにチョコバナナサンデー、バニラアイスダブルトッピングと今月のお勧めストロベリースペシャル、それぞれ二個ずつで!」
「一応聞いておくが、二人分だよな?」
「一人分に決まってるじゃないですか! しっかりしてください!」
 しっかりして欲しいのはお前の精神構造である。
 というか、クレープも立派なファーストフードだと思うのは俺だけだろうか?



 そんなツッコミを返したところで、『橘の耳になんとやら』と言う故事が遥か神話の時代より継承されている以上、譜面どおりに受け取るしかないので敢えて何も言わずキャンディホワイトのマイクロバスへと足先を向けることになる。
 バスの前には既に人だかりが出来ている。人気のクレープ屋と言うのはまんざらウソではないらしく、この様子だと注文までにはあと十分くらいはかかるだろう。
 ところで、もし自分が目当ての飲食店に来た際、自分の予想以上の行列がいたらどうするだろうか?
『並んででも食べたい』と言う人もいるだろうし、『並んでまで食べたいとは思わない』と言う人もいるだろう。
 これらはどちらか一方が正解と言うわけではなく、また間違いと言うわけでもない。その時その時の現場の判断で如何様にもなるものなのだ。
 とどのつまり、斯く言う俺がその選択に迫られているのだ。
 ここでは冷静な自己分析と状況判断が要求される。列の具合。自分の腹の塩梅。そして複数分の注文を依頼。
 これら総合的に判断した結果、大人しく並んで購入するのが吉であると判断を下した俺は、バスから伸びる行列の一番最後尾に足先を向け、その身を預けることにした。
 ここまで、俺の判断は間違っているとは思わなかった。
 しかし、俺にとって予想外の――言い換えれば予想すべきだった案件が俺の精神を蝕むことになろうとは。
 少し、考えていただきたい。
 クレープと言うのは、チョコだとかアイスだとかフルーツとか、甘いものをトッピングしたがる傾向にある。
 因みに本場フランスでは野菜やチーズ、それに肉類などを巻いて食べるのが一般的と言われているが、ここ日本では生地にまで砂糖を練りこんであり、いわゆる『スイーツ』としてのイメージが色濃く反映されている。これは、どういうことか。
 つまり――。
 この列に並んでいる客層のうち、九割超が女性。しかもその半数以上が俺と同学年と思われる風体で、自分の順番を今か今かと待ち構えていたのだ。
 その上疎らに見える男性客はものの見事に異性と肩を並べる、つまりカップルで並んでいるという徹底ぶり。男一人で並ぶと言う猛者は誰一人としていないのだ。
 ただ一人、俺を除いて。
 ここまで言えば、最早お分かりだろう。
 今俺のマインドは、例えるなら、ドラッグストアやデパートで目的の品物をゲットするために通った道が、実は生理用品コーナーや下着コーナーでしたという気まずさによって寡占されているのだ。男なら、この気持ち分かるだろ?
 女性なら……そうだな、レンタルビデオコーナーで間違えてアダルトコーナーに入ってしまった時の気持ちといえば何割かは共感してもらえるだろうか。
 俺のすぐ後ろのカップル、そしてその後ろの女性三人組が俺の方を見て何やら談笑しているように見えるが、今俺の深層心理からすれば
『ねえ、何アイツ。一人でこんなところに来るなんて』
『バッカじゃないの?』
『チョー変態!』
『通報した方が良くない?』
 ――そんな会話をしているような気がしてならない。いや、考えすぎだとは思うが、一度ネガティブな考えが頭の中を支配すると暫く抜けないものだ。もちろん逆も然りなのだが。
 こんなことなら、橘を連れてこればよかった。マジでそう思った。思ったのだが……。
 しかし、つれて来なくて正解だったとまざまざ実感するのだった。


 うら若き女性陣に囲まれると言う傍から見れば羨ましい環境なのだが、男一人でここに並んでいる気まずさの方が勝っていた俺は一分一秒が十倍百倍にも感じ、いよいよ自分が注文する番になった時にはもう日が暮れているんじゃないかと錯覚したね。
 夕日宜しくこのままフェードアウトしたい気持ちは腹八分目どころが十二分目以上にあったのだが、ここで何も注文せず逃げ出したらそれこそ怪しい人が繁華街にいると通報されかねない。
 意を決し、車の奥にある冷蔵庫から材料を取り出している店員さんに声をかける。「すみません」
「ハイハイ、イラッシャイマセー! クレープショップ・ジ☆ン☆パー☆ ニヨウコソアルヨ!」
 何故か中国語っぽいイントネーション(だと思う)で、陽気に語る店員さん。西○署の大○部長刑事に似たサングラスが印象的な……(あれ? まさか……?)。
「ゴチュモンヲドゾー」
「あ、えーと……」
「キョウノススメハプリンデアラモードクレープアルヨ。ツインテールノオンナノコニバカウケアルヨ。オニイサン、オツキソイノオゼウサンイニイカガデスカ?」
「……なんで俺に付き添いがいることを知ってるんだ?」
「あっ! ……グ、グウゼンアルヨ……ソレヨリチュウモンヲ……」
 サングラス姿の店員は、陽気な表情を見せつつも、頬に一筋の汗を垂らしているのを俺は見逃さなかった。
 俺は何も答えず、彼の目をじっと見つめる。一応言っておくが、決して注文を忘れたわけではない。
 注文の変わりに、言うべきことがある。
「イマナラ、チェリーパイフウクレープヲオスケシマショウ」
 あくまでシラを切る店員に対し、俺は判決を言い渡す陪審員のように冷徹に言い放った。
「お前、藤原だろ」
「…………」
 店員さん――藤原は、何も答えなかった。
 カツラにエプロン、それと前述のサングラスで誤魔化しているようだがモロ分かりである。
 これならエロエロウェイトレスの衣装を纏った『朝比奈ミクル』が『朝比奈みくる』と別人ですと主張する方が何千倍も説得力がある。
「……オオ!」
 暫く沈黙していた藤原は、何か思いついたのか、「フジワラサムライスシゲイシャデスネー?」
 ……ほほう、どう足掻いても別人と言い張る気かそうですか。
「ハルヒと佐々木の差し金だな」
「ぎくぅ!!」
 分かりやすいリアクションをする奴ではある。
「ハ、ハルヒナルニホンゴハジメテデース! サ、ササキノハサラサラナラゴリカイイタダケマース!」
 余程テンパっているのか、何を言ってるのか分からない。最早。
「ソンナコトヨリ、ハヤークチュモンシテクダサーイ! ホカノオキャクサンマテマスヨー!?」
「なら他の客の対応をしてくれ。俺は何もいらん」
「な……!」
「じゃあな、藤原に良く似た店員さん」
「こらっ、ちょっと待て……」
 自称『店員』さんの言葉に、俺は振り向きもせずその場を後にした。何か言ってたみたいだが俺の次に並んだ客が矢継ぎ早に注文をけしかけるからその対応でてんでわらわ。
 もちろん、俺には全く関係の無いことだけどな。



「あれ? クレープは?」
 商店街の先、歩行者通路の先に伸びる街灯を背にしていた橘は、俺の姿を見るや開口一番こう語った。
「すまん、売り切れだ」
「えー! ウソでしょー!?」
 もちろんウソなのだが、真実を語る気にはなれない。
「だって、まだあんなに並んでいるじゃないですかぁ!」
「残りはハバネロを練りこんだ生地に生の胡椒を巻いた、『ダブルペッパークレープ』しかないそうだ。それでもよければ買ってくるが?」
「う……それはちょっと……」
「だろ? ここは諦めて、他の店で何か喰おうぜ」
「うーん……しょうがないですね……わかりました。なら……」
「ほら、あっちがいいぞ! あっち!」
「え……? あっ!?」
 俺は橘の意見を無視し、例のクレープ屋からできるだけ離れるため、彼女の手を取ってこの場から逃走した。


「しまったぁぁあ! 見失ったぁぁぁあああ!!!」
「なぁにやってるのよ能無し!!」
「脳にポンジー咲かせて喜んでるんじゃないよこの変態!」
「お、お前らだって見失ってたじゃ……」
「あたし達に文句を言う暇があったら早く二人の後を追うのよっ!」
「ぐずぐずしてたら農薬撒き散らすからね!」
「す、すみません! 今すぐ行きます!」


 追っ手は意外にもしぶとかった。
 暫く走った後に辿り着いた一軒のカフェに入ろうとすればウェイトレス姿の藤原が出迎え、百八十度転回して某フライドチキン屋に向かえばサンダース大佐に扮した藤原がそこに座していた。
 大慌てで逃げ出すと、今度は警察官の衣装を身に纏った藤原が職質を始め、かと思えば街頭アンケートと称してレポーター姿の藤原がマイク片手にインタビューをする始末。
「こんにちはー。日PONテレビの原藤と申します! 昨今の草食系男子と肉食系女子のカップルについてアンケートを行っているんですが……」
「あ、あたし肉食系ってほどガッついていません! どちらかって言うと佐々木さんや涼宮さんの方が肉食系っていうかむしろ骨まで残さず食べ尽くすっていうか!」
 アホかぁぁぁあああぁあぁ!!! ハルヒ達が聞いてたらどうするんだぁ!
「ええっ! 聞いてたんですか!?」
「とにかく逃げるぞっ!!」
「ひゃぁあああ~っ!!」
 そして再び、首根っこ捕まえて逃走を開始。
 少しは休ませてくれよ……。



 ――と、ここまでは順調な……と言うのも無理があるが……デートを満喫していたつもりだった。
 最初で最後のデート。二度と会えない一組のカップル。仲を切り裂こうと暗躍する悪の手先。
 ドロドロで重たい男々女々を赤裸々に綴ったトラジェディかと思えば、グッダグダな春休みを描いたコメディとも取れる一幕。
 しかし、このデートの本質は、そのどちらにも当てはまらなかった。
 無理も無い。俺も橘も、成り行きでデートさせられる羽目になっただけで、決して望んで行われたデートではないのだ。
 では、一体誰がこのデートを望んだのか?
 宇宙人? 未来人? 異世界人? 超能力者?
 それとも――?



「はあ……はあ……ここまで来れば…………大丈夫だろ…………」
「へえ……へえ……へえええ…………疲れましたぁ…………」

 夏の蒸し暑さともいい勝負ができるであろう、しつこくまとわりつくような藤原の追跡から大脱走した俺たちは、いつの間にか繁華街を抜け、河川敷に程近い公園にまでやってきていた。
 とは言っても、意味があってここに来たわけではない。単に追っ手からの追跡を振り切ろうとした結果ここについただけである。
 これだけ走ると夏場ではなくとも汗でびっしょりである。おまけの喉も渇く。
「ふー、水が美味しいですぅ」
 公園に備え付けられている蛇口に顔を近づけ、橘は喉をコクンコクンと鳴らした。
 そりゃそうだ。ハーフマラソンに匹敵する時間と距離を走った後なんだから、いくら公園の生温い水道水だろうとも美味しいに決まっている。『空腹にまずいものなし』みたいなものだ。
「ふふふ、本当ですね。これから単に食べるんじゃなくて、たくさん運動してから食べるようにしましょう」
 ああ、その方がいい。味覚的にも、健康的にもな。
「デートってのは結構、体力を使うんですね。一つ勉強になりました」
 さすがにそれはない。
「趣味がトライアスロンだとか鬼ごっこと仰るカップルを除いて普通は使わないだろう。勉強するならもっと常識に則った知識を身に付けることを推奨するぞ」
「そうですね、考えておきます。それより……」
 橘は辺りを見渡し、何かを懐かしむように手を広げた。
「……ここ、覚えていてくれたんですね。あれからもう二年も前になるんだ……」
 アニバーサリーに関してはそれほど得意じゃないし、何より橘が懐かしんでいるもがちっともわからない俺は適当な相槌を打った。
「そう……もう二年前の夏のあの日。ちょっとした勘違いで佐々木さんと涼宮さんの閉鎖空間が入り混じって、『神人』同士がケンカし始めたんですよね……」
 言われて脳内のシナプスが細胞に直結した。「ああ、そんなこともあったっけな」
「あの時のあたし、古泉さんに『神人』の倒し方を習ったばかりで……倒すのに苦労しました。しかも異様に強くて。ホント、世界の終焉が手にとるように分かりました。キョンくんってばさっさと気絶しちゃうし……怖かったんですよ」
 ふふふ、と何の含みも無く笑う橘の表情はまさしく年頃の少女のものだった。
「あれから、もう二年になるんだ……」
 ――あれから、もう二年にもなるのか――
 橘が繰り返した言葉を、俺も心の中で繰り返した。
 同時に、コイツとのクサレ縁も同じだけ……正確にはそれ以上だが……あることになる。
 ――橘との最初の出会いは、言葉では言い表せない程最悪なものだった。
 俺の中学校時代以来の級友にちょっかいを出し、あまつさえ宇宙人未来人異世界人そして超能力者を交えた三つ巴ならぬ四つ巴戦を引き起こし、一人蚊帳の外で笑っていた女だ。
 一連の事件以降は急にトーンダウンし、なりを潜めたと思って安心していたのだが……それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。自称超能力者の橘京子は、様々な能力をパワーダウン(アップではない)させて再び俺の前へと姿を現したのだ。
 おかげでこっちは大迷惑。その上空気を読まない数々の言動があらぬ噂を引き立て、ついには佐々木の中に潜んでいた『神人』をも目覚めさせることになった。
 その『神人』を対峙するため、古泉と共にやってきた……。

「ええ、そのとおりです……そのとおりでした」
 いつの間にか俺の横のベンチに腰掛けていた橘は、俺の過去の記憶を呼び覚ますかのようにそっと寄り添ってきた。
「あの頃は、迷惑かけました」
 ホント迷惑だったぞ。やりたくもないマラソンやらデートの真似事とか。おかげで散々怒られたんだぞ、古泉に。
「あたしも結構怒られましたんですよ」
 言いながらペロッと小さく舌を出し、悪戯っぽい笑みを見せる橘。
「思えば、あれからですよね。あたしがキョンくんに頼るようになったのは」
 そうだな。胸部肥大化依頼に続き、冬の合宿、異世界探索、記憶喪失、そしてドッペルゲンガー増殖事件……色々なことがあったが、何故か橘は俺を頼りに来たんだよな。
 中には俺を頼りにしたというより勝手に頼りにされたとかむしろ自分自身で突き進んだものもあるが、殆どが言葉の綾になぞられる誤差範囲に納まっていると言っても過言ではない。
「今更ですけど、遭えるのはこれで最後だと思いますし、今のうちにお礼を言っておきますね。キョンくん、今までありがとうございました」
 ペコリとお辞儀する橘に、今度は俺が無言を貫き通した。
「でも、不思議ですね。よくよく考えたら、出会った当初の印象は最悪でした。それにもかかわらずあたしを助けてくれるなんて。もしかして……」
 何故か俺の顔をマジマジと見つめ、たっぷり十秒ほど経過した後、
「……そんなわけ、ないか」
 半ば呆れ顔でつっけんとんに言いあしらった。何が言いたいのか、事細かに説明して欲しいものである。
「空気を読めばあたしが何を考えているか分かりますよーだっ!」
 唇を『イ』の発音時の形にしながら器用に喋り、その後のも何やらわきゃわきゃと俺の悪口を言い続ける。
 俺はといえばコイツの悪口に気を悪くするでもなく(言われたところでムカッとくるような言い回しではない)、思ったよりも機嫌の良いツインテールに対し、安堵の息を洩らした。大分、落ち着いてきたみたいだな、と。
 今日、こいつと出会った時――転校するとか言い出した時は、神経がかなり高ぶっており、下手な慰めや言い回しは火に油を注ぐようなものでとてもじゃないが余り関わりになりたくなかった。
 しかし、デート始めて数時間が経った今、妙なまでに落ち着きを取り戻している。まるでジキルとハイドのように入れ替わったかのように。一体何が彼女の心境を変化させたのだろうか?
「それはですね、」とやはり落ち着いた様子で彼女は言った。
「お別れは悲しいですけど、キョンくんとこうやって最後にお話する時間も出来ましたし。それだけでも満足なのです」
 そうかい。俺はお前に主導権を握られてフラストレーション溜まりっぱなしなんだが。
「もう。いじわる」
 俺の戯言に、橘はぷくっと顔を膨らませ――。
 ――しかし、それも刹那のことだった。吊り上げた目は再び神妙な顔つきへと変化する。
(おかしい)
「どうしたんだ、橘」
 しかし俺の言葉に応答はなかった。ベンチに座したまま、祈るように手を合わせるのみ。思いつめた、しかし真剣な表情は前髪とツインテールに隠れてもなおアリアリと感じられた(やはりおかしい)。
 俺はと言えば、そんなネガティブ風情の橘にどう声をいいか分からず、ただ彼女の出方を見るに留まっていた。
『…………』
 二人の沈黙が続く。平日の昼間だと言うのに、恐ろしいくらいの沈黙が辺りを支配し――。
 ――そんな時間がどれほど続いただろうか。
 丸まったダンゴムシのようにじっと固まっていた橘は、やがて決心したように顔を上げた。「キョンくん」
 何だ、改まって。
「もうお会いするのも最後でしょう。あたしも本当のことを言います。よーく聞いてください。重要なことなんですから」
 ゴクリ。
 何時に無く真剣な眼差しの橘に、思わず息を呑んだ。
「実はですね……」

 ――あたしの空気読めないキャラ、大半が演技ですから。

「…………」
「…………」
「…………」
「……あの、どうしましたか? 黙り込んじゃって」
「……ぷぷ、ぷぷぷぷぷぷぷ……ぷぷ…………」
 だーっはっはっは!!!!
「ちょっと! なに笑ってるんですか!」
「うぷぷぷ……い、言うにこと……ぷぷぷ、かいて……ぷぷ、え、演技とか……ちょ、笑いがとま……ぶははははっ!」
「本当ですって! 信じてくださいっ!」
 わ、わかった、わかったからそんなに真剣に……ぷぷっ!
「……いじわる」
 自分の主義主張が聞いてもらえず、小学生のように拗ねる橘はなかなか……なんでもない。
「……確かに、信じてもらえない部分は多々あると思います」
 と思ったら、今度は何時になく真面目な表情。顎が裂けるくらい爆笑に爆笑を重ねた俺とは対照的であり、さすがに自己嫌悪に陥った。
 背を正し居住まいを正し、真剣な顔の橘を見つめ――ようとしたが、あまりにも謹厳実直な瞳に注視することができず、代わりに視界に入ってきた桜の花びらに目線をパンする。
 たゆたう桜。湧き出る噴水。そよぐ草木。
 マイナスイオンがふんだんに発生しているであろうこの空間には、俺達以外の人間は一人としていなかった。
 そんな状況だからこそ、橘の、いつになく真面目な口調は一層クリアに、そしてより悲痛に聞こえた。
「演技で空気読んでない行動をしている一方、本当に天然でやっちまったこともありますから。あたしってば結構おっちょこちょいですし」
 二房の髪をゆらし、くふっと可愛げの成分を惜しげも無く曝け出す。しかし、どうしてだろうか。俺の瞳にはその笑顔が悲しくも儚くも映りだされて仕方なかった。
「例えば……年始のパーティでの事件とか。あの時は本気で怖かったです」
 ふと我に返り、橘の話に合わせる。「……そういや、そんな事もあったっけな」
 喜緑さん容赦ない睨みは、森さんのそれと同等以上の戦慄に身震いしたもんだ。……そう言えばあの時、橘は喜緑さんと共に消えたはずだが、一体何をされたんだろう? ちょっと聞いてみたい気がしたのだが……。
 ……止めておこう。聞いたら命が無くなる気がする。
「そんな例外もありますが、あたしの空気読めないキャラは皆さんを和ませるための演技のつもりだったんです。ちょっと度が過ぎた部分もありましたけど、おかげで皆さんと仲良くなれました。そう――」
 今度は天蓋の方向を見据え、遠い目を送り、
「知ってのとおり、あたし達の出会いは最悪なものでした。そりゃそうですよね。あの朝比奈さんを強引に誘拐したんですもの。あんなに可愛いお人を誘拐するなんて、我ながら冷酷非道な人間だと思いましたよ」
 本当に申し訳なさそうな口調で、自己嫌悪気味に呟いた。
 その口調に、いつもの天然KYキャラは微塵も感じられない。
「あたし達の目的は以前に申し上げたとおりですが、そのためにはキョンくん……いいえ、『あなた』の協力は必要不可欠なものでした。親密な関係にとまではいきませんが、少なくともあたし達の存在に対し嫌悪感を払拭するくらいは必要だと思ったからです」
 何時に無く真剣な口調に、俺も真面目に答えざるを得ない。
「空気を読めないキャラは、そのためのものだと?」
「ええ」
「……そうか、」と口にするつもりだったのだが、寸前のところで中止。代わりに、「……どうだか」と答えた。何故かは自分でもわからない。
「そんな姦計を企てていた事もそうだが、お前がそこまでオツムが回る人間には到底思えん」
 橘は俺のイヤミに対し、笑顔で答えた。「ふふふ。そう思って頂ければ幸いです。あたしの演技力もまんざらじゃなかったってことですからね」
「で、そこまで演技を続けて何がしたいんだ、お前は」
「目的は、二つありました。一つは今も説明したとおり、あなたと、そしてあなたの仲間達の懐柔。そしてもう一つは……うふっ」
 橘は何故か流し目をし、たっぷり十秒は沈黙。そして人差し指を立て、俺の口元へ。
「禁則事項ですよっ」
 殴るぞ、こら。
「ふふ、冗談です」
 殴ると言ってるのにこれまた何故か楽しそうに、橘は笑顔の桜を満開にさせ――いや、すぐに散りきった葉桜のように物悲しさを浮かび上がらせた。
「そうですね……最後だからこれも言っちゃいます」
 そして、彼女は本当の胸の内を開けることになる。

「もう一つは…………そう。実は、佐々木さんと仲良くなりたかったんです」

「……えっ?」
「佐々木さんって、結構サバサバしているというか飄々としていると言うか……掴みどころがない性格です。まるで自分の本心を誰にも知られたくないような、自分自身を演じているような、そんな性格」
 橘はベンチから立ち上がり、そこから数歩と離れてない噴水前まで移動し、
「最初は、そんな彼女の性格についていけず、また佐々木さんもあたしに対して心を開こうとはしませんでした。当然ですよね。親密な関係にあったあなたならともかく、出会って間もないあたしにそうそうペラペラ自分の本心を言うわけにはいかないでしょうし」
 その噴水の周りをゆっくりと歩きながら語りかけた。
「でも、自分が所属する『組織』の考えを理解してもらうために、佐々木さんと親密になる必要がありました。『組織』のため、世界の安定のため、何より自分の身の保身のために、です。だけど……」
 今度は歩みを止め、同時に言葉を区切って俺の方を向く。
「だけど、それは建前。本当は普通の女の子らしく、一緒になって遊んだり、買い物したりするお友達が欲しかったんです」
 本気か? それ。
「本気の本気です。あたしだって年頃の女の子です。同年代の女の子と遊んだり、ショッピングしたり、スイーツを食べに行ったり……『組織』の仕事抜きで遊びたいって気持ちは存分にあります。それに、その……正直、あたしのお友達って、少ないですし」
 だろうな。
「あの、言っておきますけど」
 俺の態度が気に喰わなかったのだろうか、橘は目を仰角三十度吊り上げて、
「あたしが浮いてるから友達が少ないんじゃないんですからね。佐々木さんに能力を与えられて以降、学校の転校が多かったからお友達を作る機会が少なかっただけですから」
 浮いてるって自覚はあるのな……さすが空気読めないフリをしていると自称しただけはある。しかしそんなに必死で言い訳すると余計必死なキャラが遊離してくるのに気付かないんだろうか。
 (いや、待て。これと同じ状況をどこかで聞いたことが……)
「高校生になり、ようやく佐々木さんとお話ができる状態になったのはいいけど、あの性格でしたから……とっつきにくいのも事実です。どうしたらいいのかしらね?」
「俺からの提案としては、」噴水の前に佇む橘に対し、俺はベンチから離れず、代わりに彼女に聞こえるくらいの声の大きさで言ってやった。
「演技かどうかは知らんが、そのKYな性格を直せばいいと思う。そうすればあいつだって普通に接してくれるはずさ」
「いいえ」しかし橘は鷹揚に首を横に振った。「それは違います。あたしの行動如何が彼女に多大な影響を及ぼしているわけではありません。事実、佐々木さんも、そして涼宮さんも、実はあたしのこと自身はそんなに嫌っていないのです」
 何故、そんなことがわかる?
「あたしは能力、覚えていますか?」
 突然の質問に対し、「えーと、古泉とは別の超能力者で、佐々木の閉鎖空間に侵入できるってやつだよな」
「他には?」
『神人』を倒すために光球になるとか、佐々木の深層心理を知ることができるとか……。
「そう、それです」
 えっへんといった感じで橘は胸を大きく反らした。どうやら、こういった仕草は演技ではないらしい。
「古泉さんが涼宮さんの深層心理を把握するのと同じで、あたしは佐々木さんの深層心理を把握することができるのです」
 それがどうした?
「もしあたしが本気で嫌われていれば、あたしと接する度に変調が現れるはずです。涼宮さんで言えば、閉鎖空間に『神人』が発生するようなもの。佐々木さんも過去に『神人』を発生させていたのは、あなたもご存知でしょう。しかし、」
 ――今現在の佐々木さんは、『あの日』を基点にして閉鎖空間内に巨人を発生させていません。それはとりもなおさず、佐々木さんの深層心理が再び安定領域に入ったことになります――
 橘はギャグもなく、淡々として口調で言い放った。
「どうですか? あたしの考えに異論はありますか?」
 異論はない。佐々木の深層心理が安定したと言うならばそれはいいことだ。しかし、
「なら何故、いるはずの無い佐々木の閉鎖空間に『神人』が発生したんだ? それにハルヒと佐々木が共同して世界を塗り替えようとした時もあったが、あの時はどういった深層心理が働いていたんだ?」
「……やれやれ、分かってると思ったんですが」
 橘は両手を肩の高さまで上げ、手首を直角に曲げて溜息をついた。誰かのモノマネをしているのだろうか?
「佐々木さんの心が荒れた原因。それはあなたにあるんですよ」
 俺?
「よーく思い出してください。佐々木さんの閉鎖空間に『神人』が発生した直前、あたし達が何をしていたか?」
 確か……古泉とお前に喫茶店に呼ばれた時のことだったな。ハルヒと佐々木が仲良くしているのはマズイんじゃないかって言われて、二人を尾行してて……。
「そう。で、古泉さんがお手洗いに行き、あたしとあなたが二人っきりになって、その現場をお二人に目撃されて……その時です。涼宮さんのみならず、佐々木さんの閉鎖空間に『神人』が発生したのは」
 だが、アレは勘違いだ。あの時のことは佐々木には説明済みだし、ハルヒにだって最後の最後で説明したじゃないか。
「それで納得するほど乙女心はキレイサッパリしてません。いくら言い繕ったところで、心の中にはモヤモヤしてたものがあったんです。そして、それこそ閉鎖空間の発生源であり、同時に『神人』の発生源ともなったのです」
 なら言わせてもらうが、それなら原因はお前にだってあるはずだ。俺一人に責任を押し付けるのは御免被りたい。
「確かに。結果的に責任の一端はあたしにもあります。ですがもしあの時にいたのがあたしでなくても――例えば朝比奈さんや長門さんだったとしても、『神人』は発生したでしょう」
「どうして」
「簡単です。佐々木さんの胸中は『あたし』に向いているわけじゃありません。『あなた』に向いているからです。あの時、『あたし』の代わりになれる人はそれこそゴマンといるでしょうが、『あなた』の代わりになる人はいません。それが答えです」
「…………」
「佐々木さんは『あなた』が自身の拠り所であることを自覚しているのです。意識的にしろ無意識的にしろ、必要不可欠なものとして認識しています。ですから、それ以外の存在が言い寄ってくると強い拒絶反応を示し――結果『神人』を生み出したのです」
 つまり――佐々木絡みの事件は、俺に全ての責任がある。そう言いたいのか?
「先ほども言いましたが、そうは言ってません。結果論とは言え、あたしも一役も二役も買っていますし、あなた一人に責任を負わす気はありません。ただ……」
 ただ?
「……佐々木さんに対して、そこまで必要とされるのって、うらやましいな、って思いまして」
 (――あ)
 橘の言葉に、デジャビュが駆け抜けた。
「あたしも佐々木さんに気に入られようと頑張っていたんですが……結局は徒労に終わってしまいました。あたしは、『親友』になれる資格なんて、ないんでしょうか?」
 橘の問いに、暫くの沈黙が続き――。

「無理じゃないさ」
 蹲る橘に、そっと声をかけた。
「佐々木の『親友』ランキングでも、ブッチギリの一番の奴がいる。ソイツは恐らく、『親友』になるまでの時間もブッチギリで一番のはずさ。一週間もかかっていない」
「……へ? 誰ですか? それ。キョンくんのこと?」
 いつの間にか俺の呼称が『キョンくん』に戻った橘は、それこそ元のKY娘の如く間の抜けた返答に始終した。
 どっちが演技か知らないが、この『橘』は空気が読めないらしいし、だから言ってやる。
「いいや、俺じゃない。もっと素直で、純粋で……友達思いの奴さ。きっと――」


 ――佐々木は、『彼女』のような人を、待ち望んでいるんだよ――



 上がっていた息もとうの昔に戻り、かつ藤原一味(?)を巻いた俺たちが次に向かうのは――特に決めてなかった。
「適当に、歩きましょうか」
 何気ない橘の言葉に、俺は二つ返事で了承した。
 河川敷を歩く俺たち。ついでに言うと会話も殆ど無い。まるで勢い余ってデートをしてみたはいいが、共通の話題が見つからず沈黙し、この語の予定も立ててないからどうしていいか右往左往する高校生同士の初々しいカップルの如きである。
 ――まるで、と言うより、まるっきり俺たちのことである。
 しかし……これ以上の会話がないのも事実である。橘の胸のうちは何となく分かったし、それ故俺がして上げられる事でもない。
 間を取り持つことは不可能ではないかもしれないが、如何せん時間が少なすぎる。橘の話によると、来週にはこの町から姿を消してしまうらしい。
 それまでに友情を育むことなど出来るのだろうか――?

 そのままどれくらい歩いただろうか。俺たちは再び繁華街へとやって来た。目的無く歩いてきたつもりだったが、ここに来ればハルヒや、そして佐々木にも会えるだろう。少しは会話を持たせて、彼女なりの言い分を聞かせたい。
 そんな思いが前頭葉の先に走ったのだと思う。事実、俺と橘は会話も無いのに何故か辺りを見渡しているのだが――肝心要な時に限ってあいつらは姿を現さなかった。
 さっきまで目ざとく俺たちをストーカーしていたのに、こんな時に限って……一体、どこに行ったんだ?
「……あ!?」
 と、これは橘の声。「どうした?」
 振り返ってみると、そこにいたのは――。
「……あ、キョンくん、橘さん。こんにちは」
 朗らかで麗しい笑みを洩らす、小柄な女子大生、朝比奈さん。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「ええとですね、不思議探索です」
 ……あ、そう言えば今日は不思議探索のためにここに来たんだったな。橘のせいですっかり忘れていたが。
「ふふふ、実はちょっとウソをつきました。不思議探索は涼宮さんの意向で中止になったんです。ですからわたし達三人で――」
 三人、どこに? そう口にしようとした瞬間、
「…………」
「――――」
 朝比奈さんの遥か後方、有名ブランドショップの店舗前に佇む二人の制服姿が目に入った。
「長門さんと、九曜さん。お二人のお洋服を選びに来たんです。ほら、大学で高校の制服はまずいですから」
 ああ、そう言うことか。ご苦労様です。
「宜しければ、お二人もどうですか? ご一緒に」
 この誘いに、俺は微妙に返答しかねた。『一応』とか、『仮に』とかの接頭語はつくものの、デートをしている俺たちに対して普通こんなことを言うものだろうか。しかも相手は女性三人。デートされる側の橘から見たら気が気ではないだろう。
 というか普通は遠慮して声などかけないはず。
 しかし、朝比奈さんは良くも悪くもピュアなお方だ。全くの純真な気持ち、完全無欠のご好意によって俺たちを誘っているのだろう。だからこそ断りにくい部分もある。
 ――さて、どうすべきかね。
「行きましょう」
 ……えと、いいのか?
「はい。九曜さんと長門さんの通学着を選定するのも楽しそうですし」
 しかしなあ……。
「あ、それともそんなにあたしと二人っきりになりたいんですか? もう、キョンくんってば照れ屋さ「さ、行きましょう。朝比奈さん。長門も九曜も行くぞ」」
「あ、はーい」
「…………」
「――――」
「あ、待って下さいぃ~。置いていかないでぇ~」
 橘は置いてけぼりを喰らったことが余程堪えたのか、涙目で追いかけてくる。
 おい橘。さっきの演技の話。あれってやっぱウソか? それとも、これは演技なのか?
 うん、深く考えるのはやめよう。



 店内に入るや否や、朝比奈さんと橘は普段見せることのない機敏なスピードで陳列されある服を思い思いに手に取った。
「長門さん、お似合いですよ。そのチュニック」
「そう」
「生地が薄いから夏でも着られますし、寒い時はこっちのカーディガンを羽織ればまた違ったおしゃれになりますよ」
「わかった」
「九曜さんは髪の毛のボリュームが多いですから、フロントホックの方がいいですね」
「そう」
「そうそう、こっちのワンピなんてどうですか? ヴィヴィッドカラーでお似合いですよ」
「わかった」
 やたらと乗り気な選定側と、そもそも乗り気なのかどうなのか分からない被選定側。当事者でないので詳細は避けるが、そこそこ楽しくやっているようだ。
 まあ、つまり。
 女性のファッションに到底縁のない人間……つまり男である俺……は一人、店舗中央部にある今春のトレンドファッションを着こなしたマネキン達と肩を並べて遊んでいたりする。女性四人に対し男性一人。完全アウェイになるのは致し方無いことだ。
「そんなことはない」
 うおあっ! びっくりした!
「マネキンの間から顔を出さないでくれ、長門」
「…………」
 スプリングコートから顔を覗かせていた長門は俺の命に従い、マネキンの脇を通って俺の前へと現れる。
「結果はどうであれ、橘京子は現状を楽しんでいる」
 それはそうだが、果たしてこれがデートと言えるのだろうか?
「――結果……良ければ――全て良し――――」
 ロングスカートを捲り上げ、マネキンの股に顔を挟んだ九曜が現れる。
「だからマネキンで遊ぶなぁ!」
「――――」
 長門と同じく、俺の前に現れる。
 全く、こいつらは……。


「……で、何がしたいんだ? お前ら」
 見慣れた制服姿ではなく、朝比奈さんと橘にコーディネートされた二人の姿はいつもとは違う印象を受けるものの、行動から性格まで十把一絡げに変化するものではない。
 それが証拠に、綺麗に着飾った宇宙人のしもべ二人はワンテンポどころかファイブテンポ遅れてギギギギギと腕を動かした。
「あそこ」
「――見て…………」
 言われて見てみれば、互いに服を取り、楽しそうに談話に花を咲かせる朝比奈さんと橘の姿があった。女性のコーディネートに関して疎い俺だが、少なくとも険悪なムードで服の取り合いをしているわけじゃないことは理解できた。
 そう言えばあの二人。最初は犬猿の仲だったよな(俺的注:ここで言う『最初』とは、橘が朝比奈さんを誘拐した時のことではなく、お互い初顔合わせをした――つまり、橘が胸を大きくしてくれと懇願した際のことである)。
「そう。確かに、二人の間に軋轢があったのは事実。でも、」
「――――二人は…………相容れぬ――――存在では…………――――ない――――」
「……ああ。そうだな」
 長門と九曜の言葉は、俺にとって素直に受け入れられるものだった。
 例え出会いが最低最悪なものでも、その後の対応如何ではより信頼関係を回復する事も可能なんだ。
 逆にいくら仲が良くても、一つ間違えれば信頼関係は簡単に瓦解する。
「人間は、努力次第で如何様にも可能性を広げられる」
「――例え…………それが――――不可能と…………思われる事――でも――――」
「故人は言った。『為せば成る。為さねば成らぬ。何事も』」
「『成らぬは――――『ヒト』の―――――為さざる…………なりけり――――』」
「橘京子は、自分で自分の可能性を閉ざしている」
「解放――――してあげて…………――――あの時見た――――『人間の心』…………――――もう一度――――」

 マネキンと見紛う二人の、辛辣とも思える願いに対し、俺も居住まいを正して誓いを新たにした。
「――ああ、わかった。必ず」



「キョンくん、あまりお相手できなくてごめんなさい。それどころか橘さんをずっと借りちゃったみたいで……」
「いいえ、気にしないで下さい。今日の主賓は俺じゃなくて橘ですから。コイツが楽しむことが今日の目的なんですから」
 何時の間に親密な関係になったかは知る由も無いし知りたいとも思わないが、朝比奈さんと橘の談議は弾みに弾み、もはや二人だけの世界に入り浸っていた。
 俺はもちろんのこと、いつの間にか蚊帳の外になっていた宇宙人二人も俺と同じくつらつらと怠惰で怠慢な時間を過ごすことになった。もっとも、時間の概念を支配できる二人にとっては然したる苦痛にはならないだろうが。
 因みに今ここにいるのは朝比奈さんと俺のみだ。橘は先ほどのショップに用があるとかでここにはいない。宇宙人コンビは遠目で俺たちの様子を伺っている。
「そう言ってもらえればありがたいです。でも、残念ですね。橘さん」
 まあ……残念といえば残念です。でも転校理由は『組織』絡みであり、それがアイツの運命なんですから。しょうがないですよ」
「キョンくん、」柔和な顔を浮かべていた朝比奈さんは一転、妙に真剣な顔立ちで「しょうがないって、どういう意味ですか?」
 え?
「橘さんの身にもなって考えてみてください。すごく寂しい思いで今を過ごしているのに、それを『しょうがない』の一言で済ますなんて、さもしすぎると思いませんか?」
 ……あ、いや。そんな意味で言ったんじゃ……。すみません。
「あ……わたしこそ、ごめんなさい。言い過ぎました。でも橘さんのことは他人事じゃなかったので、つい……」
 言って小柄な上級生は顔を紅らめた。まるで本当に自分が悪かったと言わんばかりに。
 気弱で恥ずかしがり屋の朝比奈さんがあれだけ主張をしたのは驚愕に値するが、実はその理由は俺にとっては既知のものであった。
 つまり。朝比奈さんも橘と同じ境遇にあるのだ。
 朝比奈さんは未来、橘は超能力団体机下と言う違いはあるものの、どちらも観測対象が観測対象で無くなった時点で俺たちの住む街に用は無くなる。お役御免ってわけだ。
 また、二人ともある勢力下で働いている以上、上からの命令は絶対だ。『ここが好きだからここに残りたい』なんて希望は通らないだろうし、下手をすれば抹殺しかねない、そんな境遇。
 ――だからこそ共感したのだろう。朝比奈さんは。
「わたしが橘さんにできることは、これくらいです。全然力になれなくてごめんなさい」
 いいえ、十分過ぎるくらいの働きです。ありがとう。
「長門さんや九曜さんも、橘さんに感謝の言葉をかけていました。橘さんって、人気者で羨ましいです」
 人気者かどうかはさておき、彼女と会えるのは最後なんだ。それくらいはするだろう。
「あとは、涼宮さんと佐々木さん。お二人にもちゃんとサヨナラを言わないと」
 そうですね。半ば強引な形で飛び出してきたが、ケジメだけはちゃんとつけないといない。
「そうです。あるがままの事実を受け入れなければ…………くしゅん!」
 ? 朝比奈さん、風邪ですか?
「え? 多分、違うと……くしゅん!」
 大丈夫ですか? まだ寒い時もあるから気をつけてくださいね。
「あ、はい。わかりました」

「――はあ、はあ。お待たせしました。では次行きましょうか」
 橘、今まで何をしてたんだ?
「ちょっとしたお買い物です。もう終わりましたから、どうぞエスコートお願いします」
 はいはい。行きましょうか。
「ええ!」



 ――こうして、俺は朝比奈さん達と別れ、再び二人でデート……最早デートと言うのもどうかと思うが……を満喫するため、歩みを進めることになり、そして――
 ……いや、敢えて言うまい。


 これから起きる事件は、一言二言で言い表せるほど単純なものじゃなかったのだから。


橘京子の憂鬱(後編)

 ”――橘京子とは?”
 それは、涼宮ハルヒに備わった力――自分が願ったことを実現・具現させる力――を、本来の持ち主である佐々木に還元し、そして彼女に帰結しようと企む『組織』の一員にして、一介の少女。
 愛嬌のある、かつ幼げの残る顔立ちとは裏腹に、『組織』内での地位はかなりのもの。
 事実、朝比奈さんをかっさらったあの一件では自分よりも年上の男共に指令を下していたし、『機関』の一員である古泉――言い換えれば敵対勢力――に近しい俺に対し、しれっと協力要請をしたのも、それなりの力を見込んでのことだと思う。
 そう言った意味では、下働きばかりが目立つ『機関』の若手構成員、古泉一樹よりかは格が上なのかもしれない。

 ”――彼女の目的は?”
 先にも言った通り、ハルヒに宿っている力を佐々木に移すこと。彼女ら『組織』は、その方が安全だと主張する。
 彼女の主張はこう。
『ややもすれば世界をへんてこりんにしそうな神様と、まともで暴走することのない神様。どちらに力を託すのが安全か、自ずと解るでしょう?』
 つまり、世界を安定化させるために、不安定要素を根本から排除しようとする集団だ。因みに『機関』は世界を安定化させる目的こそ同じだが、不安定要素の発生を無くそうとする集団。
 同じようなことを言っているようにも見えるが、根本は全く異なる。

 ”――どう、違うのだ?”
 もう少し、解りやすい例でたとえよう。
 この世界においても、恒久平和を願うものは数多く、いざこざ、内紛、テロなど数多くの衝突を避けるべく各国(或いは各勢力)が様々な方法で立ち向かっている。
 限定的な軍事力、つまりディフェンディングフォースを用いて厄災の粉を振り払うものもあれば、徹底的に反乱因子を叩くことで鎮圧を図る勢力もあるだろう。
 中には対話で解決を図るグループだって存在するし、洗脳で主義主張を一致させる過激な集団だっているはずだ。
 即ち、目的こそ同じなのかもしれないが、その方法は全然異なる。
 方法の違いは軋轢を生み、対立へと繋がっていく。
 恐らくであるが、『機関』と『組織』も、同様な経緯を経て対立の方向へと向かっていったのだろう。

 ”――では、どちらの言い分が正しいのか?”
 正直、これは検討もつかない。
 もちろん橘京子にたいする嫌悪感は未だ燻っており、それが俺を『機関』側に靡かせるのに圧倒的過半数を占めている。が、それだけを理由で選んでいてはただの一過的感情に支配されやすい奴と揶揄されるだろう。
 大局を見るには、クールな判断と客観的な物の見方が必要なのだ。当初古泉に遭った時もえらく胡散臭い奴だとは思っていたからな。
 ともかく、冷静に二者間の主張を鑑みると、どちらが優れていると言うものではない。どちらの言い分もわかるし、またどちらの言い分も正しいとは言い切れない。
 妥協したり折衝したりすればまた違うのかもしれないが、今のところ両者ともそんな気はさらさらないらしい。
 つまり、両者の衝突は俺的目線では引き分け、ドローである。

 ”――どちらにつくのが正しいのか、答えが出ていないと?”
 そうではない。俺の中では的確な解答が得られている。

 ”――古泉一樹が属する『機関』に、だな”
 完全にとは言わないが、概ねそのとおりだ。

 ”――理由は?”
 三つある。
 まず一つ目。『組織』が主張する言い分――つまり、ハルヒの能力を佐々木に移管する必要性を、全く感じてないから。
 確かにハルヒは非常識極まる行為で周囲を混乱の渦に陥れた。
 強盗まがいやセクハラまがいの行動は可愛い方で、異空間にカマドウマを閉じ込めたり、目からビームを発射させたり、果ては世界そのものにまで干渉して皆大騒ぎだった。
 それは紛う事なき事実だし、認知すべき点である。
 しかし、それも最早過去のことだ。
 中学、高校初中期ならまだしも、大学へ進学しようとする今のハルヒの精神状態はかなり穏やかになっている。嫌で嫌でたまらない日々を生活を過ごしていた時とは違い、俺たち仲間と楽しくワイワイ時を過ごしているんだ。
 つまり。
 今現在のハルヒは、精神的に落ち着きを取り戻している。イコールこの世界を気に入ってると捉えてもいい。
 世界をはちゃめちゃなものに変えてしまうハルヒの姿は、今ここにはない。変える気がないから、世界は不変のまま。
 ……お解り、頂けただろうか。『組織』の主張は、今や無用の長物なのだ。

 ”――では、二つ目は?”
 一つ目と似ているが、能力を移管することを不必要と感じているのは俺だけじゃないってことだ。
 他の勢力――つまり、宇宙人や未来人――もまた、この件にダンマリを決め込んでいる。……最も、向こうとしてはどちらが能力を持っていても問題ない、中立という立場だけどな。
 例えば未来人。
 一癖も二癖もある物言いで、藤原は語ったことがある。
『誰が所有しているか、そんなことはどうでもいい。重要なのは力がそこに存在するという事実のみだ』、と。
 藤原だけじゃない。朝比奈さん……特に大人の魅力たっぷりな朝比奈さんからの干渉が無いのも、俺の持論に拍車をかけている。
 もし俺にして欲しいことがあるのなら、きっと朝比奈さんは下駄箱に可愛らしい文字で書かれた手紙を入れるか、或いは黄金比を保ったボディラインを目下に晒してくれるだろう。
 しかし、今の今までそれが無いってことは、とりもなおさず未来人の関心はここに無いってことになる。
 続いて宇宙人。
 九曜に関しては意思疎通が図れない部分があるので如何ともしがたいが、長門に言わせれば、重要なのは『情報フレアの観測』『進化の可能性』であり、流出源まで言及していない。
 たまたまハルヒに兆候が見られたから観測しているだけであり、誰に能力の片鱗があるかは二の次である。佐々木が所有していても良いだろうが、逆を言えばハルヒがそのまま持っていてもなんら問題ないってことだ。
 ハルヒが神の器として適任だ……とはお世辞にも言えないが、佐々木が適任かと言うとそれも違う。
 橘は『普段の通り振舞っていればいい』と言ったが、そんなヘンテコリンな能力があると解っていながら平時を保って生活できる奴などザラにいないし、それに何より、佐々木自身『そんな能力、必要ない』とまで言い切ったんだ。
 無理矢理移行しようもんならその分リスクも伴うだろうし、ハルヒが大人しくなっている昨今ならば余計寝た子を起こすようなことはしたくない。
 何より、 本人が嫌がっているのを無理にやろうとするその神経もいけ好かないぜ。

 ”――最後。第三の理由は?”
 正直に言うと、これが一番の理由だが……。
 橘のしでかした一件――二年前の朝比奈さん誘拐事件――が、気に喰わない。
 あの一件のせいで、『組織』に対する信頼感は一気にマイナス反転したと言っても過言じゃない。どれだけ俺の感情を激昂させたか、解ってるのか、あいつらは?
 一応断りだけは入れておくが、俺がここまで怒っているのは、誘拐したのが朝比奈さんだったから……と言う意味ではない。
 もちろんそれも十分俺を怒らせるのに十分過ぎる理由なのだが、例え誘拐されたのがハルヒだったり長門だったり俺の妹だったり……極端な話、谷口だったとしても俺は『組織』を許せない。
 なに、至極簡単なことだ。『ミライノユウイセイ』とか言うふざけた理由で人間を駒のように扱う奴らにホイホイついていくほどバカじゃないんだよ。
 三つの理由、全てに共通することだが、奴らは自分達の利益に目を奪われ、他人のことなど省みてないんだ。そんな奴の力などになってやる道理も義理も無い。こんな奴らと手を組んだところで、捨て駒扱いが関の山だ。

 ――では、橘京子は、お前にとってどんな存在なのだ?
 橘京子、それは……――。

 ………
 ……
 …

「――橘京子は、ついに化け物の本性を現した!」
「……あの」
「そう。九曜の異次元攻撃を長門が防御し、藤原の時間上書き攻撃は朝比奈さん(大)の参戦で無力化。そして古泉の赤玉アタックに耐え切れず……ついに橘は本性――エイリアンの本性を見せたのだ!」
「…………あの」
「俺は閉鎖空間を持つ二人の女性を説得し、力を統一、融合させた。さしものエイリアンもその攻撃には耐えられず、斯くして橘京子の存在は俺たちの友情と愛情と勇気の前に滅び去った……」
「…………あのっ!!」
 ん、どうした、橘。
「なんですか、その妄想話はっ!」
 言うや否や、橘からのびる腕が俺の脳天を直撃した。いわゆる手刀ってやつだ。因みに全然痛くない。
「あたしがいつエイリアンになったんですかっ!!」
「新手の創作話だ。こうなったら世界は万々歳だろ?」
「あたしを消滅させてどこが万々歳なのですか!」
 いやあ、まあ。
「どうせ転校して消える運命にあるし、どうでもいいかな、と思って」
「うわぁぁぁあぁぁあぁん!! キョンくんがいぢめるぅ~!!!」


 北口駅前に広がる、アーケードでのこと。
 元々方向性の決まっていないデートだから何をするでもなくほけけーっとしていた俺たちが行っていたのは、今後の展開を見据えた計画的展開の取り決め――言い換えると単なる妄想――だった。もっと言うと、ただの世間話に他ならない。
 せっかくのデートだと言うのにただただくっちゃべっているのもどうかと思うんだが、さりとて何かしらのイベントに参加する必要もない。
 公園のベンチに腰掛け、時を忘れて愛を語り合う――なんていうのも、デートの楽しみ方の一つでろう。ただ、橘が相手だと愛を語る雰囲気にもならず、からかって遊ぶのが丁度いいと思われるのだが。
 それにな、先ほど屋台で買ったお好み焼き(ブタコマそば大盛り)を平らげたせいか、ほっぺにソースがついているのも十二分に気になる。ムードなんて無いに等しい。
「色気より喰い気でしょ、やっぱり」
 満足そうに頷いた。時折見せる前歯に青ノリがくっついているのが見えてさらにへこんだ。
 そうそう、橘がエイリアンに見えたのは前歯についた青ノリがどうしようもなく化け物を彷彿とさせたからであり、ある意味俺の妄想話は橘が根本的原因であると言っても差し支えない。
 つまりは自業自得って奴だ。これも何度となく橘に説明したんだがおよそ理解するそぶりは一向にみられない。
「全く、困ったものです」
「似てないっ」
 またしても水平チョップが俺の頭を直撃した。「いったーい! 何するんですかぁ!!」
「あ、あたしのモノマネしないでくださいっ!」
 どうやら誰のモノマネか把握したらしく、それ故俺は口を笑みの形に変更して言ってやった。
「どうだ、結構似てるだろ?」
「……客観的に見るとかなりイタイですね。演技でよくやってたんですけど」
 解ったんなら自重しろよ。こんなんだからハルヒも佐々木も色々がっかりしてるんだろうからな。
「心に留めておきます」
 ふう、と残念そうなそうでもないような微妙な溜息をついた。
「もう少し演技力あると思ったんだけどな、あたし」
 橘の言う演技力とは、自分がいかにも空気を読んでないかのごとく振舞い、辺りに迷惑千万をかけまくるものだった。てっきり地の性格だと思い込んでいたのだが、なかなかどうして。俺も佐々木も、そしてハルヒですら見破れなかったわけだ。
 長門や九曜なら元々知っていたかもしれないが、あいつらは自発的発言が皆無だから俺が聞くまで何も答えてくれんしな。
 朝比奈さんは本気で気付かないだろうし、古泉辺りはベラベラ喋ってくれそうだが今まで黙ってたのを見ると知らなかったのか、或いは……。
 ……ま、橘のKY行動が演技か本気かはこの際どうだっていいことである。
「最後のお別れで、散々泣いて皆さんの同情を買おうと思ってたのですが、やっぱり無理ですかね?」
 無理だろうな、多分……あ、いや。訂正しよう。きっと皆泣いてくれるはずさ。
「本当ですか? そしたら嬉しいな」
「橘がいなくなった事を泣いて喜んでくれるはずさ」
「……い「いじわる」」
「…………」
 俺のモノマネに先手を取られた橘は、口をパクつかせながらジト目な表情を送りつづけていた。

「そう言えば、転校っていつころなんだ? 一週間後くらいか?」
 ふと、そんな疑問が湧きあがって質問してみた。転校の話が上がったのは聞いたとおりだが、いつなのかはまだ聞いてなかったからだ。
 俺の質問に対し、橘はやや目を背けて、
「正式には決まってないですが、早ければ早いほどいいと思います。遅くてもあと二、三日中。早ければ…………今夜にでも」
 聞いて少し驚いた。まさかそんなに早く俺たちの前から姿を消すとは思っていなかったからである。「そりゃ、また。急だな」
「そりゃそうですよ。あたし達だっていつ自分達が消滅するかわからないんですから」
「消滅? なんだそれ?」
 俺が顔中にクエスチョンマークを貼り付けていると、橘は幾分怒ったような感じで口を開いた。
「あたしが今日最初に言ったこと、聞いてなかったんですか?」
 佐々木の閉鎖空間が消滅するから、自分達の仕事が無くなって……。
「そこじゃありません。そのあとです」
 ええと、何だったかな。
「閉鎖空間が消滅したら、あたし達の存在そのもが消えてしまうって言ったじゃないですか」
「……あ!」
 思い出した。
 長門と九曜が放った一言と、そこにハルヒと佐々木が乱入してよく解らんカオス状態なったからそっちのインパクトが強くて記憶を辺境の彼方へと押しやっていたのだが、確かにそんな事を言っていた。
「覚えてなかったんですね……」
 再びジト目で睨み返す。いや、まあ。「すまん」
「……まあ、いいです」
 以外にもスンナリ事を納めたツインテールは、
「九曜さんたち、転校って仰いましたしね……それに実際、『組織』に関わった人たち全員、立つ鳥跡後を濁さずの如く浮世からスッと身を引くことに決めていました」
 もちろんあたしもですよ、と注釈した後、
「九曜さんたちがあまりにもピンポイントな発言をしたせいでこんなことになってしまいましたが……確かに身を引く時期を申し上げていませんでした、ごめんなさい。あたしはいなくなりますが、後はよろしくお願いします」
 何故かおじぎを繰り返した。潔くも晴れ晴れとしたその表情に、俺の方が戸惑った。
「もう少し先延ばしすることはできないのか? 例えば佐々木に言って少し待ってもらうとか」
 我ながら本末転倒な意見である。もちろん橘にも同じツッコミが入った。
「あたし達の望みは、佐々木さんの精神安定化です。佐々木さんの機嫌を損ねれば閉鎖空間の拡大は見込めるかもしれませんが、はっきり言ってナンセンスです」
 だよなあ。
「それに下手に刺激した場合、佐々木さんの閉鎖空間にまたあの巨人どもが復活するやもしれません。前回こそ大事の前の小事でことすみましたが、そうなった場合二人がケンカすることだけはなんとしても避けなければいけません」
「うーむ」、と頭を捻った。
 閉鎖空間が消滅する方向と拡大する方向。どちらに転んでもあまり良い未来は待っていない。そう言った意味では現状維持が一番好ましいのだが……しかし、橘が転校するって言っちゃったからな。あ、いや。
「転校取りやめになったとか、無理か?」
「別に無理じゃないですけど、閉鎖空間が消滅の方向に進むっていう事実は変わりません」
 そう言えば、そうだな。
「なら、どうすれば……」
「いいんです。あたしが人知れず消えればそれで解決する話なのです」
 ポツンと発した橘の言葉は、かなり寂しげだった。
「徒に閉鎖空間を広げても、決して良いことはありません。以前佐々木さんが引き起こした力でそれはわかったことです」
 以前佐々木が引き起こした事件……それは、ハルヒの力を利用して、世界を改変させたあの事件のことであろう。
「あの時はあたしの分身が暴れまくっていましたが、今回はあたしが消えるだけです。それで世界が救われるのなら本望です」
 橘、解ってるのか? お前は消滅するのかも知れないんだぞ?
「『かも知れない』だけです。佐々木さんが慈悲深ければ消滅そのものは免れる可能性もあります。もしかしたら今と何も変わらず生活できるかも。……うん、楽観論ですが」
 気を落とした風でもなく、しかし釈然としない風体で、
「それで、いいじゃないですか。あたしって言うKY女が消えたら、皆さんすっきりすると思いますよ?」
『違う。そうじゃない』
 俺がそう答えようとした瞬間、
「…………ん?」
「どうした、橘?」
「今、茂みの奥に誰かいたような……?」
 言われて振り返る。しかし物音どころか誰かがいる気配すら感じられない。
「気のせい、かな……?」
 ああ、そうに違いない。色々ストレスやらが溜まって神経がビンビンに張り詰めているから誤動作を繰り返したんだろう。
「……うん、そうかも知れません。ここんところあまり眠れませんでしたし……」
 最後くらいストレスは完全に解消しようぜ。溜め込むのは良くないってどこぞの神様も言ってたしな。そうだ、お前の好きなケーキバイキングにでも行くか?
「ええっ! ほ、本当ですか!? 男に二言はないですよね!?」
 もちろん。
「キャー! キョンくんかっこいい!!」
 かっこいい、か。こんな奴にでも、言われると満更じゃない言葉である。
「当然おごってくれるんですよね?」
「当然……あ。いや。今月はピンチだったから割り勘な」
「……かっこわる…………」


 ……と、惜別の代償としてはやけにあっさりとしたモノでかたを済ますことになった橘京子であったが、それはそれ。
 より大きな代償は彼女自身に……いや、俺自身ににも災いの粉として降りかかってくるのである。


 ポップコーンやクレープ、豚こまにケーキと、およそ喰い合わせの悪いものばかりを口にする栗毛だったが、これから先好きなものを喰うことができなくなるならば好きなものを喰わせてあげたいと思う心情は誰にだってあるだろう。
 だからと言って俺も付き添って喰う必要もないのだが、建前上俺たちはデートとなっているのでカップルで同じモノを喰うのは当
然であり、仕方の無いことでもある。
 しかし……見事に炭水化物ばっかりだな。いくら喰い盛りとはいえ、こうも偏食していれば健康によろしくない。野菜か、せめて果物を頬張りたいところではある。
「ああ、それならこっち。にんじんケーキとほうれん草ケーキ、それにベリーたっぷりにタルトがありますよっ♪」
 グラス越しに並べられたケーキたちをしかっと凝視し、オフサイドトラップにも屈しない敏腕フォワードの如く攻めの攻勢にはいっていた。
 俺はといえば、これが本当に自分の存在が消滅しかかっているやつのしでかす行動とは到底思えず、完全にネジが緩みまくっているコイツに規定トルク以上の負荷をかけようかどうしようか悩んでいる。
「はへ? はへなひんれふか?」
 ミルフィーユにマカロンにモンブラン。味も触感も異なる三つのケーキを共喰いする大口ツインテールは、
「はへはいんはらはへはすほ?」
 俺が苦労して持ってきた銘菓堂○ロール(一日十個限定品)を取り上げ、さらりと口の中に入れた。
「あー!! 馬鹿っ! 最後のとっておきに残してたやつをっ! 許せん!!」
「ひいっ!」
 手を上げようとした、まさにその瞬間、
「ここにいましたかっ!?」
 ――古泉!?
「どうしたんだ? こんなところで?」
「どうしたもこうしたもありません、緊急事態が発生しました」
 クールでニヒルが心情のエスパー少年は、いつになく焦りと苛立ちの表情を惜しげも無く浮かべていた。
「これは有史以来……厳密に言えば、涼宮さんが力を授かった、もうすぐ六年となろう歴史の中においてですが……失礼、回りくどい言い方はやめます。ともかく、僕達の存続に関わるくらい大きな出来事です」
 またあいつが世界を創り変えようとか、そんなことを考えているって言うのか?
 呆れた口調で言い放つ俺に、古泉は首を横に振った。「いいえ。そんな生易しいものではありません」
 じゃあ、何だというのだ? 世界を再構築どころか、消滅しかかっているとか?
「何故、ご存知なのですか?」
 俺の投げやり気味な吹聴に、マジマジと答えた。っておい、本気か?
「強ち、嘘とも言い切れません」掠れた声を気にも留めず、古泉は声を絞り出した。「なぜならば、恐らく……」
 恐らく、どうした?
「恐らく……閉鎖空間が、消滅してしまいました」
 …………。
『はあっ!? 』
 思わず間の抜けた返事を返すのは、もちろん俺と、
「おや、橘さん。あなたもいらっしゃったんですか」
「いたら悪いんですか?」
「いいえ、そう言うわけではありません。こちらが気付かなかっただけです。申し訳ありません」
 本当に気付いてなかったのか、古泉は平謝りだった。
「……いや、寧ろ好都合です。協力してください」
 生き別れになった姉を見つけた流浪少年のような眼差しで、
「あなた方にも力になってもらった方が良いでしょう。それほど事態は急を要しているのですから。それに、未来への可能性は後に優位性へと発展するかもしれません」
「昨日の敵は明日の友、ってわけですか」
 俺には古泉が何を言っているのか解らなかったが、橘には何を言ってるのか解ったようで、二人はロミオとジュリエットを演じるような仕草で見つめあい、そして、
「わかりました、古泉さん。協力しましょう」
 いつものヘタレ具合を見せることなく、橘は真剣な眼差しを古泉にぶつけた。
「それで、ハルヒの閉鎖空間が消滅したって……どういうことだ? 一体何がおきたって言うんだ?」
 ここでようやく俺が間に入る。古泉もそう来ると解ったのか、即座に俺の方を振り向いた。
「詳しいことは解りません。消滅したと言う語彙にも語弊が生じるかもしれません。ですが、今は『消滅』と言う言葉を使うのが一番適していると思われます」
「お前達が例の巨人を倒して、それで閉鎖空間が消滅した……ってのと何が違うんだ?」
「そうですね……より厳密に言うと、それは受動的な消滅。僕達が作用して結果消滅したものです。言い換えるなら、『崩壊』や、『破壊』と申し上げた方がニュアンスが伝わるかと思われます。ですが、今回の『消滅』は能動的と言いましょうか……」
 なんとも言いにくそうな口調で、しかし何かに気付いたのか、
「……あなたが五年前、当時の世界にウンザリした涼宮さんと共に新世界に渡ったあの時のこと、覚えていますか?」
 突如、思い出したくもない昔話を穿り返してきた。「ああ、一応な」
「その際、あなたはどうやってこちらの世界に戻ってこられたか、言い表せますか? ああ、方法ではなく状態です。あちらの世界がどう変化してこちらの世界に繋がり、そして自分の部屋に戻ったか、です」
「そんなの覚えているわけがない」
 第一あの時、ああ言った行動をする時には目を瞑るのが礼儀だろうと思ってたから目を瞑ったまま何にも見えなかったし、次に気がついたらベッドからずり落ちてたし。
「僕達も、まるで同じような経験でした」と古泉。
「今から少し前、突如現れた閉鎖空間に赴き、そこに蔓延る『神人』を撃破しようと奮戦していたのですが……気がついたら、閉鎖空間に入る前の場所に突っ立っていたのです。僕だけではありません。共に戦っていた同胞もまた、です」
 なるほど、だから閉鎖空間が勝手に消滅したと。
「ええ。崩壊した様子もなく、突然フェードアウトしたわけです」
 一応聞いておくが、実は『神人』を倒したってわけじゃないんだな?
「いいえ。ある程度ダメージを負わせたのは確かですが、完全に倒すのにはまだ程遠いダメージでした」
 何かの手違いで一時的に閉鎖空間の外へと放り出された、ってセンは?
「その可能性もありますが、それならば閉鎖空間は存在しつづけるはずですし、僕達『機関』のものにとって閉鎖空間の存在を知ることは容易いことです。もういちど侵入することも可能です」
 ……ん?
「ですが今回、あたかも消滅したかのように、閉鎖空間に入ることができなくなりました。もしかしたら涼宮さんの深層心理に誰の侵入をも許さないバリアでも張ったのかもしれませんが……それを確かめる術がありませんでした」
 古泉の言葉に若干の疑問を抱きつつ、
「それで、俺たちはどうすればいい?」
「先ず、原因の切り分けが必要です。閉鎖空間の消滅か、それとも閉鎖空間へのアクセスの完全遮断か。もう一度試します。閉鎖空間が消滅したと思われる地点で本当に侵入が不可能なのかどうなのか、を」
 あれか? 前回みたく皆の力を結集して、ってやつか?
「いいえ。それは既に試しました。……結果は不発です。しかし、あなたを軸にしてアクセスすれば或いは……。最も、あなたがこの時点で閉鎖空間に侵入していない時点で望み薄ではありますが」
 しかし、やってみるしかないだろう。
「そのとおりです。そして、」くるりと右向き半回転、今まで黙っていた橘の方へと目を向けた。
「橘さんには、佐々木さんの閉鎖空間の方へ言ってもらおうと思います。涼宮さんと、同じ現象が起きてないかどうかを確認するために」
「なるほど、わかりました。佐々木さんの方は任せてください」いつになく鷹揚に頷いた。
「と言うわけですので、ここで別れましょう」
 やれやれ。これで橘とのマヌケな付き合いとも解放されるぜ。
「マヌケとはなんですか、マヌケとは!」
 突っ込むくらいなら自分の我が身を振り返って欲しい。今日のデートでどれだけKYな行動したのか。
「うわぁぁぁ~ん! 古泉さーん! キョンくんがいぢめるぅ~!!」
「おー、よしよし。それはお気の毒です。今回は僕達の都合を飲んでくださったし、今度『機関』協力の下、セッティングしして差し上げましょうよ」
「本当ですか! やったぁ!」
 あいかわらずいつものノリで橘は……って、あれ?
「おや、どうかしましたか?」
「あ……いや、お前達、いがみ合ってる割に意外と仲いいのな」
 犬猿の仲……いや、オツムの程度から散々見下していた『橘京子』に対して、あそこまでできるなんて。
「どちらかが上とか下とか、悠長に語っている場合ではないですから。お互い信じる神の行く末を憂い、方向性を正そうとするために行動しているに過ぎません。今回は、バラバラに行動するよりも、互いに手を取り合って行動すべきと判断したまでです」
 そうかい、たいした判断力だよ。
「または、」目の前にかかった髪を爪弾きながら、「涼宮さんと佐々木さん。二人が仲良くなったからかもしれませんね」
「なるほど、そうかもしれません」こちらは橘。「九曜さんと長門さんが仲良くなったのと同じ理由ですね」
 そうなのか?
「お互い元々は意思疎通すらできない存在でしたもの。それが一緒に行動するくらいにまで仲良くなったのは、二人の神様が仲良く手を取り合ってきたからに違いないでしょう」
 確かに、ハルヒと佐々木の仲はある事件をきっかけにして交流を増していった。俺にとっては別に構わないことだったが、しかしこの二人は……おい、ちょっと待て。
「よく考えたらお前ら、最初は二人の仲が良くなることを懸念してなかったか?」
 俺の至極当然な疑問に、えへんと咳をついた橘が口を開く。
「それはそうですけど、あくまで可能性でしたから。確かに色々と事件はありましたけど、今となっては杞憂で終わらせることが出来たと思います。よかったのです」
 杞憂、ねえ。散々ハルヒと佐々木を引っ掻き回して何度も世界を破滅に導いたお前が言える立場じゃないと思うんだが。
「ぐ……終わったことをネチネチと……ひつこい人は嫌われますよっ」
「大丈夫だ。存在そのものが消えてしまうかもしれない奴に何言われても記憶の角にすら残らんだろ」
「ひ、ひっどーい! こんな時こそ慰めてくれると思ったのに、空気を読まない数々の発言!」
「だからお前が言うなっ!」
「申し訳ないですが、バカップルの痴話ゲンカはそろそろお開きにしていただきたいのですが……」
「誰がバカップルだっ!!」「誰がバカップルよっ!!」
「…………」


 見ての通り、何時もどおりのおバカ会話かつおバカ談義に花を咲かせる俺たちだったが、事態は決してよい方向には向いてくれなかった。
 それどころか、更なる深みに嵌ろうとは……。


 消滅したと思われる閉鎖空間に侵入するため(消滅したのに侵入ってなんかおかしいな)、俺と古泉はある場所――閉鎖空間が消滅した際に戻された、現実世界のデパートの屋上――にまでやってきた。
 このデパートの屋上、イベントショーのための特設会場が設置されているが、平日のためだろうか、人っ子一人いなかった。異空間に旅立つ俺にとって、見送りが誰もいないのはやや寂しくも感じられたが、『機関』にとっては目撃者は少ない方がいいだろう。
 あるいは、『機関』の手で無理矢理閉鎖されているのかも知れない。
 そんな戯れ言はさておき。
 古泉が言うには、ここから閉鎖空間へと侵入し、『神人』とのバトルを繰り広げて、そして再びこの場所へと戻されたのだという。
「どうですか? 何か感じ取れますか?」
 俺に解るわけが無かろう。
「それもそうですね」
 思ったよりも気軽な口調で、古泉は耳にかかった髪を払いのけた。
「それでは、今からあなたを閉鎖空間にご案内差し上げます。僕の手を取って、目を閉じてください」
 ああ、と言おうとしてふと思った。
「さっきの話だと、お前一人の力で閉鎖空間に入れるわけじゃないんだろ。どうする気だ?」
「皆さんの力をお借りします。『機関』の皆さんの、ね」
「誰もいないじゃないか」
「別にこの場に居る必要はないですからね。と言うか、力を存分に発揮するために、各自最適な場所でスタンバイをしています」
 そう言うものなのか。
「そう言うものです。さ、手を」
 わかったよ。
 こいつと手をつなぐのはもう何度目だろうか。俺よりも大きく、しかし柔らかい感触が俺の指先を包み込んだ。これが男だと思うとげんなり感が拡大するのでこれ以上は無心でその場に立つ。
「あ、そうそう。一つ注意事項があります。閉鎖空間が通常の方法で入れないため、少し荒っぽい侵入を致します。そのためいつもと違って衝撃が大きいかも知れませんがご了承頂きたい」
 荒い運転は新川さんのカーチェイスか、朝比奈さんの時間移動で慣れている。多分だが問題ないはずだ。
「それでは……」
 俺の手を引っ張るようにして、古泉は足を前に進めた。目を瞑ったままの俺も、一歩二歩と歩み、そして――。

 ………
 ……
 …

「やはり、駄目でしたか」
 古泉の声を合図にして、俺は閉じていた瞼を開いた。最初に見えたのは、苦悶する古泉の表情。
「入れないってことか?」
「はい。ですがこれで原因の切り分けができました。閉鎖空間は存在しているのに入れなくなったわけではない。消滅してしまったと捕らえるべきでしょう」
 結論が出たと言うのに、何故か古泉の表情はスッキリとしていない。
「当然です。確かに閉鎖空間はもう存在しないと、ハッキリ解りました。ですが、そうなった経緯は何も解っておりません。つまり、下手をしたらまた同じことが繰り返されるかもしれないのです」
 閉鎖空間が消滅しただけだろ。問題になるようなことがあるのか?
「解りません。ですが、こんなこと今まで一度も無かったことです。何かの前触れ出なければ良いのですが……」
 古泉は顎に手を当て、一頻り唸ったところで再び俺の方を向いた。
「それにもうひとつ、おかしいところがあります。以前僕は閉鎖空間の存在が『解ってしまう』と評したことがあると思います。覚えていらっしゃるでしょうか?」
 ああ。あれほど都合の良い言葉はなかったからな。俺ももっと利用することにするよ。例えば、学校の宿題とか。
 俺がそういうと、古泉はふっと軽く笑みをこぼし、
「それはどうも……さて、閉鎖空間の件ですが、今の実験で閉鎖空間は消滅しているだろうと結論付けることができました。しかし、僕の内心ではどうしてもその結論を飲むことができません。何故だかわかりますか?」
 こんな時古泉の『解ってしまう』能力が使えれば、こいつの変に回りくどい説明を受けなくて済むんだが、やはり俺の中ではまだまだうまく使いこなせないため、辟易とした表情でこう聞くことになる。
「解らん。言ってみろ」
「閉鎖空間はまだ存在している。そう『解ってしまった』からです。自分の心情では閉鎖空間は在るとしながら、実際には存在しない。その矛盾が僕の心を更に苛んでいるんです」
 つまり、何だ。あれだけ検証しながら、閉鎖空間はまだ存在していると言うのか?
「恐らく……」
 ここ最近ずっと自信無げに振舞っていた古泉は、今回もまた弱気な返答を送り込んだ。
「しかし、僕達ではこれ以上どうすることも出来ません。不甲斐ないですが、あとは橘さんの吉報を待つしかないでしょう」
「そうだな……だが、あいつの方も大変だろうな。佐々木の閉鎖空間が消滅しかかっているって言ってたし」
 俺の何気ないボヤキに、古泉が食いついた。
「それはどういうことですか? 僕の情報網ではそんな噂、聞いたことがありません」
 そういやこいつは知らなかったんだな。佐々木の深層心理に何かしらの作用があったことを。
 もしかしたらハルヒの閉鎖空間消失と関係があるかもしれないと思った俺は、今朝橘に聞かれたとおりの話を古泉にしてやった。
 閉鎖空間の縮小。それに伴う能力の消失、自我の消失、存在の消失……。ある程度掻い摘んで話したが、話の筋は通したつもりだ。
 俺の話に茶化すことなく、ただただ「うんうん」と頷く古泉。暫くして、
「なるほど……確かに、今回の閉鎖空間の異常と関連がありそうです。こちらは消失、そして向こうは縮小。程度は異なれど、閉鎖空間が収束する方向で動いているようです」
 閉鎖空間の消滅は、お前らにとってはいいことじゃないのか?
「発生しなくなると言うならそれに越したことはありません。ですが、何の前触れもなく消滅したり縮小するのはいささか問題ありでしょう。何故かと言われれば、簡単です。普通じゃないからです」

 古泉は言った。
 以前、閉鎖空間発生と消滅(崩壊)のプロセスについては以前説明したと思います。涼宮さんの場合、何かしら嫌なことがあって心に負の感情を高めることによって発生し、その中で鬱憤を晴らすべく巨人が暴れまくると言うもの。
 この破壊活動によって閉鎖空間は拡大し、やがて全世界を覆ってしまうのも以前申し上げたとおりです。
 この空間を消滅させるのはただ一つ。閉鎖空間の核となっている巨人を倒すこと。
 そして、この巨人を倒す能力を与えられたのは、僕達『機関』の――超能力のみ。つまり、僕達がが果敢に戦った結果、閉鎖空間は初めて収束するわけです。単発の閉鎖空間が自発的に消滅、あるいは縮小の方向に進むのはありえません。
 例えるなら……大量の水の中に一滴のインクを落とすとしましょう。そのまま放っておけば、自ずとインクは拡散します。物理的化学的作用を与えなくても、です。
 しかし、逆はどうでしょう。拡散したインクは、水の中のどこか一箇所に集まって再び一滴のインクになることはありません。あり得ません。何かしらの物理的化学的作用が無い限り、このようなことにはならないのです。
 秩序あるものは、無秩序な方向へと進む。このような自然現象をエントロピー増大の法則といいますが、これと同じことが閉鎖空間でも起きているんです。
「待て。閉鎖空間はお前達の力によって収束するんだろ? その力も自然現象の一つと捉えるなら、秩序と無秩序は可逆的変化をするることになるぞ」
 俺の素朴な疑問に、
「確かに僕達の力によって閉鎖空間は収束します。ですが、それは僕達が力を――言い換えるならエントロピーを増大させることによって閉鎖空間を収束させるのです。系全体からしたらエントロピーは確かに増大の方向に向かっています」
 俺がアホみたいな顔をしたせいか、古泉は顔を緩めてさらに解説した。大体、以下のような意味である。
『古泉達が能力を行使することにより、『神人』を切り刻むエネルギーを閉鎖空間全体に放出する。そしてそのために、体に貯めてた熱を放出し、熱を冷やすために汗を放出し、汗は汚れとなって系全体に広がる』
 つまり、無秩序――この場合、系全体に広がった熱や汗や汚れのこと――は増大し、即ちエントロピーの増加を意味する。
「これだけのエントロピーを操作できる人物――いえ、ヒトではないかもしれませんが、ともかくそんな存在は、ザラにいるとは思えません」
 得意げな顔の少年は、メガネもしていないのに鼻筋を人差し指でなぞった。
「誰かがハルヒ達の能力に干渉しているとでも言うのか?」
 俺の論に対し、古泉は「はい」と言った。
「可能性は三つあります。まず一つ目、より巨視的な存在が涼宮さんの閉鎖空間を統率している。以前にも指摘したかもしれませんが、神の如き力を、『誰か』が涼宮さんに付与した。その『誰か』――つまり本物の神様――が動き出した可能性です」
 スケールが大きい割には地味なことしかしてないな。俺が正直な感想を言うと、
「力加減が不安定か、或いは大事にする気がないのか……それは本人でなければ解りません。最も、そこまで巨視的な力が作用されるとなれば、目に見えて変化が現れるはずです。そのうち。もしそうなったら、」
 フッと、能天気に笑って、
「それこそお手上げです。僕達の手でどうなるものじゃありません」
 さして重要事項ではないのか、サラリと話を流した。
「そして二つ目。涼宮さんと対等な力……佐々木さんの身に、何かあった。しかしこちらも閉鎖空間が縮小傾向ということで、寧ろ被害を受けていると考えるのが正しく、彼女がその因を発したわけではないと思われます。最後に、三つ目」
 古泉は右手を口の横へと持っていき、俺に耳を寄せるよう指示した。どうやらあまり大きな声で言いたくはないらしい。
『三つ目。これが一番可能性が高そうなのですが……』
 ここまで言って、辺りを何度か見渡し、恐る恐るその言葉を吐き出した。
『TFEI端末の親玉……情報統合思念体が、ついに動きを見せた。我々はそう考えています』
 また突拍子もない発言だな。長門や九曜だって動きは見せてないぞ。
『思い出してください。あなたと橘さんをデートに仕向けたのは誰だったか』
 言われて短期記憶を呼び起こす。間違いなく長門と九曜だ。
『そうでしょう。恐らく二人のデートをきっかけとすることで、二人の閉鎖空間と『神人』を発生させたのでしょう。そして試したのです。のっとりが可能かどうか』
 ……何故、のっとる必要がある?
『宇宙人の真の目的は、涼宮さんから発せられる情報の解析です。そして、その情報発生源が閉鎖空間であり、そのコアである『神人』なのです』
 閉鎖空間を自由に操ることで、涼宮さんから無尽蔵に溢れ出る情報から自分達に必要な情報のみを抽出しようと企んでいるのでしょう。閉鎖空間の消滅は、自分達に必要のない部分だから無理矢理消去してしまったのではないでしょうか。
 しかし、溢れ出る情報の消去に慣れてない宇宙人は情報を完全に消すことができず、我々にはまだ存在があると勘違いしてしまったのでは――?
「これが、僕の今の意見です」
 口を離し、元のヤサ男の口調で語った。
「お前の意見が正しいにしても、」俺は寧ろ逆に言い寄る。「何故今なんだ? もっといい時期があるだろう」
「むしろ、今が一番最適な時でしょう。橘さんを利用することができましたから。閉鎖空間を量産するにはもってこいの流れです」
 しかし……いや、だとしたら。
「橘はどうなるんだ? あいつは佐々木の閉鎖空間に行ったんだぞ。大丈夫なのか?」
「涼宮さんと佐々木さんとでは閉鎖空間作製のプロセスが異なるようですので、厳密なことは言えませんが」と注釈して、「恐らく大丈夫でしょう」といった。
「どうして?」
「我々は閉鎖空間が消滅したのにも関わらずそこを追い出されただけです。消滅の要素がない佐々木さんの閉鎖空間ならばそれこそ命を落とすような心配はないですよ」
 だといいが……。
「もし仮に閉鎖空間が思念体によって消滅させられた場合、お前達の存在意義はどうなる?」
「さて、どうなるんでしょう。我々の能力だけが消えるのか、それとも存在自身が消えてしまうのか。検討もつきません」
「そうか……」
「さ、ここでぼやいてても問題解決にはなりません。橘さんの方を手伝おうじゃありませんか。恒常的に存在している閉鎖空間だから、こちらは間違いなく閉鎖空間に侵入できると思います。そして、」
 問題解決の糸口も、そこで見つかると?
「仰るとおりです」
 喉を鳴らしながら肯定する笑顔が嫌らしく思えた。
「橘さんが向かった先は先ほど聞いておきました。今すぐ行けば間に合うでしょう」
 用意のいい奴だな、お前は。
 俺がそう言うと、喉を鳴らす音が一段と高くなった。


 こうして、俺たちは侵入しようとも侵入できなかったハルヒの閉鎖空間から身を引き、橘が向かったとされる閉鎖空間の方へと足を進め……そしてついに、元凶が明らかとなる。


 橘が向かったとされる場所。それは本日俺たちが集合した駅前の喫茶店だった。本人が言うにはここに閉鎖空間が発生しているとのことだ。
 そう言えば、橘に連れられ初めて佐々木の閉鎖空間に入ったのもここの喫茶店からだった気がする。佐々木の閉鎖空間はここの場所に常駐しているのだろうか。
「恐らくそうでしょう」と古泉。「涼宮さんの閉鎖空間の場合、生成と消滅をそれぞれ異なる場所で繰り返しているため入り口は毎回異なります。しかし佐々木さんの閉鎖空間がずっとその場で固定しているなら、入り口は毎回同じと考えてよいでしょう」
 偉そうに解説を付け加える癖だけは何とかして欲しい。
「僕では佐々木さんの閉鎖空間に侵入することはできません。ささ、早く喫茶店に入り橘さんを呼び戻すことにしましょう」
 既に閉鎖空間に侵入しているであろう橘をどうやって呼び戻すのかは甚だ疑問であったが、そこは超能力者同士、不思議なシンパティでも働いているのだろうと妄想することでこの場は凌いだ。
 カシャン。
 来店を告げる鐘の音がそう広くない店舗内に響き渡る。来客に気付いたのはもちろん店員さんの、
「いらっしゃいませ。お二人様でしょうか?」
 もとい、喜緑さんだった。大学生になったせいか、堂々とバイトをしているようで、俺達二人を見ても何一つ動揺せず微笑み返していた。まあ最も、このお方はいつもこんな感じで笑っているから本心を読み取るのはかなり大変だろうが。
 因みにもう一点。今朝この喫茶店で喜緑さんを見なかったは……バイトのシフトが午後からだったためであろう、多分。
「あの、橘、見ませんでしたか?」
「橘さん……? ああ、あの不埒女ですか? いえ、こちらには来てませんが。それよりまだ生きてたんですね。あれだけ痛めつけてやったのに」
 柔らかな笑みをふんだんに晒しながら、怖いことを言う臨時雇いのウェイトレス。そういや、今年の元旦に散々迷惑かけてたからな、橘は。
 一体どんな風に痛めつけたのか聞いたい挙動にかられたが、そんなことをしている場合じゃない事は良くわかっているのでグッと堪えていると、
「では、彼女がどこに言ったかご存知ないのですか? あなたならご存知かと思ったんですが」
 俺の代わりに古泉が口を開いた。
「ええ」と、微笑が眩しい喜緑さんは更にはにかんだ。「でも、わたしが彼女の所在を存じ上げている理由がよく解りません」
「そうですか。あなた達のことですから、既に実力行使に移ったかと」
 古泉も負けじと笑みを絶やさなかった。こいつがここまで強気なのは、先ほどの彼自身が発言した言い分に起因しているのだろう。下手をしたら閉鎖空間での覇権を宇宙人側に取られかねない。それを阻止するための虚勢とでも言うべきか。
 二人の睨み合い――というか、微笑み合い――は、電動ケトルが沸騰に必要な時間を既に超え、そこからカップラーメンを作るのに必要な時間をも超え、そして食べ終わろうかって時間までかかった気がする。
 もしかしたらそれほど長い時間はかかってないかもしれないが、二人の笑みを一身に受けている俺にとって、ウラシマ効果が発動し時間が遅く感じらたことを否定する要素がないのでそれだけの時間がかかったことにし、何とか他の話題がないかと模索した結果、
 カシャン。
 喫茶店の入り口が、再び音を鳴らした。
「ここ、に…………いやがった…………か…………」
 ――藤原!?

 そう。
 先ほどから俺たちを付け回していた……そして、ハルヒと佐々木と一緒に行動していた、藤原である。
 見るからにフラフラと寄りかかる藤原に手をかけようとして、
「ぼ、僕の……ことは、どうだっていい……」
 手を振り解いた。こんな状態になっても過去の人間に手を借りようとはしない姿勢は、立派と言えば立派だが、そんなことを言ってる場合じゃない。
 無理矢理手を引き、喫茶店の椅子に座らせた。息切れが酷い。余程の力を使ったのだろうか?
「あら、お客様」
 藤原が座ったテーブルの前に、コトンとコップを置いた元書記で現ウェイトレスは、
「先ほどもいらっしゃいましたよね?」
 藤原は答えない。答えるほど息が整っていない。
「喜緑さん、コイツがここに来てたって……」
「ええ。一時間ほど前でしょうか。お嬢さんお二人を連れ添ってここで。そうそう、うちお一人は涼宮さんでしたね。暫くこちらに滞在した後、こちらの男性の方と、もう一方の涼宮さんじゃない方のお嬢さんと一緒に出て行かれましたが」
 なんだ、それは? 
「ハルヒは……ハルヒは、どうしたんですか?」
「何か叫びながらお二人の後をついていきましたが」
 ますます解らん。何をしてたんだこいつは?
「おい、藤原、お前何を知ってる!?」
「…………つは…………こ、だ…………?」
 ますます弱くなる声。本当に一体、どうしたんだコイツは?
「あい……つ…………は…………橘は…………どこ…………だ…………」
 佐々木の閉鎖空間に向かったはずだ。
 俺がそう言うと、藤原の口先が緩むのが見えた。笑ってるのか?
「なら………………いい……………だが、…………お前も……………………行け……………………早く………………………………さ…………空間…………行け……………………間にあ……………………」
 しっかりしろ!
「…………」
 ――気を失った!?
「ええい、こんな時に」
 などと毒づいている場合じゃない。佐々木の閉鎖空間の中で、何が起きたというんだ?
「古泉、行くぞ、閉鎖空間に」
「待って下さい。何度も言いますが、僕では佐々木さんの閉鎖空間に入ることが出来ません。橘さんか、或いは彼女と力を同じくする仲間でないと」
 解ってる。だが先ほどから橘の携帯には繋がらないし、そもそも橘以外の『組織』の仲間に連絡をとる手段が無い。イチかバチか、お前がやってみるしかないだろ。
「と言いましても……」
「お困りのようですね」
 と、ここで再び喜緑さん。にこやかなポーカーフェイスはまだ崩していない。
「喜緑さん、あなたもしかして……」
 言葉の代わりに、小さくウィンク。それ以上仰る必要はないですよと、いわんばかりに。
「あなた方にはお世話になりました。お陰で婚約の儀も恙無く進行しています」
 どうとでも取れる微笑は、俺たちに感謝の意を示しているのか、それとも、
「お礼と言うほどではありませんが、あなた達が望む未来を託したいと思います」
 ハッキリ言って、何を言っているのか解らなかった。
 喜緑さんが何を知って、何を知ってないのか。全て知ってて知らないフリをしているのか。或いは本当に何も知らないのか……。
 俺たちにどんな関連があるか、それすら解ってないように思えた。
 しかし、
「どうぞ、こちらへ」
 左後方を向き、案内をする彼女を見て解った。
「…………」
「――――」
「長門!? 九曜!?」
 トーンの違う無口な二人が、俺のテンションを上昇させ、
「彼女達なら、きっと力になってくれるはずです」
 ――そして再び、朗らかな笑みを俺たちに振りまいた。


「事態は、一刻を争う展開になっている」
 ショートカットの無口が口を開いた。
「情報――――噴出…………過多――――――」
 続いてロングヘアの無口も。
「二つの情報創生力が、螺旋状に渦巻いている。その総量、単体比で累乗に匹敵する」
「――――元々――――無限級数的…………情報量――――累乗すれば――――手がつけられない――――…………」
 二人の会話は、やはり俺にとって意味不明だった。しかし、長門が最初に言った言葉だけは理解できた。
「急がなきゃ、ならんのだな」
 二人とも無口になる。肯定の合図だ。
「長門さん、九曜さん。あなた達なら佐々木さんの閉鎖空間に侵入することができるのでしょうか?」
「完全ではない。古泉一樹、あなたの力も欲する」
「僕の力ですか?」
「遮断された次元断層を開くには、それが可能な能力をトレースする必要がある。代入値を変更すれば、異色の次元断層の入り口も開くことができる」
「次元――――断層の…………――――保持は――――以前――――経験済み…………こちらでやる…………――――後は――――――任せる…………――――」
 もしかして、行くのは俺一人ってことか?
「そう」
「――イエス…………」
「僕達は閉鎖空間の入り口を保持するのが精一杯のようです。橘さんの件は、よろしくお願いします」
 ……わかったよ。
 俺の返答に、古泉はいつものスマイル、長門と九曜も数ミリラジアンほど笑みの形に顔を歪ませた気がする。そしていつのまにか喜緑さんが消えてしまったが、彼女の仕事はもう済んだからドロンしたのではないかと勝手に思い込んだ。
「手を取って」
 長門が左手を古泉に向かって差し出した。同様に九曜が右手を差し出す。古泉はヤサ顔のまま、右手で長門の手を取り、そして左手で九曜の手を取った。
「今度は――――あなた――――…………」
 宇宙人二人は古泉と握っている逆の手を差し出し、俺とのコンタクトを求めた。もちろん素直に応じる。
 これで俺から右周りで長門、古泉、九曜の輪が完成した。
「で、これからどうするんだ?」
「わたし達で古泉一樹の力を増幅、拡大適合させる」
「なるほど。長門さん達がアンプとして閉鎖空間の適用範囲を広めてくれるわけですね」
「そう。しかし、わたし達にできるのは、ここまで」
「橘――――京子…………を――――――世界を――――――救えるのは…………あなたに――――――――かかっている…………――――――」
「世界を」、ってのは何となく解るが、「橘京子を」ってのはどういう意味だ?
「彼女は、次元断層の狭間に閉じ込められた」
 全く連絡が無いと思ったらそんなことに……ったく、何やってんだ? 二回目だぞ?
「彼女の失態ではない。より大きな意志によって、次元断層と次元断層の間にある空間に閉ざされてしまった。今、彼女は彼女の知る空間にはいない。右も左もわからない状態。でも、」
「次元断層の――――狭間――――かの異空間と…………――――紙一重――――呼びかければ――――彼女を――――信じれば…………――――道…………開かれる――――」
 詳しくは解らんが、つまり、
「閉鎖空間で、彼女を呼び出せばいいんだな」
 再び、二つの沈黙が肩を並べた。
 解った。必ずアイツを連れてくると約束しよう。だがその前に一つだけ聞かせてくれ。
「なに」
「情報の奔流はお前達にとって喜ばしい事実じゃないか。その噴出を止めるようなことをしに行くんだぜ。それを助けてくれると言うのか?」
「情報の奔流は、多ければ良いものではない。以前にも話したが、ジャンク情報とノイズは情報統合思念体にとって決して有為なものではない。正確且つ迅速な処理能力こそ、情報統合思念体の欲する情報。進化の可能性も、真の情報に内包される」
「正しい――――情報は…………――――正史の――――情報…………――――それを――――歪める――――行為は…………――――進化を――――…………否定する――――――ことに――――なる」
 解るようなわからんような例えでまくし立てる二人だが、
「このままの状態が良くないってことはわかったさ。さっさと片付けて、橘を仕事漬けから解放しようぜ。古泉、頼む」
「了解。では皆さん、目を閉じてください」
 言われるがまま目を閉じ――よく考えたら閉じる必要なんて無いんじゃないかと思い、再び瞼を開け――
『――――!!』


 白い閃光が、俺の躯を包み込んだ。

 …
 ……
 ………

 ”――もう一度聞く。どんな、存在なのだ?”
 橘京子、それは……――。
 悪く言えば、バカで無知で、チビでちんちくりんでおまけに胸も小さい。良いとこなしのKYトンデモ痛い小娘。だけど――。
 ――良く言えば、友達思いの真面目で何に対してもひたむきな、女の子。
 最近は、そう思うようになってきた。
 最初のやり方が気に喰わなかったことは多々あるが、世界を平穏なものにしようとする志は本物だったのかもしれない。
 古泉と一緒に相談しに来た時もそうだったし、ハルヒの精神を佐々木がのっとった時だってそうだった。
 朝比奈さんを誘拐した時も一人必死に耐えてたし、全然やる気のない面子を揃えて俺に交渉したりもしたよな。
 ちょっと他の人より一生懸命だから痛いキャラが身についただけで、よく言えば頑張りやさんなのだろう。
 最初から解っていれば、俺もあそこまで拒絶することもなかったと思う。

 ”――橘京子の『組織』にも、賛同できると?”
 そうじゃない。賛同できるのは、『橘京子』個人だ。
 これは橘京子と『組織』だけに限ったことじゃない。古泉一樹と『機関』の関係も同じことが言える。
 古泉自身の信頼と『機関』中枢部の信頼とじゃ俺の中で全く異なる。古泉は高校生活を、SOS団としての活動を通じて、お互いの信頼関係をぐっと向上させた。何喰わぬ顔で命令を下すだけの『機関』中枢部とはわけが違う。
 もっと言うとな、長門とその親玉、朝比奈さんと朝比奈さん(大)。これも全部一緒だ。
 俺とハルヒ、そして佐々木と一緒にハイスクールライフを過ごしたのは、宇宙人や未来人や超能力者っていう一括りじゃない。個々の人物なのだ。
 だから、橘京子もまた――。

 ”――橘京子を、信じているのか?”
 ……正直なところ、ちょっと心もとないけどな。
 KYな性格はつくりものと言ってたが、肝心なところでツメが甘そうなのは元々っぽいし、怖くなって途中で挫折しそうなヘタレ感もタップリ感じている。
 それも込みの演技なのかもしれないが、長年付き合っていた俺の感覚からすると、望み薄である。
 望み薄なんだが――これだけは信じてはいる。
 アイツの――悲しみに暮れるアイツの心を取り戻すのは、あいつしかいない。
 あいつしかいないんだ。

 ………
 ……
 …


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『……信じているぞ、橘。かならず来いよ』



「……あ」
 空に、クリームを溶かし込んだようなこの世界。
 人の声など聞こえるはずも無い、静寂の世界。
 あたしには、何故か彼の……キョンくんの声が聞こえました。
 それはまるで、あたしを勇気付けてくれるかのような、激励の言葉。

『間違いない』
 あたしには、わかりました。
 涼宮さんの閉鎖空間の消滅。これは、あの人が引き起こした事だって。
 何故か、と言われても説明できません。『解ってしまう』からです。
 そして、自分の閉鎖空間も――。

 あのお方を――彼女を止めるのは、あたしの仕事です。
 だって、あたしは――。


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『…………ん』
 眩いばかりの白亜に包まれたかと思えば、突如現れたのは真っ暗な闇。
 ……いや。完全なる闇ではない。多少ではあるが、周りの様子が見渡せる。
 真っ暗な闇に見えたのは、先ほどの激光で目がやられたせいだろう。時間が経つにつれて、辺りの様子が少しずつ浮かび上がってきた。
 そこは、俺が今までいた喫茶店だった……いや。
 正確に言うならば、喫茶店と同じ造りをした、全く別の場所。異次元と言ってもいい。
 先ほどまでウィンドウから溢れ出てた太陽の光が、今ではまるで曇った空の下にいるかのように日差しがない。
 もちろん、俺の知る場所である。
「閉鎖空間……ついに来たか……」
 だが、おかしい。
 俺は佐々木の閉鎖空間に向かったはずだ。佐々木の閉鎖空間にも以前招待されたことがあったが、あちらはもっと明るく、セピア色に染まった世界だった。
 しかし、この閉鎖空間は見たままダーク調の世界。これではまるでハルヒの閉鎖空間である。
 これは一体どうしたことか……。さっぱり解らない。
 ただ、ここでじっとしていても、何も解決はしない。
「外に、出るか」
 誰もいない室内に、俺の声が響き渡った。

 外は、俺の知っての通りの表情だった。
 昼下がりの午後。帰宅や塾通いのため高校生がうじゃうじゃ現れるはずの駅前は、余りにも寂しいオーラを紡ぎだしている。最も、ハルヒの閉鎖空間にしろ佐々木の閉鎖空間にしろ、人がいないことは知ってたのでこれはどうだっていい。
 しかし、双方の閉鎖空間を知っている俺でも解せぬことがあった。
 喫茶店を出る前までは夕立前の夏のように暗かった空が、今や黄砂に吹かれる前の空の色まで明るさを取り戻していた。
 喫茶店のガラスがスモークフィルムを張っていた、なんてことはない。先ほど閉鎖空間に入る前までは、確かに日の明るさを感じていたから。
 閉鎖空間に変化が訪れている? いや、単に安定してないだけのような……? なんだろうな、この感触は。
 等と足りない頭で考えていると、
「あれは……?」
 不思議な光景が現れた。といっても、例の巨人が現れたわけではない。
 クリーム色の空が広がる中、とある一点に、真っ黒な雲が現れていた。
 その雲は徐々にクリーム色の空と入り混じり、空の色を黒く染め上げていく。
 かと思えば、今度はそこからクリーム色の雲が浮かび上がる。
 クリーム色の雲は黒い空と入り混じり、再び空を明るくする。
 この空間が安定してないと感じたのは、交互に入れ替わる空が原因だろう。
 そして恐らく……あの中心に、アイツがいるんだろう。
「行くぞ」
 心の中で、勇気を奮い起こし一歩を踏み始めた。

 明暗の閉鎖空間は、中心部へと行く度に入れ替わりの激しさを増していた。と言っても、激しい音や風が吹くわけでもなく、ただじっと見つめていると目がチカチカして大変そうってだけで、直接見なければ何の被害も無い。
 ただ……なんて言うのか。居心地の悪さだけは天下逸品だ。沸かしすぎた風呂に冷水を中途半端に混ぜたような、唐辛子にメイプルシロップを塗りつけて喰わされているような。正反対の属性同士をまだら模様に混ぜ込んだかのような感覚。
 先ほどから感じている違和感は、完全に混ざりきれてない明暗の空が原因だ。
 そしてそこに、この空模様の元凶があった。
 公園のベンチ。独り座る少女の姿。
 ――間違いない。アイツだ。
「佐々木……お前……」
『キョン……ごめん……』
 諭すように声をかけた俺に反応し、佐々木は頭を下げたまま。謝罪の言葉だけが風に乗って俺の耳元へと届いた。

『決して、許されることをしたとは思っていない』
 空の二色性が増す中、相も変わらず顔を伏せたままの佐々木は、
『ヒトは、斯くも弱いものなんだって、改めて認識したよ。こんな弱い生き物に全知全能の力を付与するなんて、バカバカしいにも程がある』
 佐々木の声は、俺の耳にと言うより、直接脳に響いている感じだった。顔を伏せてボソボソとしか喋ってないので、そうとしか思えない。第一ここは佐々木の閉鎖空間の中だ。本人の心の中と考えれば何も問題ない。
『神力をヒトに植え付けて、何がしたいんだろうね? ヒトがどのように力を使うか観察したいのか? それとも自滅する様を見て愉快に笑い転げたいのか? ……くくっ、神様と言えどヒトを馬鹿にし過ぎだね。不愉快だ。そう思わないかい、キョン?』
 不機嫌バリバリに喋り倒す佐々木の矛先は、しかし俺に向いているわけではなかった。
「さあな。ヒトより偉くて高次元の存在の考えなんて、俺たちの考えが及ぶもんじゃないさ」
『くくくっ。全くそのとおりだ』
 俺と無駄話をしている時と同じように、喉を鳴らした。
『ヒトは、間違いもある。過ちもある。ヒトと言う器にいる以上、完全なんてことはないのさ。だから僕は暴走した橘さんを許したし、逆に許しを請うことだってあった。逆にそんな生活が楽しかったから、なんて思うよ』
 俺もそう思う。橘を始め、ハルヒや佐々木、そしてSOS団の皆と過ごした日々はハッキリ言って楽しかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるってのは誉め言葉さ。人間がそれだけ寛容に出来ているって言う証拠になる。
『でも……でも、何で』
 佐々木の声と共に、明暗の点滅が速度を増した。
『何で――橘さんとお別れをしなきゃいけないんだ?』
 それは……お前の力がようやく終焉を迎えたわけで
『解ってるよ! そのくらい!』
 佐々木の怒号と共に、強烈な光が渦巻いた。
『僕だってこんな力、欲しいなんて思わない。神格化扱いされればこっちが迷惑だ。そう思ってた。だけど、それを犠牲に『親友』一人を失うのは、余りにも酷だと思わないか!?』
「…………」
『せっかく約束したのに……『彼女』と約束したのに……それを果たさぬまま、橘さんとお別れするなんで、僕にはできっこない!』
 ――佐々木、やっぱりあの時のこと……。
『キョン、悪いけど、涼宮さんの力、お借りしたよ。僕一人じゃ世界を変える力が無いなんて解りきっているからね。大丈夫。そんなに変な世界にはしないつもりだし、本懐を遂げたら力を封印してもいい。人間、過ぎた力が破滅への序章となるからね』
 何を、願う気だ?
『くくくっ。察しが悪いね。さすがはキョンだ。ここまで来ると解っていると思ったんだが……』
 佐々木の苦笑いに、俺も苦笑を重ねた。
 いくら俺でもそこまで馬鹿じゃない。言葉にしなかっただけだ。お前が何を望んでいるか、ここまで来れば教えてくれたも同然だ。
 しかし――。

「もし、俺がダメだって言ったら、どうするつもりだ?」
 俺の問いに対し、佐々木は諦めムード満点の笑みを浮かべた。
『許してくれなんて思ってないさ。正しいことだとも思ってない』
 その笑みは、思いつめたわけでも、怒りを交えたわけでもなく、寧ろ柔和なものだった。まるで悟りの境地に達した聖徒が一般民に教えを説くように。
『ただ……これだけは、させてもらう。これこそ僕の唯一の望みなんだから』
 止めろ! 佐々木!
「そんなことをして、橘が喜ぶと思っているのか!」
『異なことを言うね。キョン。橘さんは元々僕に能力を移転するのが目的だったじゃないか。こうして閉鎖空間を維持すれば彼女の消滅も免れる。一石二鳥じゃないか』
「…………」
『僕は涼宮さんみたいに超常現象を発生させようと望んでいるわけじゃない。宇宙人未来人超能力者で緑の星を埋め尽くそうなんて思ってない。それに比べたら僕の願いなんて、コンクリートの隙間からひょっこり目を出すナズナの如くつましいものさ』
「…………」
『世界をおかしくする気なんてない。僕だってこの世界が気に入っているからね。だからキョン。これだけは許して欲しい』
「…………」
『くくっ。キョンが渋るのも当然かな。僕は前回も同じようなことをしでかしたからね。あの時は涼宮さんが更に力をのっとって酷いことになったけど……そうそう。涼宮さんは公園のベンチでぐっすりお眠り頂いている。前回の二の舞だけは避けたいからね』
「…………」
『頼むよ、キョン。僕の願いを――橘さんの存在を、元に戻して欲しい。宇宙人も、未来人も、超能力者なんかもいらない。僕の本当の千載一遇の望みは、『彼女』……あの『橘』さんとの約束を遵守することなんだ』
「……………………」


 佐々木の目的。
 俺がこの閉鎖空間に来た時、直ぐにピンときた。
 それでも知らないフリをしたのは、彼女の本心が聞きたかったからだ。
 ――橘は言った。『佐々木さんの精神が安定し、閉鎖空間が縮小している』と。
 そして、『閉鎖空間の消滅した時には、橘京子の存在が消えてしまうかもしれない』、と。
 佐々木は聞いていたのだろう。あの時、俺たちが会話していた内容を。
 橘京子が居ない世界を悲観して、ハルヒの閉鎖空間を取り込み――自分のものにしようと画策したのだ。

 古泉が閉鎖空間に入れなかったのは、既にハルヒの閉鎖空間は存在しなかったから。
 いや、正確に言えば完全に取り込まれているわけではない。佐々木の閉鎖空間の不安定さから見るに一目瞭然だ。
 古泉があるはずもない閉鎖空間の存在を『解ってしまった』のは、中途半端に取り込んだ佐々木の閉鎖空間に逐一現れる、ハルヒの閉鎖空間の存在を嗅ぎ取ったからだろう。
 古泉の予想は、外れた。いや、三つある可能性のうち、一番低いものだった。
 宇宙人が本気になって攻めてきたわけでも、より高位の存在が動き始めたわけでもなかった。


「『あたし』と仲良くやってください」
 次元断層の向こう。並行世界の番人――『橘京子』は、最後の別れ際にこんなことを言った。
 言われた相手は、もちろん佐々木。『彼女』と仲睦まじい関係になった佐々木との約束――だった。
 元々「作ったような性格」と揶揄される佐々木だが、真偽の程はさておき、その佐々木と『彼女』は、『親友』といえるレベルにまで進展していった。
 俺を含む男の前で男言葉を話す関係とはわけが違う。交流期間こそ短かったが、密度は果汁一パーセントにも満たない合成甘味料漬けのジュースと濃縮還元ジュースくらい異なっている。
 佐々木の友人関係に詳しくないが、あの『橘京子』とはお互い腹を割って話ができる『親友』以上のものだったに違いない。
 その、『親友』との約束が、引き裂かれる。
 自身の閉鎖空間の縮小、消滅によって、『橘京子』との繋がりが、なくなってしまう。
 佐々木はそれを何よりも恐れたのだろう。世界が改変されることよりも。

 佐々木と『彼女』との約束。
 そして、自分に必要な存在。
 それを取り戻そうと動いた結果――こんなことになってしまったのだ。

『キョン……長いこと沈黙していたが、腹は決まったかい?』
 佐々木の声に、ハッと我に返る。
 しかし、明暗を繰り返していた閉鎖空間は殆ど綺麗に混ざり合い、その中間というべきか……本当の世界の空の色とほぼ変わらぬ色を呈していた。
 太陽が現れてないってことが、唯一閉鎖空間だとわかる手がかりだった。
『キミの承認さえ得られれば、直ぐにでも改変しようと思うんだ』
 囁くように答える彼女の声は、何の迷いも無かった。

 ……確かに橘は確かに佐々木にハルヒの能力移転を願っていたし、そもそも俺にコンタクトを取った本来の目的はそこだった。
 ……俺に否定され、古泉に否定され。ハルヒや佐々木にも否定された橘の持論は思わぬところで好転、本懐を成し遂げた。
 ……おまけに橘も戻ってくるだろうし、ハルヒが変なことを思いついても現実にならなくなる。
 ……せいぜい困るのは、『機関』の就職先だろう。
 ……今ごろ『機関』の連中は戦々恐々としているだろうし、『組織』の連中は欣喜雀躍の思いかもしれない。
 ……ハルヒの驚天動地なイズムと違い、佐々木は能力を行使したところで世界が一変してしまうような事件は起こさないだろう。
 ……これが、佐々木の、『組織』の……そして、橘の望んだ世界……なのだろうか…………?

『――違います!!』

 その時。
 俺の耳――心じゃない。確かに耳にだ――に、ハスキーボイスが響き渡った。

『橘さん――? どうしてここに……? 来られないはずなのに――?』
『佐々木さんを想う気持ちがあれば何のその!です! 目を覚ましてくださいっ!!』
 俺が佇む位置の、更に後方。佐々木が驚愕の視線を携えるその場所に現れた、ハスキーボイスの元凶は、声をより大にして叫んだ。
『あたしが望んだのは、佐々木さんに『能力』を与えるためではありません! 佐々木さんに『能力』を封印してもらうためです!』
 振り返ると、息を切らしながらも声を張り上げるツインテールの姿。
『佐々木さん、前に仰ってたじゃないですか! 『凡人たる自分に過ぎた力なんて必要ない』って!』
『うん……確かにそう言ったよ。だから力を封印しようと……』
『『力』を使って『力』を封印するなんて、佐々木さんらしくありません!』
『…………!?』
『あたしが望んでるのは、どんなことが起きてもへこたれない精神力の強さです! あたしがいなくなるから、なんて理由で世界を混沌させようとするなんて、佐々木さんらしくありません!』
『でも……それで橘さんは消滅の危機に陥っているんだよ? キミの存在が亡き者にされてしまうんだよ。それで本当に満足なの?』
『うっ……』
『それに、あっちの『橘』さんにだって申し訳が立たない。わたしは約束したんだ。『橘さんと仲良くする』って。あなたの存在が消えてしまったら、その約束すら守れないじゃないか』
『……佐々木さん……』
『何のために、欲しくも無い力を所有して、使いたくも無い力を使ってるのか。考えたことあるっての!?』
『…………』
『それもこれも、全部あなたの為にやってるのよっ!』
『…………ふざけないでっ!!』


 ――パシーン……――


 静寂が支配する閉鎖空間の中、佐々木の頬を捉えた橘の平手打ちが、遠く見えるプラットホームまで木霊した。


『あたしのために『力』を持った? あたしのために『力』を使ったぁ!? なんですか、それっ!!』
 まさか、そこで橘からのビンタが来るとは思ってなかったのだろう。佐々木は頬を押さえ、曲がり角で自分の好きな人と偶然ぶつかったか時の如く何一つリアクションを取らなかった。
『佐々木さんはそんなしょっぼいことで世界を変えようとしていたのですか!? そんなどうでもいいことで世界を混乱の渦に陥れようとしたのですか!?』
『あ……いや……そんなことは……』
『いいえ! 一緒です!』佐々木の言い分を遮って、橘がまくし立てた。『そんなの、涼宮さんと同じじゃないですか! いいえ、力を自覚している分、涼宮さんよりタチが悪いです!』
『…………』
『あたし達が佐々木さんに託したのは、『力』を行使しないと踏んだからです! 『力』を内包したまま閉鎖空間が消滅するなら、それも望むところだったのです! それをよくもよくも…………』
『で、でも……』
『でももヘチマもないわよ! あたしの話を聞けぇっ!』
『はいっ! すみませんっ!』
 どっかのライブステージで聴こえてきそうなセリフに、思わず佐々木は肯定し――暫く沈黙した。

『……確かに、このままお別れするのは辛いです。消えてしまうのは悲しいです。でも……あたしは幸せです』
 橘はこれ以上ないほど満ち足りた表情を浮かべた。
『えっ……?』
『だって、佐々木さんにそれだけ想って頂けたんですもの。あたしだって、佐々木さんと仲良くなりたかった。あっちの『橘』さんが、あんなに仲良く出来るんですもの。あたしだって……』
『橘さん……』
『それだけで、満足です。悔いはありません……』
 後半、橘の顔から光るものが流れた。
『……でも、僕は……』

「佐々木、」
 ――この時、俺は思い出した。朝比奈さん……二人の朝比奈さんが別々の日に言った、俺へのアドバイスを。
 ひとつ。
「橘がそう言ってるんだ。あいつが望むようにしてやったらいいじゃないか。ヒトとして生を受けた以上、必ず別れの時がやってくる。橘の場合、それが他のヒトよりちょっと早かっただけじゃないか」
 朝比奈さんの――服屋での帰り、朝比奈さんが洩らした、惜別の声。
 ふたつ。
「動じたら負けだ。笑顔で送り出してやろうぜ。橘だってその方がいいさ」
 大人の朝比奈さん――先日の電話で伝えた、送り出しの言葉。
 おまけにみっつ。
「お前達は単なる『知人』じゃない。既に『友人』、いや、『親友』なんだろ? その想いさえ本物ならば、どんな願いだって成就するはずさ」
 九曜と長門が示唆した、『人間の心』の可能性。
 ――これらを統合すると、ある妙案が浮かんできた。

「そうだろ、橘?」
『ええ、佐々木さんの笑顔が最高の宝物になります』
 俺と橘の誘いに、
『…………うん、わかった。ごめんなさい、橘さん……』
 佐々木は、顔をくしゃくしゃにしてはにかんだ。
 俺は思う。この笑顔こそ、擬態を取っ払った佐々木の真の顔なんだろう。そして、この顔を曝け出せたのは、橘との友情が成せるものだろう、と。


 そうそう、いつの間にか、閉鎖空間はセピア調の明るさを取り戻し、言い様のない不安定感はとうの昔に納まったことだけ付け加えておこう。

「でも……どうするんですか? あたしの消滅を回避する方法なんてあるんですか?」
 全てが終わった後。喫茶店を出て再び公園のベンチに戻ってきた俺たちを前に、橘は不安そうな声を投げかけた。
 ここにいるのは、ハルヒを除く全員。喫茶店にいた三人は元より。朝比奈さんは呼び出し、藤原はたたき起こした。
 ハルヒは佐々木の言う通り公園のベンチの隅でグースカ寝息を立てていた。最も、もう少し寝てもらってた方が都合がいいのでこのままにしていただく。
「ああ、それも何一つ現状を変えずに解決する方法が、一つだけある」
「もったいぶらず言ったらどうだ? まさか未来に仇する方法ではないだろうな?」
 大丈夫だ。お前達未来人についてもきっと既定事項だろう。そして、宇宙人にも都合いいこと間違いないぜ。
「自身タップリに言いますね。さすが、この世界の将来を握る『鍵』だけのことはある」
 そんな対したもんじゃないけどな。全てはハルヒの力あってのことだ。『世界を自分の思い通りにさせる』、ヘンテコリンな能力のおかげだ。
「でも何をするにしても早く事を進めないと、涼宮さんが夢の世界から舞い戻ってくるよ。キョン」
 心配ない。寧ろ起こした方が手っ取り早いと思うぜ。
「はへえ!? どんな方法で橘さんを救うんですか……?」
 朝比奈さんの甘ったるいボイスに困惑され、俺はついにその方法を皆に示した。

「……そう言えば……」
「……そうでしたね……」
「……うかつ…………」

 ――予想通り、皆が皆呆気に取られたかのように目を点にしやがった(長門と九曜も含む)。


「……ん? へにゃ……?」
 ホッペを摘み、面白い効果音と共にハルヒは起き上がった。
「こんなところで寝てたら風邪引くぞ。春とは言え未だ寒いんだからな」
「……あれ、キョン。なんでこんなところで……確か……橘さんと……キョンを……追いかけて……それから……」
 それから、の先で言葉が途絶えた。記憶はないのだろうか。
「ねえキョン。何で皆ここに勢ぞろいしてるの? あたしに抜け駆けで何か企んでるの?」
 産業スパイを詮索する監察官のように、ハルヒの目が鋭くなった。
「いや、なに。ここで橘の送別会を開こうと想ってたんだ」
「…………へ?」
「ほら、朝言ったろう? 橘が転校するって。ちゃんと覚えているか? 忘れてないか?」
「何よその目。あったりまえじゃない! 橘さんが遠いところに行くからもう遭えないって奴でしょ?」
 狙ったとおりの解答に、ハルヒ以外が全員顔を歪ませた。もちろん笑っているのだ。
「そうそう。でな、もう遭えないならいっそのこと皆で送別会にした方がいいんじゃないかって提案したところなんだ。ほら、住所とかはちゃんと知ったほうがいいだろうし、遠いところにいくならそこで不思議探索も出来るわけだし」
「うーん……それもそうねぇ……」
 俺とデートってことになっていた内容をすっかり忘却の彼方にフッ飛ばしたハルヒは、
「面白そうね。今度からそこでやりましょ! SOS団の宇宙制覇に相応しい第一歩になりそうね!」
 となった。


『ハルヒは、最初から橘が消滅するなんて思ってない。転校するだけだと思っている』
 今朝喫茶店に入ってからの記憶を洗いざらい吐き出した俺が出した結論はこれだった。
 昼間茂みから聞いていたのは藤原だけだったし、その藤原も佐々木にしか言わなかったのが幸いした。
 ハルヒの能力――願望を実現する能力か、情報を正当化する能力か、はたまた真実を認識する能力か、どれだっていいが――は、今なお健在である。
 元々橘がちょっと遠いところに行くくらいにしか思ってないハルヒだ。こちらから真実を言わない限り、橘が消滅するなんてことはない。
 つまり、俺たちの懸念は文字通り杞憂だったってわけだ。忌々しいことに。
 しかし、人間月日が経てば楽しい生活をも忘れる。
 いくら橘を消滅の危機から救ったとはいえ、転校したこと自身を忘れてしまっては意味が無い。何かの拍子に存在が消えてしまう可能性は残されており、今のままでは少々心もとない。
 だから、橘が遠いところに行くという事実を活かして、ハルヒを焚きつけたのだ。SOS団の世界侵略を考えているハルヒにとってこれほど好都合なものはない。団長の瞳に、メラメラと燃ゆる炎が宿る。
 そして、こうなったハルヒを簡単に止めることなど不可能である。


 こうして、橘京子の消滅疑惑事件は無事幕を下ろすことになった。
 よくよく考えたら、今回も橘自身の不始末で発生した事件だったな。
 やっぱり彼女はトラブルメーカー。俺たちの中で、面倒臭さで右を出るものは無い。
 ふと思う。やっぱりコイツとの縁は切るべきなのだろうか、ってね。
 だが、俺は思い留まった。
 確かにメンドクサイし、空気読まないし、色々トラブルを引き起こしてはいる。
 でも、やっぱり彼女は憎めないやつなんだ。
 行動に裏がないし、潔いほど素直にバカだし、何より俺たちの友情に関しては人一倍アツイ奴だと。
 佐々木はもちろん、ハルヒだってそれを解っているから(本気で)不機嫌にはならないんだろう。
 精神安定剤と言う意味では同じ超能力者たる古泉も一緒だが、彼はどちらかと言うと裏方でサポーターに徹している。それに対し、橘は表向きで真正面からぶつかっていく存在。
 古泉には悪いが、印象が強いのはどうしても後者の方であろう。
 しかし、橘が転校したら誰があの二人のトランキライザーをやるのかね?
 古泉じゃ力不足ろうしし、朝比奈さんでは精神的に耐えられない。
 長門や九曜なら平気かもしれないが、橘の意志を継ぎそうなダークホース藤原の今後にも期待だ。
 その辺は追々考えることにして。
 その前に、やることがある。
 送迎会を盛り上げ、ハルヒを焚き付け、橘京子の存在を固定しつつ、願わくば早く戻ってくるよう促すことだ。
『転校する』って口走ってしまった以上、なるべくそれは実行しないといけない。『実は嘘でした』って言い訳するのもいいが、そこで『何でそんな嘘ついたのよ』と反論されたらどうしようもない。
 だから転校の事実はそのままにしないといけない。
 そして、俺たちの元に早く帰ってくるには、何かしら上手い理由が必要だ。
 言い方はいろいろ有ると思う。でも、この理由付けは橘京子自身に任せようとおもう。
 彼女が本当に『親友』と成りえる存在ならば、佐々木だけでなくハルヒだって早く戻ってきて欲しいと思うからな。

 俺は天を仰ぎ、視線を遠く遠くの世界に移した。
 真っ青に映えるこの世界から、遠くにあるであろう、別の青い世界へと。

 ――見てるか? あっちの世界の『橘京子』よ。
 俺の――いや、俺たちの世界の『橘京子』も、お前以上に頑張ってくれたぞ。
 きっとお前以上の逸材になってくれるはずだ。
 だから……これからも応援してくれよ。


『期待、してるわ』
 ――爽やかな春の風と共に、『橘京子』の声が聞こえた気がした。

※橘京子の憂鬱(エピローグ)に続く





橘京子の憂鬱(エピローグ)


 全員が全員、何かをやり遂げたかのようにスッキリ爽やかな気分になった四月初旬の午後。
 これから始まるであろうキャンパスライフに期待を膨らませているのか、或いはSOS団の新天地に希望を託しているのか。
 個々のフィーリングはこれ以上ないくらいハッピーで、閉鎖空間の頻発で病んでた心も落ち着きを取り戻し。
 宇宙人未来人為世界人超能力者、そしてただの人間も全員巻き込んで大円団を迎え――ようとした、その時。
 事件の元凶は、もの凄く意外な方面から走ってやってきた。


「おや、皆さんおそろいで。どうしたんですか?」
 突然聞こえてきた声に、俺たちは一斉に振り向いた。
「誰? あんた」
 ぶっきらぼうなハルヒの声に、
「ぱ、パパっ!」
 橘の声が入り混じった。
「ああ、これは申し遅れました。私は橘京子の父親です。娘がいつもお世話になっております」
 ああ、どうもと頭を垂れる一同。彼とは初めて顔を合わすはずだからな、俺除く。
「ふーん、橘さんのねえ。確かにそれっぽいわねえ。威厳の無いところなんか特に」
 ハルヒはおよそ初対面の人に言ってはいけないことを平然と口にした。
「そう言えば、娘さん、転校するんですよね。どこに転校するんですか?」
『……!!』
 ハルヒの何気ない一言が、俺たちを凍りつかせた。
 今ここにいる俺たちはともかく、蚊帳の外だったこの親父殿は一体何を答えるのか、全くの未知数だったからだ。
 いや、しかしこの人は何を隠そう『組織』のトップ。全てを見越して上手いこと流してくれるに違いない。じゃなきゃただの怪しい集団の教祖に成り下がってしまう。
 一縷の希望を託し、内心の動揺を押さえ、橘京子の父親の発言を待つ俺たち。
 しかし、甘かった。
 俺たちの予想を遥かに越えた一言が、ハルヒの……いや、この場にいる全員の大脳を直撃した。


「転校? なんのことですかな?」


『……………………はあっ!?』
 男女混合九部合唱が、見事に決まった。


「あの……だから、娘さん……京子さん、転校するんでしょ?」
「はて……何のことだか私にはさっぱり……」
 俺も同じ質問をしてみるが、橘(親父)は首を傾げるばかり。
 たまらず橘(娘)も声を荒げた。
「パパッ! 昨日言ってたじゃない!」
「昨日……?」
「 へいさ……じゃない、この町内にいられなくなったから、出ていかなきゃって!」
「……ああ、あのことか!」
 ポンッ、とやたら軽快に手を鳴らして親父は、
「なんだ、本気にしてたのか。ハッハッハッ……。京子もまだ子供だな」
 何やら一頻り笑い出した。
 あの……全く展開が読めないんですが……?
「京子、ところで昨日は何月何日だったか、覚えているかい?」
 言われて橘(娘)はボケる事も無く、
「四月一日でしょ?」
「そう。四月一日といえば……もうわかるよね?」
「全然」
「くう……何という空気の読めなさ。私は自分が不甲斐ない!」
 一人憤慨する親父殿は、ビシッと実の娘を指差した。
「いいかいっ! 四月一日と言えばエイプリルフール! 嘘をついてもいい日なんだ!」
『…………はいっ?』
「最近京子が冷たいから、転校の話をしてあげたってのに」
『…………えええっと…………』
「せっかく彼と同じ大学にいくことになって喜んでた京子がどんな顔するか、楽しみだったんだよね」
『…………ええええっと…………』
「なのに突然姿を消して……父さん探したんだぞ。プンプン」
『…………えええええっと…………』

 ――もしかして、このおっさんのKYな嘘が、全ての元凶ですかい?


「まあともかく、あんな話誰も信じるわけ……って、あれ? 何ゆえ皆さんハリセンを構えているんですか?」
「ふっふっふっふ…………なんかこう、いろいろぶちこわし♪」
「くっくっくっく…………以下同文♪」
 ――全くだ。諸手を上げて賛同しよう。
「…………あ、最優先強制コード発令です。あのおっさん、叩き潰せだそうです」
「はははっ、当然だ。規定事項を遵守しないものは、それなりの報いを受ける責務がある」
 ――超能力者の親玉は、未来人からはとても疎ましがられているらしい。
「当該対象の有機情報連結を解除する」
「解除了解――――駆逐する……――」
 ――訂正。宇宙人からも敵と判断されたようだ。


「えええええ……………っと、皆さん、目が据わってますよ? もっと人間おおらかにならないと。そうだ、お近づきのしるしにいいものをあげましょう!」
『………………』
 全員が怒気を孕んだ形相でにらめつけている中、代わりに俺が聞いた。
「何をだ?」
「えええっと…………ほら、これ!」
 橘の親父――『組織』のトップは、さも自慢げにソレをちらつかせた。


「京子の一日を隠し撮りしたフォトアルバム! なんと大判五十ページ! そしてなんと! 定価の三パーセント割引券を全員にプレゼントしちゃいます!」


 ――もちろん、誰も欲しがるわけも無く、親父殿は完膚無きまでに叩きのめされた。


「橘さん。どうですか、バイト先変更しませんか? 今なら森さんを説得する自身があります」
「……ええ、是非お願いしますわ、古泉さん。あたし、少しくらい厳しくても、森さんに教育されたほうがいい気がしてきました」
 頭を抱える超能力者達。トラバーユするなら全力で応援したいと思う。

「……なんでこの人の子に生まれたんだろ、あたし」
 橘の嘯いた一言が、俺の心を揺さぶった。
 ああ、全くそのとおりだ。
 橘京子の欠点。それは性格でも、行動でも、超能力者としての運命でもない。
 せめて、一般人に生まれていたら数奇な運命――というか、KYな家系を受け継がずにすんだのに。



 冒頭で答えた、俺の自問自答。少し訂正しよう。


 ”――橘京子とは?”


 ……それは、全人類の中で、一番不幸な人物だったのかもしれない。



「やれやれ……」



 終われ。





 本当にどうでもいいおまけ。

「あのミツバチ養蜂殖農家の人みたいな格好してるの……もしかして、朝比奈さん(大)?」
「ええ……こんにち……くしゅん!!」
「どうしたんですか? 風邪ですか?」
「い、いえ……くしゅん! 花粉症です」
「花粉症!?」
「くしゅん、くしゅん! もう、これだからこの季節の仕事、いやなのよ。もう鼻水も出るし、涙も止まらないし。それに過去は花粉飛散への対処が未熟な……くしゅん!!」
「あの、以前の電話で泣いてたのって、もしかして……」
「ええ。外に出ると酷くて、とても顔を合わすことできな……くしゅん!! いんですもの……くしゅん!」
「そんなに酷いのに、一体何のためにわざわざ……」
「だって、こうしないと出番が……」
「…………あ、そう」
『くしゅん!!』


「ふう……誰か未来でわたしの噂してましゅ……くしゅん!」



 本当に終われ。


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